病を患ったからって主は仕事に手を抜かなかった。加州からあんな話をされなければ誰だって判らなかっただろう。早朝から遠征に行っていた俺は報告書を国広に書かせて、それを主の部屋へ届けることになっている。隊長も楽じゃない。
加州もいつもと変わらず自分の仕事を熟していた。あいつがどんな思いでいるのか想像することは難しいが、きっと穏やかではない。自分の好いた女がそんな病気にかかれば誰だって気が気じゃないだろう。さらにそれを自分の口から説明し、他の男に抱くのを促すなんて想像すらしたくない。どんな慰めの言葉も軽く感じたから何も言わなかったが、同室の安定もきっと何も言っていない。というか、加州自身があんなに平静を装っているのにそれを壊す真似は誰にも出来なかった。

「主、いるかぁ?」

主の部屋の前で立ち止まり、襖に向かって声を投げる。中からは主の足音が近付いてきたからいるんだと判断して襖を開けた。少し眠たそうな顔の主が顔を見せる。

「帰ったぞ」
「兼さん、お帰りなさい」
「…、おー」

兼さん、か。国広がそう呼ぶから加州達が真似をして俺をそう呼び、それがいつの間にか主にまで移っていた。別に何と呼ばれようが構わないが、少しからかわれているようでいい気分ではない。部屋に足を入れると主は自分の座布団の傍に新しく座布団を持ってくる。素直に俺がそこへ腰を下ろすと、主もその向かいに座った。

「ほらよ、今回の報告書だ」
「ありがとう。兼さんにしてはとっても字が綺麗だね」
「…ケッ」

国広が書いてることなんか気づいているくせに隊長の仕事を他にやらせていることは責めてこない。代わりにちくりと嫌味を言われるから毎度居心地が悪くなる。

「今回は江戸への遠征だったけど、兼さんは3回目だったっけ?いつもと変わったことはなかった?」
「特にねぇな。報告書にも書いてある通り、俺は真面目にやったぜ」
「別にサボってたかなんて聞いてないのに」

主が苦笑いをして見せる。それから俺をちょいちょいと手招きしてきた。

「ん?何だ」
「こっち、少し頭を下げて」
「何だ何だ?」

ぐっと主に近づいて言われるがまま頭を下げると、主は俺の頭にちょこんと掌を置いた。状況がよく解らなくて固まっていると、主はそれを前後に撫でる。

「いつもありがとう。そろそろ隊長も慣れてきたかもしれないけど、これからも気を抜かないで皆を率いてあげてね」
「なっ、にしてんだっ!」

焦って主から距離を取った。やっと状況を理解した顔がどんどん熱くなってきて、腹立たしいから主を睨み付けてやる。主は可笑しそうに口許を緩ませていた。

「兼さんは恥ずかしがり屋さんだね」
「なっ、ちがっ──…」

反論しようとすると、何だか違和感を感じた。何だ? 視界がやけに靄が掛かったようで、部屋の中が暑い。訳が解らなくて部屋を見渡しても原因が解らなかった。この違和感はどこから? というか、こいつ何だかいい匂いがする。最初からこんな匂いだったか? いつからこいつはこんな美味そうだった? 動きの鈍い頭を必死に働かせようとしても上手く考えられない。どうしちまったんだ。

「兼さん…?」

主が俺を心配そうに覗き込む。ふと視界に入った主の唇が美味そうで釘付けになった。ぷっくり膨れて柔らかそう、白い肌に栄える血色のいい桃色に目が逸らせない。

「かねさ、」

もう一度主が俺を呼ぶ頃には、俺は主の手首を掴んで強引に引き寄せていた。乱暴に唇を重ねると、予想以上に柔らかい唇の感触が感じられる。主が驚いたように俺を押し返そうとするが、俺の手にも力が入った。主の手首を掴んだまま畳に押し付けると、唇を割って舌を入れる。怯えたように引っ込んでいるそれに熱を絡めていくと、主の口内からくぐもった声が漏れた。

「んん……ふ、ぅ…っ」

声を聞いた瞬間、ぞくりと背筋が震える。ただ唇を合わせて舌を絡めているだけなのにどんどん下腹部に熱が籠って、主を犯したくてたまらなくなる。何なんだよこれは。薄目を開けて主を見ると、主は必死に俺の手から逃れようと腕に力を入れたまま目尻に涙を浮かべていた。瞼を閉じているから視線が合うことはないが、濡れた睫毛を見ると背徳感と征服欲が溢れ出してくるのを感じる。だめだ、こいつは加州の女だ、手を出してはいけない。そう思うのに体はこの女を捩じ伏せて熱を突き立てることを望んでいる。どうせ刀剣との恋愛は法で取り締まられている、加州の女だなんて誰が決めた? 内に秘めた想いのままならば今ここで俺が先に自分のものにしてやるか…。ごちゃごちゃ考えているとだんだん冷静になってきた。相変わらず主の口腔をまさぐり舐め回しているから言い訳がましいが、これは例の発作じゃないか? 主から誘われるとどうしようもなくなると説明も受けた。だったら今俺がしているこれは仕方のないことだ。加州を裏切っているわけではない。

「んぁ、はあ…っ」

主が気持ち良さそうに息を漏らす。もったいない。吐息すら俺のものにしたい。貪るように唇を合わせて舌先をつつくと、今度は主からも俺の舌へ自分のを絡めてきた。主の頬はすっかり上気して厭らしい。

「は、ぁう…っ、ん、んん…」

口吸いだけで喘ぎを漏らす主は完全に雌の顔をしていた。俺らの知っている主じゃない。腰を捩って男を誘う、一人の女だ。主の体へ手を伸ばすと、主はびくんと大袈裟に肩を跳ねさせた。切なげに溢れる溜め息が俺を欲情させる。だめだ、これ以上はだめだ。これが発作なら尚更加州を呼んでやらなきゃならない。俺は自分の欲望で加州を傷つけることはしてはいけない。そう感じているのに手は主の腰を撫でている。

「あ…っ、ん、兼さん…っ」

熱を孕んだ媚びた声に、俺は限界を感じた。これ以上誘われたら加州どころか主までを傷つけてしまう。例え主が嫌がっても自分の欲望で汚してしまう気がしたからだ。主から顔を離すと、主は物寂しそうに俺を見上げた。もう怯えた様子はなく、快感を待ち望んでいるような顔。俺の息も乱れていく。

「兼さん…っ、兼さんっ、」
「っ、だめだ、…はぁっ、今加州を…」
「兼さん…っ!」
「加州を呼んできてやるから、ちょっと待ってろ…」

俺の言葉に主はハッと顔を上げ、こくこくと頷いた。もう待てない、我慢ならない、そんな顔で俺を見上げながら心は加州を望んでいる。俺は拳を握って何とか匂いに耐えると、ゆっくりと襖を開けた。匂いが漏れないように襖を引くと、中から主の声がする。

「あ…っ、ぁ、はあぁあ…っ」

もう一人で始めてやがんのか。うっかり誘われそうになりながらも必死に首を振り、俺は急いで加州を探しに行ってやった。

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兼さんは優しいですしヘタレなので人のものに手を出すのはすごく躊躇うタイプだと思います。名前様、お付き合いありがとうございました。
20170201
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