「す、ごい…」

すごい、すごい!
感極まっているときに語彙力が低下するのはよく聞く話ですが、名前ちゃんも例外ではなかったようです。初めてのライブハウスに初めてのバンドの生演奏、びりびりと煩いくらいに鼓膜を叩く音楽達に名前ちゃんは目をキラキラさせました。すごい!何これ!名前ちゃんは一瞬で心を掴まれます。低く響く声が切なげに掠れたり張り上げられたり、その美しい曲調をしっかり捉えて感情を乗せて届けられるような歌、それからそれにぴったりハマっていく演奏達、個性があるのに全体のバランスがとれていて名前ちゃんの心を揺さぶりました。

「かっこいい…」

ぼそりと呟いたそれは演奏が終わると共に沸き上がる歓声で掻き消されてしまいましたが驚くわけでもなく、名前ちゃんはぎゅううっと胸元の服を握ると胸が張り裂けるようにばくばく高鳴っていることに気付きます。すごかった、かっこよかった。薄っぺらい言葉しか出てこないくらいに気分が高まっているようです。名前ちゃんは、ほぅ、と溜め息を吐き、そのバンドがステージから見えなくなるまでずっと目で追いながら心臓を暴れさせていたのでした。


****


ライブハウスを出てからも名前ちゃんはどきどきしていました。余韻はなかなか抜けないもので、まだ頭の中では演奏が続いているように思えます。ふらりふらりと歩いていると、大通りから1本反れた別の道に出てきてしまったことにようやく気付きます。

「あ、れ」

きょろきょろ辺りを見渡しますが名前ちゃんには覚えのない道のようです。人気が全くないわけではありませんが大人がたくさん出入りをしていて、まだ高校生の名前ちゃんは場違いのように感じます。どこだろう、こわい、帰りたい…。名前ちゃんは探り探り歩みを進めますが、どんどん知らない道へ入っていくばかりです。不安で思わず泣きそうになりながらも名前ちゃんは人に道を尋ねることにしました。

「あ、あの、っ」

もともと声が大きい方ではない名前ちゃんが頑張って声をあげても誰も聞いてくれません。一生懸命近付いていっても足早に交わされてしまいます。ひとり、ふたりと失敗し、名前ちゃんはいよいよ眉を下げて目に涙を溜めていきます。今日はいい日だったのに、はやく帰りたいよお。名前ちゃんが肩を落とした瞬間、その肩をぽんっと大きな手に叩かれました。

「きゃっ!」
「っと、悪い…、大丈夫か?」

勢いよく振り返ると自分より遥かに背の高い男のひとが名前ちゃんを見下ろしていました。

「ひっ!」

見覚えがある顔に名前ちゃんは息を飲みます。思わず失礼な声を上げてしまいましたが、さらに失礼なことに名前ちゃんはそのひとの顔を力なく指を指すのです。


「あ、あ、あの…!」
「いや、変なやつじゃないぞ、俺はただ、」
「さっき、ドラムしてたひとじゃないですか!?」
「はっ?」

失礼すぎる名前ちゃんは驚きの余り直球に質問を投げ掛けました。先程のライブハウスで出演していた中のひとつのバンド、そして名前ちゃんが惚れ込んだバンドのドラムを演奏していたひとが目の前に立っているのです。名前ちゃんはどんどん頭が混乱してきました。

「そうだけど、もしかしてライブ来てくれたのか?」
「はい、あの、わたしはじめてで、あっそうだ、おなまえ、お名前はなんていうんですか!?」
「また朔良以外は興味ない子か…」
「え?」
「いや何でもない、俺は結崎芹っていって、」
「あ、そっちじゃないです、バンドの名前を…」
「何、もしかしてLiar-Sを知らなかったのか?」

はいっ!と大きく返事をしたあと、失礼だったかななんて名前ちゃんは視線を落としました。勢いでがっついてしまいましたが、ライブハウスの様子を見ていてもLiar-Sが人気バンドだということは一目瞭然、無知のまま話すのは失礼かと思ったのです。今更すぎることですが名前ちゃんはおろおろと口許に手を当てて視線を泳がせます。

「あ、あの、ごめんなさい、わたし…」
「あははっ、いいっていいって!それより君何してたの?随分困ってたみたいだったけど」
「みちを、あの、わたし帰りたくて、」

焦れば焦るほど言葉がまとまらず、名前ちゃんは喉が張り付いたようにカラカラの声しか出せませんでした。不安と焦りでどうしようもなく芹さんを見上げると、芹さんは可笑しそうに名前ちゃんを見下ろしています。

