月の光に照らされたその姿に、主が短刀たちに聞かせていた昔話を重ねてしまうほど、その日の月も、空気も、主も綺麗だった。

人の身体を持ち感情を持った俺は、あの日初めて、ぼろぼろと名前の無い涙を零した。

「長谷部に話があるの。」
夕餉の時間に皆と食事を摂る主が俺の横で珍しく小さな声で呼んだ。周りに聞こえないような声だったから、おそらく他には聞かれたく無い内容なのだろう。
「食事が終わったら部屋まで来て頂戴」
「拝命致しましょう」
茶碗を重ね、先ほどまで燭台切が立っていた流しへと歩いていく主に、俺の隣に座っていた加州が首を傾げた。
「主、元気ないよね、なんかあったの?」
「別になんでもない」
確かにいつも食事中は皆に話しかけているのに今日は自分からは言葉をかけず、返事も上の空だった。
「体調悪いんじゃない?後で聞いてみてよ近侍でしょ」
まぁ俺は主のだーいじな初期刀ですけど。と俺をニヤニヤした顔で見てくる加州を睨む。

「お前に言われずとも聞く」

自分の茶碗を持って立ち上がれば加州は眉間にシワを寄せ俺を睨んだ。

食器を下げたあと、暖かいお茶を用意し主の部屋へと向かった。俺たちの部屋から少し離れたところにある主の部屋は鈴虫の声が良く聞こえ、縁側では月が綺麗に見えることから酒飲みたちがよく集まり賑やかだ。それなのに今日という日はとても静かで、鈴虫の音色だけが聞こえていた。

「長谷部です、入りますよ主」
「はーい」
戸を開き部屋に入ると机に置いた真っ白い紙に手を置き、こちらを見て笑う主がいた。
顔は疲れているようにも見え、きゅっと心がつねられたような気分になった。
「報告書ですか?」
業務が終わっていなかったのか?仕事のお手伝いだから俺を呼んだのだろうか?邪魔にならないように他の刀たちは近づかせていないのか?その姿を見て自分の役割を即座に思いつく。持ってきた暖かいお茶を机の端に置き「熱いのでお気をつけ下さい」と言えば、うん、と短く気の抜けた返事が聞こえた。

下がってもよい、と言われないためやはり仕事の手伝いかと部屋の戸の近くに座っていると主がお茶へと手を伸ばし熱を冷ましながらも口をつけた。
「…あつっ」
「!すみません、やはり冷ましてから持ってくるべきでした」
「ううん、大丈夫!ちょっとぼーっとしちゃってて」
素早く主に近づくと主から鼻をすする声が聞こえ顔を覗き込む。

「あ、るじ…?」

そんなに熱かっただろうか?ぼろぼろと涙をこぼす主に一瞬息を吸うのを忘れてしまった。
「っ急ぎ氷を持ってきます」
「っ違う違う!」
慌てる俺に慌てて止めに入る主に瞬きをすれば、主は困ったようにため息をついた。

「あのね、母が亡くなったの」

その言葉に主の顔を改めて見ると、困った顔と目じりに溜まった涙が今にもこぼれそうに耐えていて、目を見開いてしまった。
「ごめんね突然…」
「いえ…では、主は一度本丸を離れるということでしょうか?」
「あ、ううん!葬式とかも全部終わっちゃってるって」
親の死に際に会えなかったなぁ、と悲しそうにする主に声をかけられない。
刀の俺には親などいないからだ。

「それでね、手紙を書いているの」
「手紙…ですか?」
まだまっ白なんだけどね。指を差した先には机の上に置かれた先ほどの紙。
真っ白な紙の横には折られた紙が数枚置いてあった。

「書いたら燃やして、お母さんに届けばいいなぁって、でも何を書けばいいのかわからなくて」
思い出はたくさんあるのにね。文字にならないの。

赤い目じりや疲れた顔の原因に納得がいった。きっと今朝からずっと部屋に籠って泣きながら言葉を探していたのだろう。
「少し休憩しましょう、考えすぎると良い言葉は生まれないと歌仙が言っていましたよ」
「そう…?じゃあ、ちょっと外の空気でも吸おうかな」
戸を開け、縁側に並ぶ、ぼんやりと大きく光る月を見て、主は何を思ったのか困ったように目線を下げてしまった。

「母は、たくさんの人に泣いてもらったと思うの。人望の厚い人だったし、すごい人だったから」
「主の統率力はお母さま譲りだったんですね」
「…私なんか同じところに立ててすらいないよ」
照れたような顔が愛らしい。

「長谷部は私が死んだら泣いてくれる?」

突然の言葉に目を見開き、呼吸が止まった。
「泣…く、と思います」
「思います…か、珍しいね、」
「…俺はこの体を貰ってから近しい者をまだ亡くしていないので」
主の力でこの本丸では折れた物はいない。だからこそ、主がこんなにも悲しむ理由が俺にはイマイチ理解ができないようだ。

それに刀の時からたくさんの人の死を見てきている。

「俺たちにとっては、人の生は容易く短すぎて何度も見送っていますから」
「…それもそうね、」
目を瞑り月の光を受けるように顔を上げた主が、あまりにも綺麗で消えてしまいそうなほど儚く見え、また心臓が掴まれたような痛みが走る。
「主」
「なーに長谷部」

