「小芭内の馬鹿」
「なんだと?」
「もう知らない」
そう言って羽月は俺に背を向けた。
出かけ先から帰ってきたばかりの俺は理由も言わぬその悪口に不快感を表しながら、土産にと買ってきた好物の大福を置いて部屋を出る。
普段部屋を分けている訳ではないが、羽月が来る前自室にしていた部屋へ向かって歩いた。
(何に怒ってるか言ったらどうなんだ)
甘露寺が羽月の好きな和菓子屋が出来たと教えてくれたので、場所を教えてもらう為に共に来てもらったと言うのに。
俺と甘露寺が何処かへ行っても羽月は一度も妬いた事などない。
だから今日も出発前に書き置きをして出掛けただけだ。
「何なんだ、全く」
首に巻き付いた鏑丸を下ろすと、困ったように俺を見ている。
「どうした?」
そう声を掛ければ鏑丸は壁にかけられた暦に目を向けた。
そこには今日の日付が赤丸で囲んであり、何の日かは書いていない。
「…どういう意味だ」
自分で書いたようだが何の日か分からない。
顎に手を当て考えていると、首元に再び戻った鏑丸が羽月のいる部屋を指し、ハートの模様を描いた。
「……っ!」
そう言えば甘露寺の元へ行く時、何やら鏑丸が嫌がっていたがそういう意味だったかと思い出し羽月といつも過ごす部屋へ早足で向かう。
今日は羽月を嫁に迎え入れた日だ。
だと言うのに俺はそれを忘れ、甘露寺と言えど他の女性と過ごしてしまった。
「羽月!」
「………あっち行って」
膝に顔を埋めた羽月に近寄り隊服ではなく珍しく着ていた着物の袖を引っ張る。
俺と出掛けるために着てくれていたのだろうと思うと忘れていた自分に嫌気が差し小さくため息をついてしまう。
「…っ、面倒くさいと思うなら甘露寺さんの所に行けばいいじゃない!」
「違う、今の溜息はお前に対してでは」
「きっと甘露寺さんなら小芭内も幸せだよ」
「…おい、それは聞き捨てならないぞ。俺は羽月がいいから求婚したのであって甘露寺がいいと言ったことなど一度だってない」
「ならどうして忘れたの」
「……それはすまないと思っている。羽月、こちらを向いてはくれないか。俺はお前の背を見て謝罪したい訳ではない」
振り払われるのを覚悟で肩に手を置けば涙を溜めた羽月が俺を睨んだ。
幸せにすると誓ったというのに、こんな顔をさせてしまったと思う反面、こんなに俺を愛してくれているのだと痛感して心が締め付けられる。
愛しいと、心の底から思う。
「すまない、羽月。お前が離れるなど考えられない」
瞬きと共に流れた涙を掬いその身体を抱き寄せれば、更に愛しさが溢れだす。
息を吸えば嗅ぎなれた優しい香りが鼻孔を擽り、本当に手放したくないと心の中で何度も思った事を言葉にして伝えた。
「こんな俺だが、これからも側に居てほしい。だから甘露寺のがいいなどと言わないでくれ」
悲しくて心が裂けてしまいそうだ。
そんな思いをさせてしまった俺がこんな事を言うのも筋違いだが、隣に羽月が居ない人生など考えたくもなければ言葉にだってしたくない。
「他の誰でもなく、羽月を愛している」
「…っ、なら忘れないでよ」
「羽月が好きな大福が美味い店が出来たと聞いてそちらに気を取られてしまった俺の落ち度だ。すまない」
頬に手を当て潤んだ瞳を見つめながらもう一度謝罪した。
普段俺と喧嘩しても泣かない羽月がこうなってしまったのだ、もう男の威厳などどうでもいいと捨ててひたすらに許しを乞う。
心の底から惚れた女が寂しいと泣いたのだ。
こんな所で威厳も糞もあったものではない。
「もう一緒に祝ってくれないのかと思ったんだから」
「そんな事はない。羽月となら何か無くとも出掛ける」
「…じゃあ、私のわがまま聞いてくれる?」
「勿論だとも」
そっと手を重ねてくれた羽月に頷けば、今度は自分から俺の胸に顔をすり寄せてくれる。
首元で俺を見守ってくれていた鏑丸はいつの間にか姿を消していた。
「たくさん愛して、甘やかして?」
「…それはワガママとは言わないだろう」
「じゃあお願いにする」
「お願いされずとも羽月を愛するのも甘やかすのも俺だけの特権だ。本当に…お前は愛らしくて困る」
擦り寄る羽月の頭に口づけを落とし、背中に回った腕に安堵しながら心打たれるその言葉に自然と口角が持ち上がる。
「馬鹿って言ってごめんね」
「いい、本当の事だ。愛する妻との記念日を忘れ、のうのうと出掛けた俺は大馬鹿者だからな」
「いいの。私の為だったんでしょ?」
「結果としてこうなってしまったがな」
「私は小芭内の事許したから、この話はもう終わり。だからね、今からもう一度記念日やり直そう?」
肩を落とした俺に顔を上げた羽月が頬に口づけをしてやっと笑顔を浮かべてくれた。
愛してやまない、花のような笑顔はいつだって俺の心を暖かくしてくれる。
「なら、布団の所からやり直すか」
「寝るの?」
「羽月はどう思う?」
「言わせないでよ、小芭内の助平」
「安心しろ、羽月を愛して甘やかす準備などいつでも出来ている」
嬉しそうに首元に顔を寄せた羽月に軽い口づけをして、軽い身体を横抱きに持ち上げた。
今日は時間の許す限り甘やかそうと決め、寝室の襖を開け布団へ組み敷く。
「羽月」
「ん?」
「愛してる」
「うん、私も小芭内の事愛してるよ」
これからも永遠に愛する事を羽月に何度だって誓おう。
この肉体が燃え尽き無くなろうとも、俺という魂がある限り、消えることのない永久の誓いを君に。
end.
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