「ぶふっ、…悪い、迷子なわけね」
「わ、笑っ、」
「いやいや笑ってない、笑ってませんよー。ええっと君は、何ちゃんっていうんだっけ?」
「苗字名前っていいます…」
「名前ちゃんね、俺が送ってってやるよ、ほらおいで」
「え!?でもあの、」

芹さんは強引に名前ちゃんの手を掴むとぐいっと引き寄せて真っ直ぐ歩き出しました。ナチュラルに繋がれた手がカァッと熱くなります。名前ちゃんと違ってごつごつ骨張ったそれは芹さんが男性だということをはっきり意識させるようなもので、男性と手を繋いだことのない名前ちゃんはあわあわと口を開けることしかできません。ましてや相手はかっこいいバンドのメンバーさん。縺れる足を必死に動かして付いていきます。

「あの、ま、待ってください!」
「ん〜?」
「てが、あの、手をはなして、」
「あはは、顔真っ赤」

芹さんは楽しそうに笑い、足を止めるわけでも手を離すわけでもなく名前ちゃんをぐいぐい引っ張って歩いていきます。

「こっちが抜け道で…、っと」

すらっと長い脚が急に止まり、名前ちゃんは思わずぶつかりそうになりました。芹さんの大きな背中で前が見えませんが、振り返った芹さんはふふんと悪い顔をしています。名前ちゃんはしぱしぱ瞬きを繰り返しました。

「あ、あの…?」
「このまま帰すのやめた、ちょっと寄り道してこう。時間大丈夫?」
「え、あ、大丈夫ですけど、一体どちらに?」
「この辺の通りじゃあ察しがつくだろ?ライブ後は無性に欲しくなるんだよ」
「なに、を、」

まだ喋っているのに芹さんは名前ちゃんの手をぐいっと引っ張って再び歩き出します。慌てて小走りについていきますが、そこはズラリとホテルが並ぶラブホ街。初めて見る光景に名前ちゃんは口を開けながら辺りを見回します。安っぽい看板に料金表が大きく記されていて、その中のひとつに芹さんが入っていきました。名前ちゃんはギョッとしながら足に力を籠めます。

「や、な、何ですか!まさかこの中に!?」
「え……何か不満か?」
「不満と、いうか…」

え?と名前ちゃんは声を漏らします。けろっとした顔で当然のようにホテルに連れ込もうとする芹さんはまるで拒む名前ちゃんの方がおかしいと言っているような態度です。名前ちゃんは経験がないものですから、あ、あれ、ここってそういうお店じゃなかったんだっけ、わたしの勘違いだっけ、と混乱してきました。つい足から力を抜いてしまいます。

「来ないのか?」
「へ?あ…?」

訳がわからず名前ちゃんは芹さんに付いていってしまいました。
受付には誰もいなくて部屋をボタンで選択していきます。手慣れたように芹さんが操作し、あっという間にエレベーターへ、ぽかんとしている名前ちゃんは置いていかれそうです。

「名前ちゃん?」
「あ、はい!」

へえ、カラオケなんてあるんだあ、と呑気なことばかり考えている名前ちゃんは狼の怖さを知らないようでした。部屋に着くと想像よりずっと広い空間がふたりを待っています。目を輝かせた名前ちゃんは芹さんがにやにやしていることには全く気づきません。

「わああ…!ひろい!」
「初めて来た?」
「はい!テレビもおっきいです!」
「そうだなあ」

芹さんはベッドサイドに腰を降ろし、部屋をぱたぱた駆け回る名前ちゃんをじっと見ていました。わあベッド大きい、お風呂広い、あっちこっち興奮気味に感想を述べて名前ちゃんはやっと芹さんの元へ帰ってきます。大きな目で芹さんを見つめながら可愛らしく小首を傾げるのです。

「あの、それで、何故ここに?」
「何故って、冗談だろ?おいで」
「?はい…」

名前ちゃんは呼ばれるがまま芹さんに近づくと、芹さんに手首を掴まれて引き寄せられます。バランスを崩して倒れるように体を預けると、芹さんはその小さな体を自分の腕の中へ収めてしまいました。

「へっ、あ、あの!?」
「なぁに純情ぶってんだか、こんなとこまでついてきてさ」
「こんな、とこ?」
「ほら、しようぜ」

芹さんはちゅ、ちゅ、と名前ちゃんの額や頬にキスを落とすと、そのまま自分の体をベッドへ倒します。一緒になって倒れる名前ちゃんはびっくりして芹さんの胸板を押しますが、そんなもの抵抗には入りません。ぐいっと顎を掴まれると近すぎる顔の距離に名前ちゃんはボボッと顔を赤くさせました。整ったパーツが名前ちゃんの視界を占めているのです。

