蝶屋敷に着くと、綺麗に洗濯された羽織が胡蝶の部下によって届けられた。
白地が裾に行くにつれて淡い蒼色に変わっている羽織。
どこにでもありそうな羽織なのに、何故か懐かしく感じるのはどうしてだろうか。
「冨岡さん、見過ぎです」
「胡蝶は、見たことがあるか」
「その羽織ですか?いいえ、見た事がありませんね」
「そうか」
それきり通された客間は沈黙に包まれる。
俺は渡された羽織をどうしても手放したくない気持ちになった。
しかし持ち帰りたいと言えば胡蝶が黙ってはいないだろう。
「…あの、冨岡さん?」
「買い取ろう」
「………ひっ」
「?」
貰うのが駄目なら買い取ればいいと思ったのだが何故か胡蝶からは悲鳴が上がった。
まるでこの世ならざるものを見たような目で俺を見ている。
「虫でもいたか」
「蟲柱が虫ごときで驚きますか。あなた本当に脳味噌どうなってるんです?」
「それは胡蝶のがよく知っているだろう」
「そういう意味じゃありません…」
俺が話せば話すほど胡蝶が距離を置いていく気がするがまぁいい。
別段気にする事でもない。
「持ち主を探す為に持っていきたいのだが」
「…あ、あぁ。なるほど。そういう事ですか」
「他に何がある」
襟を持って羽織を開けば大体伊黒と背丈は変わらないくらいだろうか。
だとすればやはり狐面は女だろう。
何やら変な方向に誤解をされていた気がするが、羽織の用途を胡蝶へ報告したら納得したように頷かれた。
他に何に使うと言うんだ。
「しかし珍しいですね。冨岡さんがこんなに誰かに執着するのは。槍でも降るのでしょうか」
「それは困る」
「喩えです。冗談と本気の区別がつかないから冨岡さんいつもぼっちなんですよ」
「ぼっちとは何だ」
胡蝶の言葉は時に理解が出来ない。
薬学にも精通しているから俺と胡蝶では学歴の差があるという事だろうか。
羽織を持っていくことを理解してくれたようだからここにいる理由も無くなった俺は椅子から立ち上がる。
「世話になった」
「今から探しに行かれるのですか?」
「いや」
「そうですか。言っておきますが、変な事に使わないでくださいよ」
「手掛かりと羽織る以外他に何の用途がある」
そう言って部屋を後にした。
自分の屋敷へ向かって歩きながら腕に掛かる羽織に視線をやると、ふと小腹が空いた事に気が付いて帰り道どこかで食事を取ってから帰ろうと思考を切り替える。
この辺で鮭大根の置いてある店は限られている。
元気のいい女店主が働く団子屋に行こうと決めて、蝶屋敷と俺の屋敷の境にある少し離れた街を目指した。
鬼殺隊の者だけに日中でも食事を振る舞ってくれるあそこの鮭大根は悪くない。
「蒼葉さん、材料はこれでいいですか?」
店に入ると若い女の声がした。
ここは女店主だけの店だったが新しく人を雇ったのかと空いていた席へ座る。
「おや、いらっしゃい!」
「…いつものを、頼む」
「はいよ」
食材をしまいに行ったのか、いつも通り女店主が来て茶を出してくれた。
知らない者と話すと鮭大根が通じない場合があるから面倒だ。
店主はいつも通り朗らかな笑顔を見せて調理場へと消えていく。
「おーい!姉ちゃん酒くれや!」
「お客様、飲み過ぎですよ」
「アァ?」
「これ以上は身体に毒です。もうやめときま、っ」
店の奥で先程買い出しに出ていた女が酔っ払いにからまれていた。
華奢な身体が突き飛ばされ、机に腰を打ち付けている。
「っ、」
「ちょっと!何するんだい!」
「金払ってんのにこの女が盾突いてくるからだろうが!」
「飲み過ぎだから言ったんだろう!」
調理場に居たはずの店主が急いでその女に駆け寄り庇うように客との間に立っている。
話し合いでは解決しなさそうな雰囲気に俺はゆっくりと立ち上がった。
店主や店員が傷付いては飯が運ばれても美味く感じなくなる。
「…おい」
「あんだよ!テメェも邪魔するつもりか!」
「これ以上騒ぐな。さっさと出て行け」
「!」
店主の肩を引いて庇おうとした女が俺を見ている事に気付かないまま、暴れ出しそうな客へ視線を向ける。
騒ぎになっては俺も困るから出来る限り手は出したくない。
「ぎ…お、お客様。私は大丈夫ですので!」
「女に手を出すとは男の風上にも置けん」
と、錆兎が言っていたのを思い出す。
俺の袖を恐る恐る掴む女に顔を向けると、恐怖からなのか大きな瞳に雫をためてこちらを見つめている。
綺麗な顔立ちに心臓が一際大きく脈を打った事に首を傾げれば、俺と目があった女は視線を逸した。
「調子乗ってんじゃねぇぞ!英雄気取りか!」
「…お前では俺に勝てん。去、れ…」
「ぐおっ!!」
背後から椅子を振り下ろそうとしていた腕を掴むと、横から白く長い脚が男の腹部にめり込み吹き飛んだ。
俺は今何もしていないはずだと伸びた脚を辿れば目を釣り上げた女が男を睨んでいる。
「手を出す事は許さない」
「……」
「蒼葉さんの大切なお客様や、店の物に手を出すな」
先程怯えたように俺を見つめていたとは思えない程、強かな目で客を睨みつけるとズイと右手を出していた。
「お金、お支払い下さったら見逃します」
「…わ、分かった!」
女の威圧感に圧倒されたのか、呆気なく男は飲食分の金を出して店から逃げるように立ち去った。
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