主が幼い時にした、約束がある。読み書きを覚えたばかりの齢だっただろうか。審神者となって間もなかった幼い主と、顕現したばかりだった俺との、2人だけの約束。きっと、彼女は覚えていないだろう。幼い時の記憶など、忘れてしまうものだ。それくらいは分かっている。そりゃあ寂しくないと言ったら嘘になるが。

難しい顔をしてタブレットを見つめながら溜息を吐く主の横顔を、畳に寝そべる鵺に埋まりながら眺める。その画面に映るのは、彼女と同じ、審神者を職としている人間の写真やら名前やらのデータ。彼女との違いは、それらが全て"未婚男性"ということ。
ため息を吐きたいのはこっちの方だ。主にバレないように、その画面を睨みつけた。


 ▽ △ ▽ 



審神者になったばかりの幼い頃、普通だったら小学校に入るくらいの年齢だっただろうか。今の私の大切で大好きな近侍、獅子王とした約束がある。状況を理解できないまま両親と離され、なにも分からないまま審神者となり、毎日不安ばかりでずっと我慢し続けた涙がボロボロと止まらなくなった日。呆れたような、でも優しい顔で彼がしてくれた約束。きっと彼は覚えていないだろう。あれから20年弱。人間と神様では時間の感覚が違うから、彼にとってこの時間が長かったのか短かったのかさえ、私には分からないけれど。子どもを泣き止ませるための口約束など、ほんのささやかな出来事でしかなかったはず。もしかしたら、約束とさえ思っていなかったかもしれない。正直、すごく、ものすごく寂しいけれど。

手元のタブレットを眺めながら、何度目かわからない溜息を吐く。画面に並ぶのは、所謂お見合い写真。霊力のある審神者同士で結婚させ、強い霊力を持った子どもを生ませる。そしてその子どもを更に審神者にさせる、という政府の魂胆の元、未婚の審神者へと送られてくる物。好きでもない相手と結婚させられたって、子どもを作る気になるかと言われたら誰しもが否と答えると思うのだけれど。誰しも、は言い過ぎかもしれないが、少なくとも私はお断りだ。断固拒否したい。政府のお達しだからとこうして形だけで眺めてはいるけれど。

一際大きな息を吐いて、タブレットを書類の束の上に放り出す。ああ、この書類も今週中には片付けなくてはいけない。何もかも面倒臭い。
くくく、と笑う声がして視線を向けると、畳に寝そべる鵺の上に寝転がったまま、金色の綺麗な髪を揺らして笑う、大好きな近侍の姿。

「なーに?」
「ひっでぇ顔してる」
「そんなに?」
「そんなに」

手鏡を手に取り、自分の顔を見つめる。確かにひどい顔だ。眉間のしわをぐ、っと伸ばし、頬を引っ張る。横から更にぷ、と吹き出し笑う声がした。なんと失礼な。


 ▽ △ ▽ 



ひとしきり笑ってから、「光忠に菓子でも貰って来てやるよ」と主に伝えて部屋を出る。主があんな不機嫌そうな顔をするのは俺や初期刀の前くらいのもので、他の刀の前では別人のように澄ました、キリッとした顔をする。気を許されているのは素直に嬉しいし、密かな自慢でもあるが、やはり笑ってほしい。大切なたった1人の主なのだから。

光忠が居るのは彼の部屋だろうか。それとも今の時間なら厨で明日の朝食の下拵えとやらをしているかもしれない。何の菓子を貰おうか、主は何なら喜ぶだろうかと考えながら足を進める。そういえばこれだけ長く近侍をしていて、彼女の1番好きな菓子を知らない。甘味全般が好きなことは知っているし、彼女自身もよく焼き菓子を作っている。が、どれがお気に入りだとか、どれが1番好きだとかは聞いたことがない。というか、彼女にそれを聞いても「どれも好きだからなぁ……」と悩んでしまうのだ。せっかくなら、彼女が最も好きなもので笑顔になって欲しかったのだが。

