4 午前の授業が終わり、雪無は屋上で携帯を握り締めた手が震えていた。 「来てくれるかな…」 あの後、2限目が終わった雪無は伊黒へとメールを打っていたのだ。 話がしたいから、昼休みに屋上へ来てくれないかと。 しかし伊黒からの返事は無く、弁当を広げた雪無は休み時間が終わるギリギリまで待ち続ける。 あと5分で終わると、広げていた物をゆっくりと片付けながら鳴らない携帯に視線をやった。 「…嫌われちゃったかな」 膝を地面につきながら雨の振りそうな空を見上げる。 ふと視界に何かが映り、雪無の目が見開かれた。 「…赫、蒼」 「はい」 「どうした」 「天狗が居る」 雪無が見上げた先には黒い翼を大きく羽ばたかせ勢い良く近くの森へと向かっている天狗の姿があった。 いい天狗も居れば悪さをする天狗も居る。 しかしこんな日中に人目を憚らず飛び立つとなれば異常な行動だと取れる。 「天狗はとても強いから、気付かれないように後を追って。深追いはしちゃ駄目だよ」 「了解」 「おう」 動物の姿の二匹の頭を撫でると、式神は一瞬で天狗の飛んでいった方向へ姿を消した。 光が見えなくなるまで二匹を見送った雪無は大きな音を立てて扉を開けた人の気配に振り返る。 「すまない、遅くなった」 「…伊黒先生」 「もう昼休みが終わるから、後で話は聞く。会議が長引いてな」 「連絡くれたら良かっ、!」 そう言いかけた雪無の額を袖の長い白衣が優しく小突いた。 「仕事が終わったら連絡する」 「はい。あ、でも」 「…何だ」 「少し調べたい事があるので、もし出掛けていたらごめんなさい」 ぺこりと頭を下げた雪無に伊黒の口がマスクの中で引き攣る。 しかし、朝の失態や呼び出された時間に来れなかったことを思うと強く言い出せずにただ一言そうかと返した。 「…雪無」 何か言おうとした瞬間、休みの終わりを告げるチャイムがなり雪無は慌てて持っていた鞄を背負い直して扉へと歩いていた。 伊黒の声は大きなチャイムにかき消される。 「では伊黒先生、私行きます」 「…あぁ」 わたわたと早足で去って行った雪無を扉が閉まるまで見送った伊黒はその場に立ち尽くしながら厚い雲に覆われ始めた空を見上げた。 「なかなか思うようには行かないな」 初めて恋をしたのは生徒だった。 ただでさえそこの障害は大きく、そして多難。 生徒にとどまらず同僚の冨岡さえ恋心を抱き、何かを切望するかのような視線で雪無を見ている。 以前までは仕事ならば仕方が無いと同じ日の見回りを我慢していたが、ここ最近は悲鳴嶼が調整しているのか別の者と組む事が多い。 「恋など、するべきではないのかもしれないな」 朝冨岡の車から降りてきた雪無を見て、心が荒んだ。 更には名前すらうろ覚えの女に突然呼び出され飛びつかれ、挙句雪無に見られて宇髄にすら叱られた。 要は嫉妬したのだ。 伊黒の知らない所で雪無が他の男と一夜を共にし、不可抗力とは言え恋心すら抱いていない男に触れられている所を見て我慢できなくなった。 「俺はこの先どうするべきなのか。なぁ、鏑丸」 首に巻いた鏑丸へ問い掛けると、主人を心配するように擦り寄った顎を優しく撫でながら雪無を思い浮かべる。 高等部から入った彼女を見た時、あの儚さに心を打たれた事を思い出す。 「雪無は幸せにならなくてはいけない。人の命を守る為にたった一人であのような妖と退治してきたんだぞ。まだ年も若い癖に。そんなあいつを俺が幸せになど出来ようものか」 嫉妬に塗れた自分の心を抑え込むように胸に手を当てる。 気が付けば雪無のたまに見せる笑顔や、照れた顔、触れた唇や身体の柔らかさを思い出していた。 その度に心が雪無を求め、そして報われたいと思ってしまう。 「俺は何と醜い大人なのだろう」 灰色がかった雲が小さな雨粒を落とし始める。 鏑丸が濡れないようにと白衣を被せた伊黒はゆっくりと歩き出し屋上の扉を開くと、目の前には冨岡が立っていた。 「何だ」 「諦めるのなら都合がいい」 「…っ貴様、聞いて」 「俺は諦めない」 そう無表情で告げた冨岡は言いたいことは言ったとばかりに踵を返して階段を下りて行く。 遠ざかっていく背中を唖然と見送った伊黒は小さく舌打ちをした。 「俺とて諦められるほど生半可な気持ちを向けている訳ではない」 その呟きは冨岡に届いたが、チラと伊黒に視線を向けると何も言わずそのまま視界から消えていった。 く づ つ 戻 |