月陽と出会ってから少しの時間が経った。
初めて会った時、心臓が大きく高鳴ったのは一目惚れというものをしたからかもしれないと気付いたのはここ最近の話。
「冨岡さん、またいらしてくれたんですね」
「あぁ」
「鮭大根もいいですけど、ちゃんと他の物も食べなくちゃ駄目ですよ」
俺をいつもの席へと通した月陽は愛らしい笑顔を浮かべながら湯呑みを渡してくれる。
程よく冷めた茶を喉に流し込みながら、調理場も眺められるこの席で鮭大根を作ってくれる姿を眺めた。
その姿を見ているとどうしてか懐かしい気持ちになる。
「こんにちは!また来てくれたんですね」
明るく愛嬌のある月陽は常連客や鬼殺隊の隊士にも人気があり、彼女目当てに通う客も少なくない。
俺もそれに当てはまるのだろうが、月陽だけではなく彼女が作った鮭大根も目当てだ。
「月陽ちゃん、今日もいいお尻してるねー」
「あはは!鍛えてますから!」
「そこ!?」
いやらしい男の視線も適当に冗談で受け流し、触れてこようとする手はさり気ない動きで回避しているようにも見える。
まるで別世界に居るような月陽を眺めていると、俺の視線に気が付いたのかこちらを見て目を細めてくれた。
何となく気まずくなって目を逸らし、目の前にある茶を飲み干す。
「冨岡さん」
「…月陽」
「ぼーっとしてましたけど、お疲れですか?」
いつの間に俺の元へ来ていたのか、月陽の手にはやかんが握られ空になった湯呑みへお茶を継ぎ足してくれた。
「今煮込んでいる所ですから、もう少し待っててくださいね」
「分かった」
「今日も、アレ。食べてくれます?」
頷いた俺の耳元に顔を寄せてこっそりと耳打ちされる。
アレとは月陽の練習で作った甘味類の事だ。
しかし近い距離感と優しい香りに思考が停止した俺は無言で首を縦に振る事しか出来ず、素っ気なくしてしまっただろうかと視線を月陽へ向ければ気に留めた様子もなく笑顔で良かったと言ってくれた。
「月陽さーん!注文いいかな?」
「あ、村田さん!今行きますね!」
村田という名字に振り向けば、向こうも俺に気がついたのか驚いたような顔をした後すぐに泣きそうな顔で笑って頭を下げられた。
泣きそうになるほど俺の顔は怖くない、はずだ。
「それじゃ出来上がったらお持ちしますね」
「あぁ」
「大丈夫ですよ、冨岡さんは怖くないです」
村田の表情に少しだけ肩を落としていると困った様に笑った月陽が背中を励ますように撫でて村田の元へ行ってしまう。
俺の思考でも読んでいるのかという程に月陽は欲しい言葉をくれる。
「月陽さん、良かったじゃないか」
「ふふ、そうですね」
楽しそうに話す月陽の声を耳が自然と拾ってしまう。
何が良かったのだろうか。
村田は人間関係を築くのが昔から上手かった。
話も上手いから人と話すのも俺とは違い相手を楽しませられる。
「月陽さんは可愛いからきっと…」
「そんなこと無いです。村田さんだって」
他の声にかき消されてただ二人が楽しそうに会話をしている様子しか分からない。
月陽にとって俺は客でしかない。
どんなに団子や大福をくれていても、特別な関係がある訳でもないからこのもやもやした気持ちを持つ事自体がおかしいんだ。
それなのに、今村田と楽しそうに話す月陽の腕を引き寄せ周りに俺のだと言ってしまいたくなる。
「冨岡さん!お待たせしました!」
「っ、」
「あ、ごめんなさい。驚かせてしまいました?」
こんな嫉妬をする自分が嫌になって思わず目に手をやっていると、すぐ真後ろから俺に向けられた声に驚いてしまった。
振り向いて確認すれば鮭大根の定食と、いつも通りの団子が乗った盆を持った月陽が驚いた顔をしている。
「謝る必要はない」
「冨岡さんがぼーっとするなんて、余程疲れてるんですね。鮭大根食べて、元気出してください!愛情たっぷりに作ったので!えへへ」
「…俺だけか?」
冗談交じりに俺を元気付けようとしてくれたのだろうが、村田と楽しそうにしていた月陽が浮かんでつい思っていた事と違う言葉が出てしまった。
何を言ってしまったんだろうか、俺は。
こんな変な事を言ってしまっては月陽が困るだろう。
そんな自分の行動を悔いていると、空いていた隣の椅子に腰掛けた月陽がさっきみたいに俺の耳へ顔を寄せてくる。
「勿論、冨岡さんだけです」
「…!」
「ふへへ」
思わぬ返答に目を見開いて月陽を見れば照れたように顔を染めて両手で頬を抑えている。
期待、してしまっていいのだろうか。
そんな事を思って月陽へと手を伸ばしかけた時、蒼葉殿が彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、はーい!すみません冨岡さん。ゆっくり味わって食べて下さいね」
「…あぁ」
月陽は仕事中だ。
あまり引き止めてしまっては迷惑になるだろうと中途半端に上がっていた手の行き先を箸へ変えた。
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