「主の1番好きなもの、なぁ……」

少し考えてから、ふと思いついた考えに口元を微かに緩ませる。よし、と意気込んで、いつの間にか止まっていた足を早足に動かした。


 ▽ △ ▽ 



聞き慣れた足音と共に近付いてきた甘い香りに、鵺に埋めていた顔を上げる。ありがとね、と頭を撫でてやると、得意気な顔をした……ような気がする。スパーンと勢いよく開いた(私もよくやるのだが、歌仙に見られると大変怒られる)襖に目を向けると、マグカップが2つ乗ったお盆を手に乗せ、得意気な顔をする獅子王の姿。あれ、この顔ついさっき見た気がする。

「へへっ、プリン持ってきてやったぜ!」

ほい、と渡されたカップとスプーンを手に持つ。甘い香りに頬が緩む。いただきます、と一言添えて、そっと一口。ふわりと広がった甘さに、幸せな気持ち。なのだけれど。

「ねぇ獅子王」
「ん?なんだ?」
「これもしかして、獅子王が作った?」

素直に感じた疑問を伝えると、獅子王は私の大好きな銀色の瞳をぱちくりと瞬かせた。

「あれ、もうバレちまった?」

そう言ってから、悪戯っ子のような笑顔。

「だって主、俺のこと好きだろ?」

当然のように問われた言葉に、今度はこちらが目を瞬かせる。

「え、うん、好きだけど……」
「大好きな俺が作った、大好きな甘いものを、大好きな俺と食べたら、主幸せだろ?」

私は今すごく間抜けな顔をしているのだろう。なんて恥ずかしいことを、こんなに自慢気に彼は言ってのけるのだろうか。それでも、少し前まで巣食っていた憂鬱な気持ちがいつの間にやらなくなっていることに気が付いて、ふふ、と笑いが溢れる。

「なんだよ?」
「んーん、なんでもない。……うん、幸せだよ」

彼は器用な方ではない。料理はもちろん、お菓子を作った姿など見たことがない。いつもは私が作る側だから、というのもあるだろうが。心配してくれて、考えてくれたのだろう。申し訳なくも思うが、幸せな気持ちがふわふわと心に溢れている。

「なぁ、主」

目線を上げると、真剣な顔をした獅子王と目が合った。

「うん?なぁに?」
「約束、覚えてるか?」
「……やくそく?」

急に何の話だろうか。ぐるっと記憶を巡っても思い当たる節がなく、はて、と首を傾げる。それが面白かったのか、ふ、と笑い声がした。よかった、重大な約束を忘れている訳ではないらしい。

「ああ、約束」
「何の?」

獅子王がひとつ、小さくため息をついた。

「"俺がずっと、主のこと守るから"」

一瞬、時が止まったように感じた。それは、昔と、一文字も変わらない言葉。忘れるはずのない、大切な約束。目頭が熱くなるのを感じて、慌てて堪え、口を開く。

「……"じゃあ、お嫁さんにしてくれる?"」

目の前の彼が、いつかと同じ、優しい顔をする。

「"いいぜ、約束な"」


 ▽ △ ▽ 



主の瞳に溜まった涙が流れる前に、そっと親指で拭う。覚えていなくても、それでももう一度、伝えたいと思った。嬉しい誤算だったけれど。

「覚えてないと思ってた」
「主こそ」
「忘れる訳ないじゃんか、ばか」

恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑う主を見て、頬が緩むのを感じる。

「でも、何で急に?今まで覚えてるような素振り見せなかったじゃん」
「んー?幸せそうな主見てたら、主が他の奴らに取られるの腹立つなーと思ってさ」
「腹立つって……」

ふふ、と笑い始める主に、「それに、」と付け加える。

「政府の魂胆とやらも、俺となら文句ねぇだろ?仮にもカミサマだしな」
「それは……たしかにそうかもしれない……」

ふむ、と納得した様子の主を見て、ふふん、と少し得意げな顔をしてから、改めて向き直る。

「なあ主、もう一回約束しよう。俺が、主のことを守って、主のことを幸せにする」

ん、と小指を差し出すと、ちょっと驚いた顔をしてから、また微笑んで、細い指が絡められる。

「幸せにしてくれなかったら許さないからね」
「主は俺と居るだけで幸せだろ?」
「ばーか。大好き」
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