「月陽」


今俺が見た夢が月陽の過去なのだとしたら、涙を流さなくなった原因が何となく分かってしまった。
本人に言えば自分以上に悲しい思いをしてる人は居ると笑うんだろう。

それでも、この身体を抱き締めずにはいられなかった。


「お、小芭内さん?」

「あまり無理をしてくれるな」

「え?傷の事なら別に」

「お前に何かあっては俺が困る。味見役が居なくなってしまうだろう」


こんな時でも素直に心配の出来ない自分に心底嫌気が差しながら月陽の身体を抱き込む。
何が何だか分からない様子だが、それでも温もりを感じていたかった。

少し経てば俺は次の任務に向かわねばならない。
月陽は冨岡の元に帰り、また会えない日々が続くだろう。


「怪我をしてすみませんでした。ちゃんと元気になったら喜んで毒味させてもらいますから」

「必ずだぞ。もしこの約束を違えたらどこまでも追いかけてやるからな」

「本当にありそうで怖いですね」


あはは、と笑い声を上げた月陽に少しずつ冷静を取り戻していく。

もっと早く出会えていたのなら、冨岡ではなく俺の元へ一番最初に来てくれていたのなら側で守ることが出来ただろうか。
そう思いながら身体を離し頬を撫でる。


「?」

「人生とはうまく行かないものだな」

「えっ、どうしたんですか!?」


もっと違う出会い方をしていたのなら、違う時代で月陽を愛する事が出来ていたのなら。
日に日に増していくこの想いを打ち明けられたのだろうか。

そこで考えるのを辞めた。

これ以上は不毛でしかない。


「これから柱を担う予定の者が簡単に傷を作るな。お前は下の者達と違い、力がある。休んでいる間、お前の仕事を実力の無い者に任せてはさらに犠牲が出るのだぞ」

「はい」

「そして更に冨岡の過保護が増す」

「否めない…!」

「それが嫌ならば簡単に身を差し出すな。俺や冨岡や他に頼れる者が居るのならしっかりと頼れ。誰もお前が傷付く事を良しとしない連中ばかりだ」


柱の面々にも可愛がられる月陽。
歳は変わらずともこれからを担う、俺達の希望の花。

額に口付けて、いつか良い意味での涙も流せる様柄にも無く呪いをかけてやる。


「ひゃ!」

「この程度も防げぬ様ではまだまだ鍛錬が足りないんじゃないか?」

「そっ、そんな事言われたって…!」

「あらあら、伊黒さんもそんな顔されるんですね」

「っ、胡蝶!」


真っ赤な顔をした月陽に段々と面白くなってきた俺が更に遊んでやろうと頬を摘んだ瞬間気配も無く後ろから聞こえた声に振り向けば、嫌な笑みを浮かべた胡蝶がこちらを見ている。


「すみませんしのぶさん!煩くしてしまって!」

「いいえ、注意しに来たのではなく傷の具合を見に来ただけですから月陽さんは悪くありませんよ」

「よ、良かった…」

「随分と面白いものを見せてもらいましたし、怪我人相手にお巫山戯していた伊黒さんも不問にしましょうね」

「ちっ…」


胡蝶が月陽の怪我の具合を見ている間、椅子に座りながら包帯を巻き直すのを眺めた。


「よし、これでいいですよ」

「ありがとうございます」

「治療が終わったのなら俺はもう行く。美味いものが食べたいのなら精々療養して休んでおけ」

「しっかり休ませていただきます!小芭内さん、ありがとうございました!」


敬礼して俺を見送る月陽に緩く笑みが浮かんだのを見られないよう振り返る事なく部屋を出ていく。


「伊黒さん伊黒さん」

「何だ」

「随分と気に掛けてるようですね」

「アレは柱になる。才がある者を育てるのも俺達の仕事だ」

「それだけでは無さそうですけれど…私は月陽さんが笑顔でいてくれるのならお二人のどっちだって構いませんから」

「……お前な」


胡蝶が後ろからついてきと思えばやはりいい事では無かったと、眉を顰めながら振り向けば自分の鎹鴉と戯れる月陽を見つめていた。


「あの子は危ういですから」

「…それをお前が言うのか?」

「あら、心配してくれるんですか?今日の伊黒さんは優しいですね。月陽さんと合同任務だったからでしょうか」

「何とでも言え」


こちらが眺めている事にも気付かず鴉へ言伝を頼む月陽は恐らく冨岡に連絡をする為に必死なのだろう。
鋭い嘴で突かれている姿すら愛らしいと感じる辺り、俺もいい加減この気持ちをそろそろ肯定してやらなくてはと思うが、言葉にする日が来る事はない。

冨岡と宜しくやっている内は、月陽が笑っているのならば何も言う事などないのだから。


「本当に不思議な人ですね、月陽さんは」

「甘露寺とはまた違う種類の人間だな」

「えぇ。伊黒さんも随分茨の道を選んだようですし、雁字搦めにならない様にしてくださいね」

「それは無いな。アレが笑っているのならそれでいい」


そうだ、俺は自分の大切な者が幸せに暮らせるのならそれでいい。

話す事は終わったともう一度月陽と胡蝶に背を向けて次の任務へと旅立つ。


月陽の笑顔を少しでいい、俺に守らせて欲しい。

そう思いながら頬に擦り寄る鏑丸の顎を撫で蝶屋敷を後にした。



End.