「いたっ」


すこしの痛みと、にじむ赤。
手元の白菜がよごれないよう、慌てて包丁を放り出す。
流しで水に浸してよく見れば、左の人差し指が切れていた。


「大丈夫?主、ゆび切った?」


すぐ後ろで皮剥きをしていた安定がこちらを振り返る。他の刀剣達は、当番に演練、出陣と皆忙しなく、本丸で自由時間を過ごしているのは安定を含むほんの数名だけ。人数は多かれど、一人一人は常に自分の役割分担で忙しい。安定はそんな貴重な空き時間に夕飯の調理を手伝ってくれていたのだ。


「大丈夫だよ、少し切っただけ」

「本当?見せて」


大人しく左手を見せると、安定はほっとしながら「良かった」と呟いた。


「この間、加州清光が中傷で足を切り落としかけたのを思い出しちゃって。でも一応、手当をしておこうよ」


夕飯までにはまだ時間がある。今夜はみんなで鍋を囲むつもりだったので、あとは人数が集まって来たのを見計らって煮込むだけだ。絆創膏でも貼って、水がしみないようにしてもらおう。安定に左の手を引かれながら、鍋の火を消した。


・ ・ ・



手当部屋には誰もいなかった。出陣の後であればきっとそうはいかないが、ここ数日は穏やかで、演習で転んだ鯰尾たちの擦り傷を、長谷部さんが小言混じりに消毒していたくらいだった。

安定が、必要最低限のあかりを灯す。日が傾くと他の部屋よりも早く暗くなる奥座敷は、橙色の火に照らされても、まだ薄暗い。手当箱の蓋を開ける安定の影を見ながら、日の入りが早くなってしまったなぁと秋の訪れを感じた。


「はい主、ゆび、診せて」


安定は、手当される側がいつもと逆だよね、と笑った。


「はやく燭台切さんが帰って来るといいね」

「……鍋は飽きたってこと?」

「そんなことないよ、主のお鍋おいしいよ」


もちろん、安定が嫌味など言うわけがなく、ただ料理が得意な当番さえいれば、こんな怪我をしなくて済むという事だろう。大和守安定は、本丸にいる時はいつも朗らかでやさしい。


「でも」


その時、不意に淡い力で手首が引かれた。


「鉄分が足りなくて」

「えっ?」


思わぬ言葉に、意図が読めない。聞き返そうとしたが、鋭い青の両目に射抜かれて言葉を失った。


「な、に」


左手が、安定の口元に添えられる。傷に、少し笑った安定の息がかかって驚いたが、その呼吸の温度に、手首を掴む強さに、視線すら動かせなかった。


「いつも斬っているのが、血の流れない者ばかりだからかな」


普段と寸分変わらぬ安定の声色。でもわかる。纏う空気が違う。虫の声もなく、秋のわりに静かすぎる沈黙に身がすくむ。どこか遠くの部屋で、短刀たちが駆け回る楽しげな声だけが聞こえる。何か話さなければ。質問をしなければ。


「や、すさ」


「あっ!もちろん人を斬りたいわけじゃないよ。でも、どうしても、血を見ると疼くんだ。刀剣の性、なのかな、嫌だよね」


急な息継ぎに、噛まれる、と一瞬身を固くしたが、安定の歯の感覚は優しく、ゆっくりと傷に食い込んだ。鈍痛がじんじんと指先から手のひらへ、そのまま全身へと広がってゆく。安定が、自ら広げた傷口を惨むように舌を這わせるので、その柔らかさに全身の力が抜けた。


「っあ……」

「その声すごく好き」

「や、め」

「じゃあ、今度は食事時じゃないときに聞かせてくれるなら、今日はやめてあげる」


楽しげにさえ見える安定は、約束だよ、と指の傷を抉るように舐めた。


「鉄の味がするね、主も」


左腕から侵食される感覚に、呼吸をすることもままならず、誰にも聞こえないような、わずかな声だけ漏れる。安定はその音さえも貪るように、でもゆっくりと、前のめりに距離を詰める。視界の隅に襷掛けの市松模様がゆらゆら見えて、脳まで鈍くしていくのがわかった。反射的に紺を掴んだ抵抗の右手が畳に押し付けられる。鋭さを増した両眼の青が深く怪しく光る。


「ゆび切った」


庭の落ち葉に、もみじの枯葉がかさなる音がした。



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