1 今日は朝から雨だった。 どんよりした厚い雲が空を覆い、仕事帰りの女は透明のビニール傘越しに目の前を見る。 ちょうど橋が架かった辺りに何か太くて黒い木の枝のような、蛇のようなものが引っかかっていた。 蛇だったら嫌だと思った女は踵を返そうとするが、家に行くには遠回りして一本向こうの一際大きな橋を渡らなければいけない。 どうしようかと悩んだ時、声が聞こえた。 ―――もし。そこのあなた。 響くような声に、辺りを見回すが誰も居ない。 もしかしてと前をもう一度ビニール傘越しに見ると、傘を持っていた手が重みを感じて視線を上げた。 ――――あなた、美味しそうね。 辺り一帯に女性の悲鳴が上がった。 【濡れ女】 「伏せて!」 「ひっ!」 制服姿の雪無が女性を襲う妖へ銃弾を撃ち込むが、すぐに避けられ橋の下へと身を隠してしまう。 式神は連れてきておらず、女性を庇う態勢のまま辺りを警戒するが既に気配は無くなっていた。 「…大丈夫ですか?」 「は、はい…」 「お家までお送りします」 全身が濡れてしまった女性の近くにあった傘をさしてやり、そっと抜けてしまいそうな腰へ手を添える。 女性は何とか自分の家まで歩き、部屋に入ったのを確認すると未だ降り続ける雨を見上げながら置いてきてしまった傘を思い出した。 「…忘れた」 近くの屋根がある駐輪場で雨宿りするも、止みそうにない雨に小さくため息をつくと鞄を抱き締めて自分の家に向かって走り出そうとした時電話の着信音が聞こえる。 内ポケットに入れていた携帯を取り出すと、伊黒と画面に表示されていた。 「はい」 『北条院、今どこに居る』 「えと…」 今までの経緯を電話越しの伊黒に話すと、すぐに迎えに行くから待っていろと言われ抱え込んだ鞄を肩へぶら下げた。 少しでも水気を取りたいが、持っていたハンドタオルではそれも難しく小さくくしゃみをする。 「寒い…」 「おい」 「伊黒先生」 「早く乗れ」 助手席を開けた伊黒に呼ばれ、急いで車へ走るが今の自分の状態を見て何となく乗るのを躊躇ってしまう。 ピタリと動きを止めた雪無に眉を寄せると、意図を理解したのか後部座席から膝掛けを取り投げ渡す。 「シートが汚れると気にするならそれでも羽織っていろ」 「すみません」 膝掛けを腰回りに巻き付けた雪無は今度こそ伊黒の車に乗り、背中をつけないようシートベルトを握り締め姿勢を正す。 「ここならば俺の家が近い。少し寄っていくぞ」 「え、でも」 「ひとり暮らしだ。気にする必要はない」 有無を言わさぬ伊黒は寒そうに震える雪無の為に空調を暖房にして自分のマンションへと向かった。 ついた先は高級そうなマンションで、思わず足を止めて見上げた雪無の肩に自分の白衣を被せオートロックを解除する。 「早く入れ。そこに居られては目立つ」 「は、はい」 先を歩く伊黒に返事をして小走りでエレベーターへ乗る。 最上階のボタンを押した伊黒は真っ直ぐ前を見ながら、雪無へ話し掛けた。 「風呂を沸かしてやるからさっさと入れ。そのままでは風邪を引くぞ」 「でも、着替えが…」 「俺の私服を貸してやる。少しでかいかもしれんが我慢しろ」 目的の階に着いた音がして、エレベーターの扉が開けばすぐ目の前には高級そうな扉が続けてある。 それに鍵を差し込んで自動扉が開くと玄関が見えた。 最新式のマンションに驚きの連続な雪無は恐る恐る伊黒に付いていく。 「と、とても高級なマンションですね」 「親が管理するマンションだ。そこで待っていろ、タオルを持ってくる」 重たくなったセーターを脱ぎ、玄関から部屋を見渡す雪無にそう言い残すと手前側の扉に入っていった伊黒がタオルを持ってくる。 濡れそぼった靴下と靴を脱いで、入念にタオルで拭きながら出されたスリッパに足を通した。 「お邪魔します」 「今湯を貯めるから、その先のリビングで少し待っていろ。暖房はつけてある」 「分かりました」 誰かの家へ来ること自体初めてな雪無はきょろきょろと辺りを見渡しながら自分の身体を拭いたタオルを肩に掛ける。 Yシャツ1枚とスカートだけでも暖かいと感じるくらいに部屋の温度を調節してくれた伊黒に感謝しながらリビングの出入り口で立ったまま整理整頓されたシンプルな部屋を眺めた。 「何突っ立ってるんだ」 「あ…」 「もうすぐ湯が入る。身体が冷える前に入ってこい」 「すみませ…っくし!」 一瞬ふるりと身体を震わせくしゃみをした雪無に伊黒が眉を寄せる。 そっと雪無の手を取ると、風呂場へ無言で連れて行った。 「俺の物で良ければ勝手に使え。温まるまで出てくるなよ」 「はい、ありがとうございます」 脱衣所へ雪無を押し込んだ伊黒は、扉を締めるとそこへもたれ掛かって頭を抑える。 (透けてるのに気付け…) 春用の制服は生地も薄く、セーターを脱いだ瞬間淡いピンク色の下着が透けていることに気付いていなかった雪無にため息をもう一度つく。 あれでは誘っていると取られてもおかしくないが、それを注意するには下心があり過ぎた自分に頭を振ると風呂から出てくる雪無の為に思考を切り替えケトルに水を汲んだ。 戻 |