永恋月陽は不思議な女だ。

実力も申し分ない。
他の隊士を率いる力もあり、人望だってある。

笑顔は明るく愛らしくて、声も溌剌としていて聞いているだけで元気が出る。

俺とは真逆の存在。


「義勇さーん、お手紙届いてますよー!」

「分かった」


そんな月陽が俺の屋敷に住み、更には家の事もしてくれて、どれ程周りに羨まれたか分からない。

鼻歌を歌いながら洗濯する横顔に、身体をゆらゆらと揺らしながら料理をしている背中に何度抱き寄せたいと手を伸ばそうとしてしまったことか。


「義勇さん」


彼女とは不釣り合いだと、俺にそんな資格は無いと伸ばしかけた手を下ろすと決まっていつも振り返って名前を呼んでくれた。

大きな瞳を飾るまつ毛も、俺の名前を象る唇も全てを手にしたいと我慢が出来なくなるのはあっという間で。


「ぁ、っ…ぎ、ゆ…さん…」

「月陽…、っ」


気付いたら恋人では無く身体の関係だけを持っていた。

白く陶器のような肌が熱で染まる姿が、いつもと違う艶やかな声が目や耳を刺激して愛しさに理性が飛び抱き潰してしまった。

それでも互いに気持ちを告げなかったのは、いつ死ぬか分からない状況にあったからなのか。


「それじゃ、おやすみなさい」

「……あぁ」


事が済むと月陽はすぐに自室へ戻った。
抱き寄せて眠ろうとした腕はまた虚空を掴み、虚しさだけがいつも心を蝕む。

きっとお互いに気持ちは分かっていた。
だから全てが終わったら気持ちを伝えようと思った。

いつ死ぬか分からないからこそ気持ちを伝える、そんな事が出来る程俺は前向きな男では無い。
俺は臆病だ。


だから、きっとその罰が当たったんだ。


互いに別の任へついた俺達が言葉を交わしたのは3日前。

やっと帰れると、とりあえず仮眠を取るために泊まらせて貰った藤の家で彼女の訃報を聞いた。

こんなに焦燥感に駆られたのはいつぶりだろうか。

お館様の屋敷へ運び込まれた月陽の遺体を目にして膝をつく。


「月陽」


不自然に片方がへこんでいる布が遺体の損傷を物語っていた。

月陽の鎹鴉がただの烏に戻ったかのように何も言わず黙ったまま側に座っている。
血に塗れた羽が痛々しい。

彼女は、生贄にされ囚われた子どもたちを全員救った。
しかし逃げ遅れた子どもを庇い手足を食い千切られ、それでも残った片手と片足でその鬼の頸を斬り、息絶えたのだと隠から聞いた。

