げっ、と顔を歪めてしまうのは素直過ぎるわたしの悪いところだが、こればかりは仕方ない。随分前に見付けたお洒落なカフェに、近頃岸辺露伴が居座っているのだ。可愛らしい雑貨と爽やかな観葉植物、明るい照明、そして居心地の好い雰囲気。週の半分はここで癒されているというのにあの男がそこに居るというだけで話は変わってくる。彼はいちいちこちらの感情を逆撫でするような無神経で無遠慮な男なのだ。

「こんにちは、先生。お仕事は宜しいんですか?」
「やあ、キミか。今週分の原稿ならもうとっくに仕上がってるよ、見たいのか?」

入り口付近に座っている彼を無視して自分の時間を過ごすのは大変困難だ。これは性分とでも言うのだろうか、相手がどんな人間でも知り合いである以上知らん顔はできない。渋々声を掛けても彼はそれに気付かない。顎で座るように促されて、やはり今日もしっかり相席させられてしまうのだ。

「あの……、先生はよくこちらへ?」

いつも通りの注文をするわたしをじろじろと観察する彼から逃げるように問い掛ける。漸くゆっくりと視線が外れてくれて少しだけほっとした。

「よくって程じゃあないさ。キミこそよく来てるんじゃあないのか? ここのところ会うよなァ、偶然」

偶然?
眉がぴくりと持ち上がりそうになる。ここにずっと通っていたのはわたしの方で、わたしが常連だと知ってからも後から通い出したのは彼なのだ。わたしだったら彼の行き付けだと分かる店は絶対に行かない。その証拠に、どんなに近所にあろうとドゥ・マゴに寄り付いたことがなかったのだ。弾まない会話を察してか、いつもより早く提供されるカフェラテに心の中で感謝する。

「キミ、いつもそればかり飲んでるよなァ〜。そのクマの為か?」
「ラテアートのことですか? このクマさん可愛いですよね」
「ぼくの感性とは違うが、これも一応メモしておくか」
「漫画のネタに使うんですか?」
「ああ、女性キャラを書くときのモデルが少ないからな。一応キミも参考にさせてもらうよ」

スケッチブックにサラサラとメモを取り始めた。あの岸辺露伴が描く漫画にモデルとして使用されるなんて少し誇らしいが、彼のことだ、相手は誰でもいいに決まっている。それでも密かに漫画を追っているわたしにとっては嬉しいことに変わりはなく、あんな素敵なストーリーを描く岸辺露伴がどんなに変わった人間でも目を瞑ることができるのだ。クマのアートをなるべく崩さないよう、静かにカフェラテを一口流し込む。

「先生は身近な方をモデルにすることが多いんですか?」

もうメモを終えたのか、スケッチブックを畳んだ彼はペンを置いてわたしをじっと見詰めた。なかなか言葉が返ってこない。途端に居心地が悪くなり、もう一度カップを傾けて口を濡らす。

「さっきからあれこれ聞くけど、キミ、そんなにぼくに興味があるのか?」
「はっ?」
「キミの質問だが、答えはYESだ。身近な人間の方がリアルだろ? 中でも康一くんはよく参考にしてるよ」

質問の答えなどどうでもいい。彼の漏らした言葉の意味が解らず、何だか馬鹿にされているようで腹が立った。わたしが好意を持っているのはあくまで漫画家の岸辺露伴であって、わたしの癒しの時間を邪魔しに来る不躾で傲慢な男ではない。ラテアートが崩れようと構わずカップを傾けると、ショルダーバッグを肩に引っ掛けて席を立った。

「それでは先生、わたしはこれで失礼します。次週も期待しておりますので」

さようなら、たくさんの思い出が詰まった珈琲店。彼がここに居座る限りもう二度と来ないと誓い、足早に店を去る。やはりあの男は、苦手だ。



(( 理由なんてないけれど ))



初めの一週間は何事も起こらなかったが、次の週からはまた頭を抱えることになった。わたしの行く先行く先に岸辺露伴が居るのだ。最初は本屋で“偶然”会ったが、彼も漫画家だ、本屋に居たっておかしくないと思って大して気にしていなかった。その次に会ったのは近所のOWSON。これも特別気にはしていなくて、一言二言言葉を交わして足早に立ち去った。しかし、同じ街に住んでいても今まではそんなに遭遇しなかった彼に次々と“偶然”遭遇していくことにだんだん不信感を覚えていく。駅前のCDショップ、昔からある喫茶店、大通りの花屋さんに、眺めのいい公園まで。彼は“偶然”わたしに会う度に取材の為だと説明したが、流石におかしい。これは“偶然”なのだろうか。

「こんにちは、先生」
「キミか。よく会うなァ、いつもここを通るのか?」
「ええ、たまに」

今日も例外なく彼に出会う。これは“偶然”なんかではないと確信を持ったわたしは、それだけ答えてその場を立ち去ろうとした。だって、気味が悪い。それなのに彼は「おいッ」とわたしを呼び止める。

「何ですか、先生?」
「キミ、まさかぼくを避けているんじゃあないだろうなァ〜ッ、どういうつもりだ?」

じろりと睨まれた。どういうことかなんてわたしが訊きたい。どうして彼はわたしなんかに構うのか、忙しくしているはずの大人気漫画家がどうしてわたしの行動範囲を予測して偶然を装って待ち伏せているのか。プライドの高い彼がわたしなんかをわざわざ待っていただなんて言うはずもないのは承知で、それでも腹が立ち、訊かずにはいられない。