「主はいつか突然消えてしまいますか?」

俺の質問に目を丸く見開き、肩を震わせクスクスと笑った。

「短刀みたいなこと言うのね」
「っ、」
ふふっとハマってしまったのか笑い続ける主に自分の言葉を思い出すと顔が熱くなる。
「っごめんごめん、長谷部怒らないで」
「…怒っていません」
「怒ってるよ顔真っ赤にして目線合わせてくれないし」
笑ってごめんね、と言いながら近づいて俺の頭に手を伸ばしゆっくりと撫でる。
「突然いなくなるかもしれないし、そんなことないかもしれない、でも必ず私には長谷部達よりも先に、母のように終わりが来てしまうの」
「…はい」
「その時、私が泣いて別れを惜しんだように長谷部も泣いてくれると私は嬉しいな」
腫らした目を細め笑う顔につられて眉を顰めながらも笑ってしまう。

「わたし長谷部のこと好きよ」
「俺も主が好きです」
「うーん…ちょっと意味が違うかも」
頬を赤く染め、困ったように俺を見つめる主の言葉の意味を理解し、俺も顔が熱くなる。
「気にしないで、戯言だから」
頬を手で隠し素早く部屋に戻ろうとした主を慌てて抱き寄せる。
「あ、」
思わず抱き寄せてしまい煩く鳴る心臓の音が息を浅くさせた。
「主、俺も好きです、愛おしいと思っています」
「っ…」
「だからこそ、主が…愛しい人間がいなくなるというのを俺には理解できません」
腕の中で主がおとなしく、そして静かに俺の胸へと寄りかかる。
「もし、そのときが来てしまったのであれば俺も文を書きましょう」
「…うん…っ」
ぐすぐすと鼻をすする音が聞こえ、ああこのまま泣きすぎて干からび死んでしまったらどうしようか、人間は儚いから。と思ったが、また主に短刀のようだと笑われてしまうと思い言うのを辞めた。胸の中にある暖かさに、ふわふわと優しく頭の中を満たす。

泣き止んだ主は静かに俺から離れ、今度は目を開き月を見上げた。

目に移った月が、主の顔を灯す光が、赤く腫れた目じりが、静かな中鳴く鈴虫が、息を吸うと少し肌寒く優しい花の香りがする空気が、全てが愛おしく非現実的に思える。

「長谷部さっきの言葉約束よ」
小指を差し出した主にそっと小指を重ねる。
「私が死んだら手紙を書くこと、あと泣いてね」
ああ、短刀たちがやっていたな。と頭の遠くで思いながらも、ゆっくりと小指を揺らす。
主の優しい声が音色を紡いだ。心地の良い声と、視界に広がる美しい顔と、秋の香りと主の香りに目から暖かいものが伝った。
「ゆび切った…ってなんで泣いてるの!?」
「いえ…あまりにも全てが綺麗に見えるんです…」
主は驚いた顔をしたあとにクスクスと笑い、優しく俺を抱きしめた。きっとこの人の顔は優しく、俺を慰めるように抱いているのだろう。その姿を抱かれている俺には目にできないが、きっとこの世の物とは思えないほど美しいのだろう。

「長谷部、おはよう」
「おはようございます主」
翌朝目を腫らした主が中庭で落ち葉を集めていた。
「何かなさるのですか?」
「たき火しながら昨日の手紙を燃やそうと思って…そのあと焼き芋でもやろうかなって」
えへへ、と生き生きしながら笑った主にホッと胸を撫で下ろし手伝いましょう、と竹ぼうきを手に取る。
「ありがとう」
笑う主に胸が掴まれ、思わず手を伸ばしかける。

「あれ?あーるじ!何してんの?」
「もしかして焼き芋!?」
「安定って食べることしか考えてないよね」
「はあ?年中爪のこと気にしてる清光よりマシでしょ」
「お前喧嘩売ってんの?」
「だったら?」

「コラコラ清光も安定も喧嘩はやめなさい」

突然現れ喧嘩を始めかけた加州と大和守の中和に主が駆けていく。そして何かを指示したのか2人は走って行ってしまった。
「2人はどこへ?」
「サツマイモ取ってくるように頼んだの、静かなうちに手紙燃やしちゃおう」
持ってて、と文を渡され、主はマッチに火をつけ手早く文へと火を移す。そのまま少量の落ち葉の上に燃える手紙を置いて、手のひらを合わせた。俺も竹ぼうきを地面に置き、手を合わせた。

「長谷部、昨日の約束忘れないでね。酷な事を言ったのは、長谷部のことを一番信じて愛しているから」
主の言葉に顔を赤くすれば、いたずらの成功した子どものように楽しそうに笑い、少し屈むように言われる。
「っ!」
「…じゃあ私もっと落ち葉拾ってくるからー」
主と、唇を合わせてしまった。一瞬何が起きたかわからず固まっている間に主は駆けて行ってしまう。

優しくて辛い約束の日が、いつまでも来ないように心の中で願った。
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