「あ、私家がここなので…」
「近いのは本当だったんだな」
「はい、ありがとうござ…っ」
お礼を言って袋を貰おうと私がいた位置と反対側の肩を見て驚いた。
伊黒先輩の半分がびしょ濡れになっているのに、本人は何ともない顔をしている。
私のせいで伊黒先輩が風邪を引いてしまうのは申し訳無い。
「あの…伊黒先輩はお家は遠いんですか?」
「そんなに遠い訳ではないが、それがどうかしたか」
「で、でしたら家に上がって行ってください。洋服が、濡れてます」
「気にしないでいい。こんなものたいした事じゃ」
「は…離しません!上がっていってくれないと、今度は私が離しませんから!」
こんな私が濡れないように気を使ってくれた伊黒先輩の服の裾を掴み精一杯伝えてみる。
家は乾燥機があるし、30分もすれば雨足も少しは良くなるかもしれない。
急に黙り込んだ伊黒先輩に嫌な思いをさせてしまっただろうかと恐る恐る顔を上げてみれば、マスクの上から口元を抑え何やら顔を赤くしている。
「そこまで言ってくれるのならば、好意に甘えよう」
「はっ、はい!」
確か父が泊まりに来たときの為に用意してあったスウェットがあった筈と、オートロックを解除してエレベーターに乗り10階を押す。
何処か落ち着かない伊黒先輩に首を傾げながらも初めて父ではない男性を部屋へ上げる感覚に服の裾を掴んで誤魔化した。
「随分と綺麗なマンションに住んでいるんだな」
「あ、父が女の子のひとり暮らしは心配だからと…」
「そうか。いい父じゃないか」
「えぇ、とても優しい父です」
エレベーターを降りカギを解錠して扉を開けて伊黒先輩を乾燥機のある脱衣所へ案内した。
「脱いだらこっちに入れてくれれば大丈夫ですので」
「すまない」
「それじゃあ…」
脱衣所の扉を締めてクローゼットに新品のスウェットを取りに行く。
ついでに被っていた帽子を取りケトルの電源を入れる。
紅茶かコーヒーは飲めるだろうかとキッチンを見ているとリビングの扉が開いた。
「すまない、何か羽織るものはあるか?」
「っ!!!すみません、これ!新品ですので!」
「ぶっ」
上半身裸の伊黒先輩を見てしまった私は顔を真っ赤にしながらスウェットを押し付け背中を向ける。
顔に押し付けてしまったような気がするけど、男の人の裸なんてお父さん以外見たことないのだから仕方が無い。
両頬を少しでも冷まそうと両手で抑えるけれど目を閉じれば伊黒先輩の意外にたくましい体が浮かんで冷めそうにもない。
「…着替えたぞ」
「あ、はい!あの、珈琲か紅茶は飲めますか!」
「珈琲がいい」
「分かりました!」
極力伊黒先輩を見ないよう小走りでキッチンへ向かいコーヒーカップを取り出し二人分淹れ、テーブルにミルクと角砂糖を置いて距離を取る。
「何故そんなに距離を取るんだ」
「お気になさらず」
「流石に気にするだろう」
私が居るのはソファから一番遠い部屋の隅。
申し訳無いから部屋に上げたもののやはり怖いものは怖い。
「しかしまた顔を隠したのか」
「…っ」
「勿体無い。折角…その、愛らしい顔をしているのに」
コーヒーカップをテーブルに置いた伊黒先輩が眉を下げて笑う。
愛らしい?そんな訳がない。
私が学校でどう呼ばれてるか伊黒先輩は知らないのだろうか。
「あの、伊黒先輩は罰ゲームか何かで私に近付いたのですか?」
「なんの事だ?」
「だって、私可愛くなんてないですし」
「…………」
ふと真顔に戻った伊黒先輩にネガティブな思考が更に増して顔を背ける。
あの真顔はどういう意味なのだろうか。
足音がどんどん近付いてくる。
「顔を上げろ」
顎を引かれ顔を上げると空いている手で髪を払われる。
優しい笑みを浮かべた伊黒先輩と目が合った。
「お前は可愛い。俺は、羽月が好きだと言っただろう。それとも本気だと言った言葉は聞こえなかったか?」
「でも、伊黒先輩はすごくモテるし」
「そんなもの関係ない。だが、割と勇気を出して伝えたつもりだったがやはり伝わっていなかったか」
頬を赤く染め困った様に眉を下げた伊黒先輩に心臓がキュンと音を立てる。
「信じてくれないのなら信じてくれるまで待とう」
「あ、う…その」
「羽月が好きだと、何度だって伝えよう。俺はお前が好きだ、羽月」
照れたようにはにかむ伊黒先輩が頭を撫でながら優しく囁いてくれる。
どうしよう、どうしよう。
こんなに優しい声で言われたら信じる以外道が無い。
そう思った時ぽろりと涙が零れた。
「なっ…泣くな」
「伊黒先輩、本当に私でいいんですか」
「それは勿論…!羽月がいいに決まってるだろう」
「たった今、貴方を好きになったばかりの私でいいですか」
視界が滲んだ私に焦りながら涙を拭いてくれる伊黒先輩が瞳を大きく見開いた。
「俺にとっては光栄な事だ」
そう言って伊黒先輩は嬉しそうに笑ってくれた。
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