2 伊黒は仕事を終え、言った通りに車で雪無の家に向かっていた。 神社の駐車場に車を止め、長い階段を登り家の方へ向かう。 「おう、伊黒じゃねぇか!」 「…猫の方か。お前に呼び捨てされる程仲良くなった覚えはないんだが」 「いいじゃねぇか、同業同士だろ」 最初に会った時の警戒はどこに行ったのか、人懐っこい笑みを浮かべた赫は家の玄関を開けて伊黒を中へ案内した。 そこには制服にエプロンをした雪無が居間から顔を出している。 「すみません、お迎えに行けず」 「いや、いい。忙しい時間帯だったか」 ふわりと香った匂いにちょうど夕飯の準備をし始める時間かと腕時計に目をやりながら居間へ向かう。 何日も連続で生徒の家に上がり込む罪悪感はあったが、妖の件は学校で済ませるような話では無かった為にここへ来る他なかったのだ。 「伊黒先生、良かったらこちらどうぞ」 「…貰おう」 湯気の立つお茶を間髪いれずに出した雪無に頷くと、またほんの少し表情の薄い彼女が笑ったように見える。 自分の分のお茶も持ってきた雪無は伊黒の前に座り、無言で話し出すのを待った。 「突然だがお前のケータイの番号を教えろ」 「え」 「毎度この話をする為にお前の家へ来ていたらPTAが騒ぐ。同業者であるが、その前に教師と生徒という関係だ。それを防ぐ為にまずは北条院、お前の番号を俺達で共有したい」 「なるほど。分かりました」 携帯を取り出した雪無はコードを表示して差し出すが、無言でそれを見続ける伊黒に首を傾げる。 「あの…?」 「やり方が分からん。お前がやれ」 「あ、はい」 伊黒の携帯を受け取った雪無は手慣れたようにアプリを起動して自分のIDを読み込ませるとアカウントを追加する。 アイコンがよく連れている蛇な事に内心ほわっとしながら携帯を返し、適当に文字を打ち込んで送信した。 「これで大丈夫です」 「あぁ。後で番号も送っておけ」 「分かりました」 伊黒は画面をタップする雪無の姿を眺めながら、首筋に巻き付いた鏑丸の顎を撫でお茶を口に含んだ。 ふと変な臭いがしてキッチンへ顔を向ける。 「おい、お前きちんと火の始末はしたんだろうな」 「あ!」 「……はぁ」 パタパタとスリッパを鳴らしながらキッチンへ引っ込んでいく雪無の後を追う。 そこには黒い煙を吐き出す鍋に直接触れようとしている雪無に気付き、急いで腕を掴んだ伊黒は彼女を引き寄せた。 「お前は阿呆なのか!そんな事したら火傷するに決まってるだろう」 「ご、ごめんなさい」 「まったく…手袋はどこだ。俺がやってやる」 「鍋掴みで良ければここに」 しょぼんとした雪無が鍋掴みを伊黒に差し出すとぶつぶつと小言を言いながら鍋の蓋を取る。 真っ黒になった煮物のような物がそこにはあったが、気にする事なくシンクへ置き水で冷ました。 その間にも肩を抱いたままの伊黒に文句も言わずされるがままの雪無は色々な意味での恥ずかしさと格闘している。 (先生近い!死んじゃう!) 「…おい。火傷していないか」 「だっ、いじょうぶです」 黙ったままの雪無の顔を覗き込むと互いに想像以上に近い距離に一瞬会話が止まる。 恥ずかしさからか、少し赤くなった頬と潤んだ瞳と目が合い無意識に抱いていた肩を強く掴んだ。 「っ、」 「…北条院」 恥ずかしい癖に目を離さない雪無の名前を呼びながら、力を込めてしまった片手を勢い良く離し身体の距離を取る。 伊黒らしかぬ行動に今度は驚いたように口を開ける雪無から顔を反らしながら背中を向けた。 「では俺は帰る」 「あ、お見送りします」 「いい。お前はそこの黒焦げをどうにかしろ。臭くて敵わん」 「はい」 「火の始末をきちんとしろよ」 そう言って雪無の家を出ようと玄関まで歩いて行った伊黒の前に人影が待ち受けていた。 「おいおい、なんて顔してんだよ」 「なんの事だ」 「雄の臭いがする。まぁ主可愛いしなぁ」 「…喧しい。顔を寄せるな」 伊黒を待ち構えていたのは赫だった。 くんくんと鼻を鳴らしながら伊黒に近付くと額を右手で押しながら革靴に足を通す。 「同業者って知る前からお前にはよく声を掛けてもらうんだって喜んでたぜ。主は俺等の前じゃ良く話すからな」 「教師としてアドバイスをしてやっただけだ」 「そうかよ。ならこれからもイイせんせーで居てやってくれよな」 言いたいことは言ったのか伊黒から離れる赫を睨みながら雪無の家を後にする。 車の鍵と携帯を内ポケットから出しながら階段を降りつつアプリを開き、一番上に雪無と表示されている所をタップした。 するとちょうどタイミング良くポコンと音を立てて新着メッセージが表示される。 【伊黒先生先程はありがとうございました。気を付けて帰って下さいね】 可愛らしい絵文字が付いた文を読めば自然と頬が緩むのを感じる。 「…後片付けをしろと言っただろうに」 そう独り言を洩らせば鏑丸が嬉しそうに頬擦りをした。 つづく。 戻 |