「先生こそ、随分お時間がおありのようで。外出ばかりなさっていて原稿は大丈夫なんですか?」
「この岸辺露伴を舐めるなよ、原稿なんてとっくに終わっているさ」
「じゃあ今日もこんな何もないところで“取材”だと言いたいんですか?」

嫌味を織り混ぜて睨み返す。彼はますます眉間に皺を寄せ、苛立ちを隠さない。腕を組んでわたしを静かに見下ろした。

「キミ、何が言いたいんだい」
「はっきり言わせて頂きます。先生は最近わたしを尾けていませんか?」
「はあ? ぼくが? キミを? どうしてそんなことをするんだ?」
「解らないから訊いているんです」

彼は途端に口を噤み、沈黙を貫く。何かを考えるように視線を落とし、その動作が決してわざとらしいわけではなかったが一応じっと観察した。何を考える必要があるのか、と。

「ぼくはキミを尾けていない。ただ……、そうだな、キミに避けられる理由は気になっていた」
「わたしが、避ける?」
「恍けるなよ。キミは最近あの店に行ってないだろ」

今度はわたしが問われる番だ。確かに彼からすれば先に避けたのはわたしの方なのかもしれないが、それ以前にわたしは行き付けの店に彼が通う理由が解らないから避けたのだ。わたしから仕掛けたように言われるのは本意ではない。

「何故わたしなんかに避けられることが気になるんです? あのカフェにいつ行こうが構わないじゃないですか」

わたしの言葉に彼の目が細められる。

「キミ、本当に何も解らないのか」

やはりカチンと来る言い方をする。いつだってそうだ。どこか人を見下しているというか、彼の傲慢な性格が滲み出る口調が癇に障る。理由が解らず直接問い質すわたしがまるで馬鹿みたいだ。そちらがその気なら、こちらだっていつまでもにこにこ大人しくはしていられない。

「まさか、わたしのことが好きなんですか?」
「ああ好きだよ、悪いか?」

えっ、と間抜けな声が出る。傲慢な彼に対抗するように自意識過剰な発言を返して意地悪く鼻で笑ってやろうとしたのに、この返事。「なんだ、気付いていないのかと思ったよ」なんて続ける彼にますます動揺した。あの岸辺露伴が、わたしを? 意味が解らない。質問前よりも今の方が、ずっと意味が解らない。

「先生が、わたしを? な、何故? それでわたしを尾けて……?」
「オイオイ、尾けてはいないって言ってるだろ。失礼だよなァ、キミ。キミの単純な行動パターンは簡単に察しが付くんだよ」
「何故わたしを構うんです? わたしは先生に何もしてないじゃないですか……?」

彼はふいと顔を背け、声のトーンをぐっと抑えた。

「……ぼくだって解らないさ、そんなこと……」

気まずそうに唇を尖らせた彼はいつもよりずっと人間らしかった。彼もこんな表情が出来るのだと感心する。そして、この表情をさせているのが自分なのだと自惚れると、途端に顔が火照っていった。

「その顔は興味深いな」

視線が絡み合う。彼の手がこちらに伸び、わたしの顎を捉えた。どうして彼はこんなときですらわたしを観察対象としてしまうのか、どうしてそんな嬉しそうな目をするのか、どうして、わたしは彼にドキドキしているのか。彼の手を振り払えない。

「や、やめてください、先生……」
「オイオイ隠すなよ、珍しい顔をしてるぜ。キミもぼくのことが好きなのか?」
「違います!」
「いいや、違わないさ。キミ、自分でどんな顔をしてるか解らないのか? ぼくに惚れてるって顔だ」

その自信はどこから来るのだろうか、やはり彼は自分を中心に世界を回している。都合の良い解釈でわたしを丸め込もうとしているに違いない。どんなに彼の漫画が好きだと言っても相手はあの変人な岸辺露伴だ。わたしが恋に落ちる筈がない。それなのに。

「……ほら、拒まなかっただろ」

頬を優しくなぞられ、一瞬だけ重なった唇を指で辿られる。御丁寧に睫毛を伏せて彼を受け入れてしまった自分に言葉が出てこない。突然の感情に頭が真っ白になるが、追い打ちをかけるように彼の唇がもう一度、わたしのそれにしっとりと重なった。何故わたしは彼を拒まないのか解らない。それどころか、彼の服の裾をおずおずと握り、柔らかな感触に眉を下げてしまう。わたしが彼に訊ねたときにそんなこと解らないと言われたように、わたしだって何故かと訊かれたら解らない。ただこの温もりを随分前から求めていたような気さえする。あんなに苛立っていた感情が鎮まってしまう。

「先生はわたしのことが嫌いなんだと思っていました」
「嫌いなときもあるさ、生意気だからな」
「わたしだって先生のこと嫌いですよ」

また、売り言葉に買い言葉。彼もムッとしながらわたしの顎を引っ掴んだ。好きだと言うのならもう少し優しくしてくれればいいのに、この岸辺露伴は誰かに合わせるということはしない主義なのだ。

「キミは自分が思っているより顔に出るタイプだよなァ、見ていて飽きないよ」
「へぇ、今はどんな顔をしているんです?」
「ぼくのことが好きでどうにかなりそうって顔かな」
「大嘘」

ふっ、と笑うと唇に噛み付くようにキスされる。理由なんかどうでもいいような気がしてきて、彼の腰に腕を回した。ほんの少しだけ、この気分屋な彼の気まぐれに付き合うとしよう。

END
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Twitterの「#夢書きの同キャラ台詞御題企画」というタグ参加の短編です。名前様、お付き合いありがとうございました。
20190210
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