「おや、いらっしゃい」
「こんにちは、マスター」
色々準備を整えて私服に着替えた私は心を落ち着かせる為にマスターの居る喫茶店に来た。
伊黒には今日家に来てって連絡しておいたし、了解の返事も得た。
後はアイツの用事や準備が済んだらマスターのお店まで迎えに来てくれるとの連絡もあったから、私の行動パターン読んでるのかって思ったけど。
「小芭内は部活かな?」
「そうらしいよ。暇だからマスターに癒やされに来ちゃった」
「ふふ、ありがとう」
「いつかマスターの淹れる珈琲がブラックで飲める様に頑張る!」
「無理はしなくていいけど、その気持ちはとても嬉しいよ」
やっぱりマスターは癒やされる。
前に奥様にお会いしたけど息を呑むくらいの美しさでいっその事マスターを誘惑しようと思っていた自分の疚しい心を初めて悔いたくらいだったし、5人の子供が居るとは思えない程のスタイルの良さだった。
「マスターも男なんだね…」
「どうしたんだい、急に」
「いや、何となく」
マスターに下ネタなんて言ったら自己嫌悪で灰になって消えてしまいたくなるから絶対に言わない。
あの優しい声や瞳に熱の篭った視線で見つめられたら…そう考えて顔が熱くなったから急いで俯いた。
「ごめんなさい、あまねさん…」
「そう言えば今日の羽月はいつにも増して綺麗だね。小芭内のためかな?」
「…んー、まぁそんなとこ。っていうか分かってくれる?!流石はマスター、嬉しい!」
「ここ最近小芭内が楽しそうに羽月の話をしてくれたよ」
「え、嘘!」
マスターは秘密だよ、と珍しく悪戯っ子のような表情を浮かべて伊黒の話をしてくれた。
秘密にするほどの事かなって思うくらいの話だったけど、そもそもあいつが私の話をマスターにする事実が珍しいらしくて凄く嬉しそうにしてたのが印象的だった。
「お邪魔します」
「やぁ小芭内」
カラン、と音を立てて戸が開くと伊黒が丁寧にマスターへ頭を下げている所だった。
私はそのいつもの光景を真面目だななんて思いながら甘いカフェオレを口に含む。
「羽月、遅くなった」
「いいよ、マスターが相手してくれてたし」
「所で何故お前は私服なんだ?」
「んー、制服嫌いだから」
そう言えばマスターがこの喋り方は伊黒的にとても優しく話してくれてるって言ってたな。
低くも無く高くもない、抑揚も殆ど無い喋り方だけど私もこの声が嫌いじゃない。
「小芭内はいつものでいいかな?」
「はい」
「伊黒はよくブラックで飲めるね。何かコツでもあるの?」
「…しいて言えば、お館様の作られた珈琲という所だな」
「何それっ」
考えてるのか考えてないのか分からない伊黒に思わず吹き出す。
確かにマスターの作るカフェオレは美味しい。
「もう時間も時間だから、一杯飲んだら帰ろうね」
「はい」
「はーい!」
マスターに返事して雑談しつつ残りのカフェオレを飲み干す。
前までは、他の男と約束してる時にこの美味しいカフェオレを飲み干してしまう時間が惜しくもあったのに伊黒と居ると平気な気がしてしまうのは何でだろう。
「さて、帰ろうか」
「うん」
「気を付けて帰るんだよ」
「はい、ご馳走様でした」
「マスター、また来るね!」
当たり前のように差し出してくれる伊黒の手を取り高めの椅子から降りる。
その間のマスターの優しい目と言ったらたまらない程かっこいい。
胸がキュンってする。
「ん"んっ」
「え、何。どうしたの。風邪?」
「…違う。お館様は駄目だぞ」
「マスターは大好きだけどそう言うんじゃありませーん」
「…そうか」
あ、って声が出る。
伊黒ってなかなか表情を変えないんだけど、たまにふっと笑うこの顔が凄くキュンってするんだよね。
本人は不思議そうに首を傾げてるけど。
「て言うかさ、何か言う事無いんですかー?」
「あぁ、今日はいつもより肌艶がいいな。香りも控えめで好ましい」
「……知ってたの」
「一目見れば分かるだろう。どうした?」
「べっつにー!」
手も差し出すのは慣れてるし、女の子の少しだけの変化にも気付くし何なんだろ。
私のがよっぽど経験があるはずなのに負けた感じがする。
「ねぇねぇ、伊黒って何人と付き合ってきたの?」
「一人も居ない」
「え、絶対ウソ」
「嘘をついてどうする」
こんなに女の子の扱い心得てるのに?
マスターとは幼い頃から知り合いだって言ってたしあの人の周りの人は紳士ばっかりなのかな。
「あら、伊黒さん」
そんな事を考えてると伊黒を呼ぶ可愛らしい声が聞こえた。
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