夜8時、可愛らしい音楽と共にスマホの画面にパッと表示されたのは名前ちゃんの大好きな彼、芹さんの名前でした。名前ちゃんは慌てて画面に指を滑らして電話に出ます。
「も、もしもし!」
緊張して唇を舐めました。付き合い出してからもう1ヶ月経ちますが、未だに慣れない名前ちゃんはスマホを握る手に力が入っています。名前ちゃんの上擦った声を聴いて電話越しに芹さんは笑いを堪えました。
「もしもし、今何してる?」
「今課題をやってました」
「おー偉い偉い。名前はいい子だなあ」
「そ、そんなこと…」
ないです、と心の中で呟きました。確かに課題は広げていたのですが頭の中は芹さんのことでいっぱいで、芹さん今何してるかなあ、今日は何時に連絡が来るのかなあとそんなことばかり考えていたのです。途端に恥ずかしくなって黙り込みましたが、芹さんはそれには気づかない様子です。
「俺今スタジオ終わってさ。今から軽く会える?」
「は、はい!どこへ行けばいいですか!?」
「こんな時間にひとりで行動したら危ないだろ?俺が迎えに行くから」
「大丈夫です!芹さんのお時間をわたしに割いていただくなんて、」
「なあ、名前?」
今すぐにでも出掛ける用意をしようと立ち上がった名前ちゃんは、芹さんのワントーン低い声にびくっと肩を揺らしました。芹さんはたまに真面目な声を出すのです。
「は、い」
「俺はお前に会いたいからわざわざ時間割いてんの。好きで割いてんの。だから迎えくらい行かせてくれ」
「あ…でも…」
「それとも、俺が会いたがるのは迷惑?」
「いいいえそんな!わたしも会いたいです!会いたいですけど、」
「迎えに行かせてくれなきゃ会うのやめちゃおっかなー」
「せ、芹さん…」
名前ちゃんはただ芹さんに迷惑をかけたくなかっただけなのですが、これでは芹さんにすら会えなくなってしまいます。名前ちゃんはその場をうろうろしながら困りました。
「そこまでしていただかなくても…」
「彼女は普通彼氏に迎えに来られるもんなの」
「そう、なんですか…?」
「そう。じゃあ支度だけしといて」
交際経験のない名前ちゃんはどういったことが“普通”なのか分かりませんから、芹さんに変だと思われたかな、と自信を無くしました。電話が切れたスマホから手を離し、緊張が解けたようにその場に座り込みます。
「彼女はお迎えにきてもらうものなのかあ…」
名前ちゃんは大きく深呼吸をしました。
****芹さんがお家に着いたのはそれから20分も経たないくらいでした。慣れたように車を停め、名前ちゃんを待ちます。名前ちゃんはおずおずと助手席に乗り込みました。
「こ、こんばんは」
「こんばんは。今日も可愛いなあお前は」
「へあ、あ、そんな…こと…」
ストレートに褒められると気恥ずかしくて声が消え入りそうになってしまいます。芹さんはわしゃわしゃと名前ちゃんの頭を撫でると、楽しそうに笑いました。それからゆっくりと車を発進させていきます。
「今日は真っ直ぐ家に帰ってきたのか?」
「き、今日は、友達と少し寄り道を…」
「ふうん、どこに?」
「駅前のジェラート屋さん…」
「あー、あそこハルが美味いって言ってたなあ。美味かったか?」
「はい、すごく…」
「良かったな」
彼氏とはいえ男の人に慣れてない名前ちゃんは緊張しながら会話を進めますが、芹さんは全く気にした様子もなくすらすらと話してくれます。それが何とも心地好く、日が経てば経つほど名前ちゃんは芹さんに惹かれていきました。芹さんは優しいなあ、好きだなあ。初めはただ好きなバンドのメンバーというだけだったのに、今ではすっかりめろめろです。
「俺らの方は今日も順調に練習できたよ。まあ、新曲のことになるとまたあいつらが喧嘩し出すんだろうけど」
「新曲、次はいつ発表なんですか?」
「うーん、もう少し先になりそうだな。そんな嬉しそうな顔するなって」
「う、はい…新曲は嬉しいです」
