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冨岡義勇【キスしないと出られない部屋】
「…………」
内心俺は焦っていた。
俺は一人自分の屋敷で寝ていた筈なのに、何かの気配があった瞬間部屋は白い机とベッドが置かれた場所へと移動していた。
隣を見たら密かに想いを寄せていた定食屋の娘の月陽が寝ている。
日輪刀は側にあるが、寝起きに俺がそんなもの振り回していたら驚かせてしまう。
ここには俺と月陽以外の気配は無ければ鬼も居ない。
何かしらの血鬼術だと言うのならどこかに仕掛けがあるのだろうかと辺りは探索したが何もない。
ただ一つを除いて。
机の上にある一枚の紙だ。
【濃厚な口づけをしろ】
という巫山戯た言葉が書いてあるだけの。
俺が一方的に月陽を好いているだけで、何の関係もない従業員と客に過ぎない。
「……ん」
特に何も悪い事などしていないはずなのに何なんだこの罪悪感は。
月陽は寝間着で俺も寝間着。
肌寒いのか寝返りを打って眉間にしわを寄せた月陽がゆっくりと瞼を開いた。
「……あれ、冨岡さんだぁ」
「月陽」
「夢かなぁ、冨岡さんが居る。ふふ」
身体に異常はないかと手を伸ばそうとしたら、それに擦り寄るように頬を寄せた月陽に思わず身体が固まる。
寝ぼけているのか、だとしてもこの可愛さは心臓に悪い。
「冨岡さん、まだお店はやってないですよー」
「月陽、頼む。夢じゃないから…起きてくれ」
「……夢じゃない?」
俺の言葉にまだ半開きだった瞼がゆっくりと開かれる。
そしてしっかりと俺に視点を合わせるとそのまま上半身を起こし固まった。
その瞳には僅かに恐れが見える。
俺はその場で正座をしたまま自分の手を月陽の頬に滑らせしっかり開いた目を見つめながら今この状況を説明しようと考えた。
「落ち着いて聞いてほしい」
「と、冨岡さん…」
「お前は俺が何があっても守る。だからどうか、恐れてくれるな」
お前に怯えられるのはとても心苦しい。
そう伝えたくて出来る限りの言葉で伝えれば、月陽はゆっくりと頷いてくれた。
「とりあえず状況だが、俺もこれについては推測でしか無い。恐らく俺達は血鬼術という術の中に居る状態だ。扉も無ければどこにも抜け出せそうな所は無かった」
「けっき、じゅつ?」
「鬼という人に害を成す者がいる。その異能の鬼が使う物だ」
「鬼…聞いたことがあります」
「俺は、それを狩る者なんだが今回は鬼に遭遇もしていなければ他の場所にいる月陽が何故ここに居るのかが分からない。一応部屋は全て確認したのだが」
ふるりと震えた月陽を安心させるように肩に手を置きながらゆっくりと言い聞かせる。
しかし俺は少々その先の言葉を言うのを躊躇った。
あの紙の存在だ。
「…冨岡さん?」
「……いや」
恋仲でもない俺と口づけを交わすなど、嫌に決まっている。
何か他に方法は無いか考える為に月陽の肩に置いていた手で自分の顎を擦った。
一度日輪刀で壁を斬りつけてもいいと考えに至った俺は月陽に許可を取ろうと顔を上げたその時だった。
「あの、冨岡さん…これ」
「それは」
「もしかして、これをしたら出られるのでは?」
顔を真っ赤に染め上げた月陽が隠しておいた筈の紙を持っていた。
きっと内容も読まれてしまったのだろう。
そう思うと変に心臓が痛くなる。
「…大丈夫だ。そんな事をするつもりはない」
「で、でも…試してみる価値はあるのでしょう?」
「しかし、月陽は」
「私は夫も恋人も居ません。冨岡さんもご多忙でしょう、私は良くとも貴方を足止めしては困る方も多いと思います」
だから、してください。と言った月陽の艶やかな唇に目が行ってしまった。
俺を気遣いそんな事を言わせてしまわないようにと考えていたのに、必死で震えを堪えながら決意を決めてくれた月陽に申し訳が立たない。
しかし、嫌がる想い人にそんな事は強要したくはない。
俺も覚悟を決めようと、姿勢を正して月陽の目を見つめた。
「…一つ、言っておきたいことがある」
「は、はい」
「俺は、月陽が好きだ。だから、別の手段を試させてはくれないか。お前に嫌な思いなどさせたくはない」
「冨岡さんが、私を?」
「あぁ。だからすまないが、俺にはそれをする事が出来ない」
嫌われてもいい。
月陽が悲しい思いをするのなら、俺の秘めた想いを言ってしまうくらい大したことはないと言い聞かせた。
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