「…っ」
「俺が来るまでよく耐えた」
義勇さんが視界に入った途端、私の中で世界が静止した。
声が聞こえる、姿が見える。
仮面越しに、私を見てくれた。
下弦の鬼が大掛かりな血鬼術を使おうとしている姿が目に入り、咄嗟に炭治郎を庇う私に背中を向ける。
「全集中水の呼吸 拾壱ノ型」
「…義勇さん」
「凪」
雫が一粒落ちて静かに波紋を描く景色が見え鬼の血鬼術が全て無効化される。
炭治郎は私と義勇さんを驚いた表情で見つめていた。
やっと、やっと姿を見る事が出来た。
鮮やかに鬼の頸を斬った義勇さんは身体が灰になりながらも炭治郎へ向かう鬼に目もくれず私を見つめる。
「…お前は、何者だ。何故鱗滝さんの作った面を付けている」
「……っ」
一歩ずつ一歩ずつ私の面を取ろうと近寄って手を伸ばす義勇さんに身動きが取れない。
伸ばされた手に私の手を重ねたい。でも重ねてはいけない。
あの時のような優しい声ではないけれど、今義勇さんの視線や思考は全て私に向けられているもの。
会いたかった、本当は飛び込みたかった。
でも。
「何故逃げる!」
私は義勇さんのその手を避け、炭治郎達にすら振り返ることも無く山を駆ける。
あの状態ならば義勇さんは私を追えない。
きっと禰豆子を見て、私ではなく二人を保護する事を優先するはず。
全速力で山を降りた私は自分の目から溢れだす涙で前が見えなくなり、その勢いのまま足が縺れて盛大に転んだ。
「…っ、う…義勇、さん」
湿気のある泥のお陰で身体は傷一つ付くことはなかったけれど、愈史郎君から貰った服を汚してしまった。
それでも尚、私は立ち上がる事も出来ずにその場で蹲る。
「義勇さん、ぎゆう…さん」
ひと目見れただけで良かったのだと、声が聞けたからいいじゃないかと必死で思うのに、心はそれ以上を望む。
触れたい、抱き締めたい。
私です、思い出して下さいと叫びたい。
伸ばされた手を拒みたくはなかった。
「…誰か、来る」
人の気配がして、私はすぐさま立ち上がり近くの木に身を隠す。
ここで誰かに見られては、必死の思いで義勇さんを撒いた意味がなくなってしまう。
徐々に近付いてくる人の気配に息を止めやり過ごそうとした時、暖かな火が私の顔を照らした。
「あら、あんた泥だらけじゃないか」
「…え…?」
「随分と騒がしいから様子を見に来たんだけど、こりゃまた派手に泥遊びしたもんだね」
優しそうな笑顔で私を見下ろした女性は私の頭を撫でて手を伸ばしてくれた。
その手に自分の手を重ねると一緒に立ち上がり、刀を二本も差している私に臆する事なく、持っていた手拭いで面に付いた泥を拭ってくれる。
「可愛い狐だね。おばさん今実家に帰ってきてるんだ、良かったら風呂に入っていくといい」
「…しかし」
「隠れていたって事は何か事情があるんだろ?おいで」
着ていた上掛けを私に羽織らせてくれると、肩を優しく抱いて那田蜘蛛山とは逆方向の民家のある場所へ案内してくれる。
泥がついてしまうから大丈夫だと上掛けを返そうとしたら女の子は体を冷やしちゃいけないんだよと逆に叱られた。
「あの…」
「狐ちゃん、あんた随分と可愛らしい顔をしてるじゃないか」
「い、いえ、そんな…」
「別嬪さんは色々と大変だからね。とりあえず風呂にでも入って身体を温めておいで!」
「え、あ…はい。ありがとうございます」
面を取りせめて名前くらい名乗ろうと思ったら、捲し立てるように風呂場へ案内された私はぽつんと脱衣所に立っている。
「…優しい女性だな」
兎に角お言葉に甘えようと泥塗れの服を脱いでいると、再び脱衣所の扉が開かれ私の目が点になる。
私今裸なんですが…。
「あたしのお古だけど、これを着なさい!」
「あ、はい」
「なぁに、女同士気にする事じゃないさ」
呆気にとられた私に大きく笑った女性は着物を渡すともう一度脱衣所の扉を締めた。
失礼かもしれないけれど、随分と威勢の良い女性だなと時間を置いてつられるように笑った私は今度こそお風呂をお借りする。
身体を流し、泥のついた服を手洗いしてから湯へ浸かった。
「ふぅ…」
「湯加減はどうだーい?」
「あ、はい!気持ちがいいです!」
家の外から聞こえた女性の声に答えると、それは良かったと返され温かいお湯を肩に掛ける。
私の為にわざわざ薪を足してくれたんだろう。
会って間もない私にこんなに良くしてくれて、なんて優しい女性なんだろうか。
その後身体が温まった私は脱衣所に置いてあった大きい手拭いをお借りし、着物に袖を通した。
「…温かい」
目が覚めてから私はたくさんの人の暖かさに触れた。
勿論その前だって触れてきたけれど、義勇さんと離れてから余計にそれを実感する。
窓越しにまだ暗い空を見上げて、少しだけ黄昏れた。
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