「っふあ、なにを、」
「黙ってろって…」

芹さんはそのまま名前ちゃんの唇へ自分の唇を重ねました。ちゅう、とリップ音と一緒にしっとりした唇の感触を感じます。名前ちゃんは初めてのキスをこんなところで奪われてしまったのです。抵抗していた手から力が抜け、力無く芹さんを見つめることしかできません。一旦唇を離した芹さんは名前ちゃんの顔が真っ青なことに気付きました。

「名前、ちゃん?」
「なんで、こんなことするんですか…」
「えっ」
「わたし、はじめてだったのに」

目頭が熱くなってきて名前ちゃんは目に涙の膜を張ります。ギョッとした芹さんは慌てて名前ちゃんの頬を手で包みますが、名前ちゃんはそれと同時にほろりと涙を溢しました。うわ、泣いた、と芹さんは困ってしまいます。

「初めてって、キスが?」
「…ぅっ…、」
「あー…、悪い…」

こくんと頷いた名前ちゃんの頭を芹さんは優しく撫でました。ライブ後の興奮でワンナイトを誘った女の子がまさか処女だなんて思いもしなかったのです。参ったなあ、面倒だなあ、なんて最低なことを考えながらも芹さんは頭を撫でる手を止めません。ファンと寝るときは当たり外れがありますが、こういう形で失敗したことは1度もなかったのです。あったかい手で髪を撫でられ、名前ちゃんはぐすぐす鼻を啜りました。

「せ、せりさん、でしたっけ」
「ん、はい」
「せりさんは、わたしのことが好きなんですか?」
「はい?」

名前ちゃんは泣きながら芹さんを見上げます。やっと視線が合った名前ちゃんは目がとても綺麗で、芹さんは思わず魅入ってしまいました。よく見れば垂れた眉もとても可愛く、そして幼く見えます。

「彼氏じゃないひととこんなこと、しちゃだめなんですよお…」
「ぶふっ、…そうだよな、ごめんな」
「今笑っ、」
「笑ってません!名前ちゃんが可愛くてついさ」

優しく微笑む芹さんは次第に不安になってきました。この子一体何歳なんだ?芹さんのシャツを握りながら名前ちゃんは目を擦ります。

「芹さんはわたしと付き合いたいってことですか…?」
「え、いや、それは」
「でもわたし、芹さんのこと全然知らないですし、無理ですよお…」
「いやだから…」

告白すらしていないのにフラれるのはちょっとプライドが許しません。芹さんは名前ちゃんの頬を持ち上げると再びぷっくりとしたその唇に優しくキスを落とします。一瞬ですが先程より甘く優しいキスでした。

「せ、りさ」
「残念だなあ、俺はこーんなに名前ちゃんのことが好きなのに、まだ俺のことを知らないってだけで拒否されちゃうのか?」
「え、え、」
「知りたいと思うから付き合うんだろ?俺のこと興味ない?知ろうともしてくれない?」

芹さんが、ん?と首を傾げます。近くで優しい顔をされるといくら知らないひととはいえ名前ちゃんはドキッと胸を鳴らしました。芹さんはその間にも髪をすくように撫でていて、名前ちゃんは困って視線を泳がせます。

「え、と、それは…」
「なあ、俺と付き合おうよ、名前」
「!」

急に名前を呼び捨てにされ、名前ちゃんの体温は一気に上昇しました。芹さんは、いや?だめか?と切なげに眉を寄せます。そんな目で見られたら、名前ちゃんは何も言えません。

「あ、あの、嫌では、ないですけど…」
「じゃあ俺の彼女になってくれるのか?」
「う…、あの、はい…」

驚くほどちょろい名前ちゃんに芹さんはにっこり笑顔を浮かべます。おでこにちゅっと口付け、名前ちゃんの頭を撫でました。ちろちろ落ち着かない様子で視線を泳がす名前ちゃんの顔は真っ赤です。

「ありがとう、大好きだよ」
「へ、あ、はい…」

芹さんは面白い玩具を手に入れたとばかりにご機嫌でした。なんて性格が悪いのでしょう。赤面名前ちゃんの頬を指でなぞります。

「ところでお前、何年?どこの大学だ?」
「えっあ、だ、だいがく?」
「悪い、歳は近いように見えたけど、まさか年上か?」
「あ、いえ、わたし、高2なんです…」

きゅ、と恥ずかしそうに閉じられた唇を見て芹さんは早くも自分の言葉を後悔しました。まさか未成年、さらに高校生に手を出してしまうなんて、これは責任重大です。まずいなあ、そうかあ、高校生かあ。芹さんは動揺しているのが伝わらないように名前ちゃんを撫でる手を止めませんでした。
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