アヤカシモノ語リ | ナノ
2

「だめ、じゃないです」


伊黒先生のストレートな行動に自分の指を絡ませながらそう答えれば嬉しそうに笑ってくれた。


「なら俺の事は学校以外名前で呼ぶように」

「な、名前ですか?」

「先生はつけるなよ」


嬉しそうだと思った表情はいつの間にか意地の悪い顔になっていて、伊黒先生の名前を頭の中で繰り返す。

小芭内…せ、じゃなくてさん。
 
 
「私にはハードルが高いです」


考えただけで恥ずかしくて死にそう。
自分の手で顔を覆うとソファの重心が動いて軽く伊黒先生の方へ近寄る。
それでも何もないから、恐る恐る手を開いてみると間近で伊黒先生のかっこいい顔が目の前で私を見つめていて、猫よろしく私はソファから飛び退いて驚いた。


「ふふふふふ不意打ちちちずるっ…ずるいです!」

「ふっ、ははは。まるで猫のようだな」

「からかわないで下さい」


未だに心臓がドキドキしている所を抑えながら伊黒先生に不満を漏らす。
いくら私が免疫がないからと言って反応を試すのはとてもずるい。

もう少し自分の顔の良さを知るべきだと思う。


「もう揶揄わないからこちらへ来い、雪無」

「…本当ですか」

「あぁ、側に居ろ」


私に手を伸ばした伊黒先生の手を取ると、強く引っ張られ薄いようで意外と厚い胸板に飛び込んでしまう。
いい匂いがして、優しく抱きしめられる。


「お前の事は必ず守ってやる」

「伊黒先生」

「冨岡に負けるつもりは無いからな」


自分で来ておいて何だけど、こんな展開になるとは思わなくてただひたすら伊黒先生の言葉に無言で頷くしかなかった。

私の答えに満足したのか、伊黒先生は首筋に顔を埋めると深く息を吸って吐く。


「今日も風呂に入って行くか?」

「丁重にお断りさせて頂きます!」

「なんだ、つまらん」

「私、伊黒先生にお礼がしたくてランチに誘うつもりだっただけなので…」


そこまで言うと、お腹の虫が鳴いた。
無言で見つめ合うと、伊黒先生が自分の口を勢い良く塞いで俯き肩を震わせている。


「ひゃ…」

「ぷっ、くく…腹が減っていたのか。すまんすまん、気付かなかった」

「朝から何も食べずに居たので…」


これまでに無いほど恥ずかしくなった私は伊黒先生の膝の上で自分のお腹を両手で抑えた。
恥ずかし過ぎる。


「ランチとやらに行きたい所だが、生憎車が本部でな。俺の家の物で良ければ作るか」

「あ、いえ!それなら私が作ります!」


今日はお礼に来たのだから、お邪魔した上に料理をさせては申し訳ないと勢い良く手を上げた。
授業でもこんなに勢い良く手を上げたこともないけれど。


「なら、任せようか。冷蔵庫の中の物は何でも使っていい」

「分かりました」


伊黒先生に許可を頂いたところで、膝から降りて手を洗う。
冷蔵庫の中の物を確認して、ある程度の食材を確認すると作れそうな物を頭で考える。


「伊黒先生は何がお好きですか?」

「雪無が作った物ならなんでもいい」

「…じゃあ、ぱぱっと作れそうなパスタにしちゃいますね」

「あぁ」


伊黒先生は余りご飯を食べるイメージがないので私と同じくらいでいいかと目分量でお湯を沸かして、おしゃれにパスタ入れに入ったそれを鍋に入れる。
その間にほうれん草を小さく刻み、小葱をみじん切りにした。
洋風では無く和風にしようと思ったのは、にんにくを使うのが少し躊躇われたから。

ふいに視線を感じて顔を上げると、対面式のキッチンの向こう側から頬杖をついてこちらを眺める伊黒先生と目が合った。


「…伊黒先生?」

「いや、俺の家でキッチンを使う他人が居たことがないのでな。眺めているだけだ、気にするな」

「はい」


と言われても気になるものは気になってしまうのだけど、お腹がまた鳴く前に作ってしまおうととりあえず手を進める。

その間も飽きずにずっと眺めていた伊黒先生は何も言わずにただ側に居てくれた。


「もうすぐ出来そうなのですが、使っていいお皿ありますか?」

「あぁ、出してやる」

「ありがとうございま、す」


私の後ろに向かった伊黒先生が後ろから覆い被さるように白と黒のパスタ皿を出してくれて思わず体が硬直してしまった。
伊黒先生の少し長い髪の毛が私の髪に溶け合うように重なる。


「…ふ、普通に…渡してくれませんか…」

「これが普通だが?」

「絶対嘘…」


私の胸の前で交差する腕を解こうとそこへ手を重ねながら伊黒先生を見ると目が丸くなった。
どうしてだろう。


「…あの、伊黒先生?」

「あ、あぁ。すまん」

「?」

「キスしてもいいのかと思った」


あまりに真顔で言うものだから私は声にならない叫び声を上げた。
 

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