片手で頭を撫でてくる芹さんは嬉しそうに笑っていて、名前ちゃんも嬉しくなりました。Liar-Sの話をしているときの芹さんは本当に輝いています。1ヶ月前まではLiar-Sの存在すら知らなかったのに毎日こうして芹さんがお喋りしてくれるのでもう随分詳しくなってしまいました。千哉さんは次どんな曲を書くんだろう、楽しみだなあ。名前ちゃんはすっかりLiar-Sのファンです。
暫く走ると暗い山の中に着きました。周りには何もなく、人の気配もしませんが、名前ちゃんはここに連れてこられた理由を一瞬で理解しました。見下ろすと一面に綺麗な夜景が広がっていたのです。
「わああ…!」
「ちょっと降りようか」
「はい!」
芹さんはいろんなところを知っています。物知りですねと言っても、俺じゃなくて回りがな、いろいろ教えてくれるんだよ、なんて言いますが、芹さんは実際物知りでいろんなところに連れていってくれます。名前ちゃんはこんなに素敵な夜景を見たことがありません。
「芹さん、すごいです!」
「はしゃいじゃって、可愛いな」
「か、かわ、!?」
「ははは、そういうとこも可愛いよ。しかしほんと綺麗だな」
はしゃぎ回る名前ちゃんに寄り添うように芹さんが横に来て名前ちゃんの肩を抱きます。引き寄せられる力が優しくて名前ちゃんはドキッと胸を鳴らしました。夜風がまだ肌寒くて、隣に芹さんがいるのがちょうどいいです。
「寒くないか?」
「あ、だいじょぶ、です」
「ん?」
「へあっ、な、なんですか…」
「いやー?」
芹さんはぐぐっと背を屈めて名前ちゃんの顔を覗き込みました。ますます心臓が暴れ出し、名前ちゃんは落ち着かない様子です。芹さんがにやにやと笑いますが意図が見えません。
「な、なんです、か!」
「可愛いねえ、まだ慣れないんだ?」
「なれ、?」
「俺のこと。どきどきしてるだろ」
芹さんが顎を持ち上げて自分の方を向かせますが、芹さんの目を見ていると心臓が張り裂けそうになるので名前ちゃんはじたばた抵抗しました。こんなにかっこいい人が自分をじっと見つめるのが堪らなく恥ずかしいのです。
「せ、せりさん、からかわないでください…」
「からかってないよ、可愛いと思ったから可愛いって言ってるだけ。お前は本当に可愛いよ」
「せりさん…」
ちゅう、とそのまま顎を固定されてキスをされました。何度もしているのに全く慣れません。芹さんの唇は柔らかくて、名前ちゃんは気持ちよさそうに目を閉じます。その間にも心臓は大暴れしていて緊張で死にそうです。ちゅ、ちゅう、角度を変えながら芹さんは名前ちゃんの唇を食みました。
「ん、せり、さ」
「んー?」
「む、ぅ、ん」
「なぁんだよ」
唇が重なるだけのキスなのですが、名前ちゃんの体からはすっかり力が抜けてしまいます。芹さんの服をそっと掴むと、芹さんはその手に自分の手を重ねました。あったかくて硬い、大好きな芹さんのおててです。
「芹さん…」
「大好きだよ、名前。可愛い」
「せりさん、ん」
名前を呼ぶことしかできない名前ちゃんを芹さんは満足そうに見下ろしました。頬を指で撫でて感触を楽しみます。顔真っ赤にしちゃってほんと可愛いなあ、まだどきどきしてんだろうなあ。芹さんは名前ちゃんの慣れない様子を見るのが大好きでした。もっと先を教えたくなってしまいますが焦ってはいけません。夜風に当たり、芹さんは少し寒くなってきましたが火照っている名前ちゃんはちょうどよさそうです。せりさぁん、なんて甘えた声を出して芹さんの手に頬を寄せました。
「そろそろ車に戻るか」
「はい…」
「ったく、そんな顔しやがって」
生意気、と芹さんは名前ちゃんの鼻を摘まみました。さっさと車に戻ってしまう芹さんの背中を見つめながら、な、生意気?と首を傾げます。無自覚な名前ちゃんは車内に入ってからもそのとろとろなお顔で芹さんを誘惑し、たくさんのキスを与えられるのでした。
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