1 理性が飛んだように濡れ女を斬り刻む伊黒を止めたのは、雪無も良く知る歴史の教師、煉獄杏寿郎だった。 唖然と煉獄の背中を見つめる雪無の肩を叩き、動きを止めた伊黒へ大きく笑いながら話しかける。 「伊黒がそんな事になるとは。よもやよもやだな!」 「煉獄先生…」 「余程北条院を大切に思っているようだ。だが怖がらせてはいかん」 動きを止め、煉獄へ振り向いた伊黒はいつも通りの表情に戻っていた。 「北条院、祓いの札とやらを頼めるか」 「あ、はい!」 散り散りになった濡れ女の欠片の付近へ祓いの札を投げると一瞬で瘴気が浄化される。 それを経ても未だに話す様子のない伊黒に向かって雪無はゆっくりと手を伸ばした。 「伊黒、先生」 「っ…すまない。俺がついていながら」 「いいんです。お願いです、こっちへ来て下さい」 名前を呼べば罰が悪そうに顔を逸らした伊黒に今度は両手を伸ばせばその場から一瞬で雪無の元へ来てその手を握った。 【療養】 「痛くはないか」 「大丈夫です。ありがとうございます」 所々瘴気を被り変色した伊黒の頬や手を撫でると、徐々に元の色を取り戻していく。 その様子を煉獄は驚きつつも黙って見守った。 「私が鈍くさいばかりにすみません。煉獄先生が来てくださって良かったです」 「うむ!通り掛かったのはたまたまだったが、役に立てたのなら良かった!」 「…煉獄、すまない」 「謝罪されるような事はされていない。謝るな」 瘴気が消えた事に気が付いていない伊黒は頬に手を当てたままの雪無に自分の手を重ねながら煉獄を見る。 珍しく素直に謝る伊黒へ首を振ると興味ありげに雪無を見た。 「北条院自身の手でも瘴気を浄化できるのか」 「出来るようになったのは最近で、それも少しですが」 「主」 「大丈夫かよ」 「うん、ごめんね。私は大丈夫だよ」 濡れ女が完全に消滅したのを確認した式神は結界を解いて雪無へ駆け寄る。 二匹の影が少しだけ薄いのは雪無の消耗が激しいからなのだろう。 「おい伊黒、主の事頼むぞ」 「ほう、北条院は式神を使役しているのか」 「私達はこの場に姿を現すだけで主の体力を消耗しますのでここで失礼します」 赫と蒼は淡い二色の光になってその場から姿を消す。 その瞬間伊黒の頬に添えていた手をゆっくり降ろすと、力無く倒れ込んだ。 「雪無…」 「ふむ。外傷は少ないが一応本部へ連れ帰るか」 「…そう言えばお館様はどうした」 「大丈夫だ!車の中でお待ちいただいている!」 気を失った雪無を抱き留めた伊黒はそっと横抱きにすると、自信満々に答えた煉獄に動きを止めた。 「おま…お前はアホなのか…?」 「許可は貰っている」 「…仕方ない。俺が暴走したせいでもある」 そのまま伊黒は煉獄の運転する車へ向かい、いつの間にか助手席に移っていた産屋敷へ頭を下げた。 「やぁ小芭内。大丈夫だったかい?」 「申し訳ありません」 「大丈夫ならそれでいい。それで、雪無は?」 「呼吸は疲労で荒くはなっていますが目立った外傷はなさそうです」 「そうか」 後ろを振り向いた産屋敷が心配そうに雪無のおでこを一撫でし、煉獄が運転する車が鬼殺隊本部へ向けて発進する。 そして、穢れたマスクをゴミ箱へ捨て膝で眠る雪無を見つめた。 (俺が…不甲斐ないばかりに) 口元に僅かに残った血の跡を拭い、外を見た。 「もうすぐ着くぞ」 「あぁ」 「まだ目を覚まさなそうか」 膝の上で眠る雪無の髪を撫でても一切の反応は無く、静かに頭を振る。 バックミラー越しにそれを見ていた煉獄は本部の入り口へ車へ止めながら頷くと、携帯で誰かに電話を掛けた。 「冨岡、今何処だ!」 「おい、お館様の耳がおかしくなる。もう少し静かに話せんのかお前は」 「相変わらず杏寿郎は元気がいいね」 にこにこと柔らかく微笑む産屋敷は特に気にする様子も無く穏やかな声でそう言うと、こちらへ駆け寄ってきた冨岡に手を振った。 「お館様、どうぞ」 「ありがとう義勇。私は大丈夫だから、雪無を医務室へ」 「…畏まりました」 助手席側を開けた冨岡は、伊黒の膝の上で眠る雪無へ視線をやると僅かに目を見開きながら産屋敷の手を取って、警護を他の者に任せた。 そして伊黒が座る側のドアを開けて、ほんの少し睨みながら雪無を抱き上げる。 「なぜこんな事になった」 「俺の失態だ」 「理由を聞いている」 「…俺が」 「義勇、小芭内を責めては駄目だよ」 冨岡と伊黒のやり取りを後ろから見ていたのか、少しばかり進んだ所で声を掛けた産屋敷が優しい口調で制する。 産屋敷に言われてしまっては辞めざるを得ない冨岡は一度頷き、伊黒を一瞥して医務室へと雪無を運んだ。 戻 |