残っていた手を取っても冷たく硬い。
3日前に抱いた月陽の柔く暖かな身体は元々人形だったのだろうかと思う程に。


一緒に任務へ行っていれば月陽がこうなる事も無かっただろう。

子どもを庇った月陽を俺が援護していたら何の犠牲もなく鬼だけが消えたはず。


「月陽……月陽…」


何度呼んでも月陽は返事をしない。
俺の名を呼んではくれない。

当たり前なんだ。
もう月陽は死んでしまったのだから。

好きだと伝えていたらここまでの虚無感や喪失感は無かったのだろうか。
息が出来ない。
今にも狂ってしまいそうなくらい目が回る。

手を取ったままぶつぶつと月陽の名前を呟く俺は異常だろう。

彼女に癒やされ始めていた俺の心はもう修復出来ない程に壊れてしまった。

俺が誰かを大切だと思えば思うほど、その人は死んでしまう。

姉さんも、錆兎も、月陽もそうだ。

穏やかに閉ざされた瞼をそっと撫でて何度も抱いたはずの月陽を思い出そうと試みる。

さっきまで覚えていた筈なのに、月陽の声も、愛らしいと思った笑顔も何も思い出せない。


「ぅ、っ」


思い出したいのに、頭の中に浮かぶのは目の前にある月陽の遺体の冷たさだけで思わず厠へ駆け込み胃の中の物を吐き出す。

思い出せない。
たった3日前の月陽を、温もりを、声を。
なにもかも。


「は、っ…はっ…」


たしかに俺は月陽を愛していたはずなのに。

それでも俺は生きた。
生きて、生きて、たくさんの犠牲を出しながら鬼殺隊は、人類は鬼舞辻無惨と言う鬼に勝った。


――――
―――
――



痣の顕現により25も近くなった俺は生活を布団の上で過ごすようになった。

ぼんやりと霞む視界に秋の紅葉が映る。


――義勇さん。


「…月陽?」


聞こえた俺を呼ぶ声に掠れた声で返事を返す。
月陽の声も忘れたはずなのに、自分の口から出た名前は彼女のもので。

そんな訳がない、ついに俺は幻聴まで聞こえるようになったのかと嘲笑った。


『おーい!』


笑い声と共にまた月陽の声が聞こえて視界が鮮明に開ける。
紅葉の中で手を振る影に幻覚でもいいと、力を振り絞ってそこへ這うように進んだ。

体が汚れようと、縁側から落ちて怪我をしようとどうでも良かった。
側に行きたくてただ必死に片腕を動かす。


「月陽…」

『義勇さん』


縁側から落ちそうになった俺を月陽が抱き留めそのまま優しく頭を撫でられる。

死んだ後、思い出せなかった声や温もりが今になって湧き水が溢れ出すように耳や感覚が目の前の彼女を月陽だと教えてくれた。


「あいたかった」

『ごめんなさい、義勇さん。私、ずっと謝りたかった』

「お前は、自分の成すべきことをしただけだ」

『ちゃんと気持ちを伝えたかった』

「…俺だって」


最早動かない体を月陽の震える腕が強く抱き締める。
抱き返してやりたいのに、それが出来ないのは何とも悔やまれ心の中で眉を寄せた。


『大好きです。義勇さんが』

「俺は、あいしてる」

『えへへ、嬉しいなぁ』


やっと、やっと月陽を思い出す事が出来た。
自然と流れる涙に俺は精一杯彼女に身体を寄せる。

もっと早く伝えたかった。
月陽が生きている内に本当は言いたかった。


「迎えに…来てくれたのか」

『…うん』

「そうか…」

『義勇さん、ありがとう。勝ってくれて、ありがとう』


温かい雫が顔の上に落ちてくる。
泣いているのか、必死で力を込めた腕は羽のように軽くて月陽の頬に簡単に届いた。

やっと触れられた。


「みんなが、居てくれたからだ」

『うん』

「月陽が、居てくれたから、頑張れた」

『ふふ、嬉しい』


笑った顔に心が満たされた。
無惨を倒した後、嬉しかった。
嬉しかったけど、俺の隣には月陽が居ないのが寂しかった。


『義勇さん、お疲れ様でした』

「あぁ…」

『ゆっくり休んでね』

「……あぁ」


子守唄のような月陽の声は心地がいい。
目を閉じて開くと、重たかった体は軽くなり、短くしていた髪は前の長さに戻って服も着物ではなく隊服を着ている。


『行きましょう、義勇さん』

『月陽…』

『ん!』


少し先で立っている月陽も見慣れた姿になっていて、俺へ手を差し伸べている。
早く触れたくて、駆け寄った俺はその手を引き寄せ両腕で抱き上げた。


『月陽!』

『はーい!』


自分でも自然と笑みが浮かぶのが分かる。
抱き上げられた月陽は同じ様に満面の笑みで俺の頬を両手で包み込んで額を合わせる。

これからは、ずっと一緒だ。

彼岸花の咲く丘で、俺達は手を繋ぎながら歩き出す。
絡めた指はもう二度と離れない。





end.

彼岸花の花言葉は、
『情熱』『独立』『再会』『あきらめ』『転生』『悲しい思い出』『思うはあなた一人』『また会う日を楽しみに』




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