「どういうことですか…?」
「ですから説明した通りです。これは薬でどうこうできる病ではないんですよ」

事務的な口調に焦りを覚える。喉が渇いて後に声が出てこなかった。縫い付けられたように体が動かないままでいると、隣に座っていた清光が優しく手を握ってくれる。温かい大きな手で手の甲を宥めるように擦られると、思わず涙が溢れそうになった。清光はじっと男を見据える。

「治療法は無いということですか」
「今のところは、無いです。治療薬については数年前から研究を重ねていますが、何せ患者数が少な過ぎます。残念ですが今の段階では不治の病と言えます」
「そんな…」
「改善する見込みもありませんか」

息を飲むわたしを宥めるように清光が肩を抱いた。清光は妙に冷静で先程からわたしに代わってあれこれと質問を重ねるが男は弱々しく首を横に振るばかり。

「ありません。放っておけばどんどん悪化していく一方です。かと言って治療法があるわけでもありません。こんなことを申し上げるのは心苦しいのですが、治療薬は待っていても何年先になるか分かりませんから」

そうですか、と言う他なかった。この男が悪いわけではない。誰が悪いわけでもない。ただ運が悪かっただけ。そういう運命だっただけ。漠然とした不安が静かにわたしを包んで、それは涙として溢れていった。

「主…っ」

清光の切なげな声が僅かに聞こえる。わたしを心配して病院にまで付き添ってくれたのに、今のわたしは感謝の言葉も言えそうになかった。どうにも言葉にならない感情を、このやるせなさを、清光にぶつけてしまいたかった。見上げると、清光はわたしより苦しそうに眉を寄せてわたしの頬へ手を伸ばして涙を拭う。

「…ですが、発作を抑える方法及び病状の悪化を軽減させる方法はあります」

男は喉から絞り出したような声を出す。ハッとした顔で清光がそちらを向くが、男は視線を合わせない。男の表情からしてそれは簡単なことではないと充分に解る。聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちが半分半分で口を開けないままでいると、清光がわたしより先に言葉を漏らした。

「俺にできることであれば何だってします」
「…そうですね、失礼ですが御二人はどういった御関係ですか?」
「えっ?審神者と刀剣男士ですが…」
「当然です。当医院は審神者しか診れない決まりになっています。そうではなくて、御二人はただそれだけの御関係なのですか?」
「はい」

わたしより先に清光が頷く。清光はわたしが審神者になって初めて迎えた刀剣であり、その頃から頼りになる近侍であり、…そしてわたしの秘かな想い人だった。政府の決まり事により審神者は常に平等に刀剣男士を扱わなければいけないので、審神者が刀剣男士に恋心を抱くことは許されない。況してや恋仲になるなど、望むことすら憚れるのだ。それでもわたしは清光の傍にいられるだけで充分幸せで、清光もまたわたしに健気に仕えて如何なる時も気遣ってくれている。満足だとどこかで自分に言い聞かせてきたのに、こうも言い切られてしまうと寂しかった。

「そうですか、それなら安心しました」
「どういう意味ですか」
「いえ、稀に刀剣男士と恋仲になってしまう審神者もいますからね。そうなってくれば少々厄介だったのです」
「…厄介?」

淡々と質問を繰り返し、男が答える。自分のことを話されているのに他人事のように思えてしまって仕方ない。清光が眉を顰めたのを見て、男は背凭れに体重を預け、ギッと椅子を鳴らす。

「先ずは発作を抑える方法から説明しましょう。先程の説明と重なるところもありますがどうか聞いてください。この病気は後天性生理活性物質過剰分泌症候群といって不定期に過度なフェロモンが放出されて周りの人間を惑わせる病気です。このフェロモンは最初は微量ですが病状の悪化によりどんどん強力なものになっていき、性犯罪に巻き込まれる可能性がぐんと上がります。本丸にいるからと安心はできません。刀剣男士は特に一般男性より危険性が高く、興奮により人を殺めてしまうケースも報告されています。そこまで強力なフェロモンになる前に対策を取らなければなりませんが、その方法がただひとつ、精液の摂取なのです」

耳を疑った。のろのろと顔を上げて男と視線を合わせると、男は深い溜息を吐く。

「信じられないでしょうが決して冗談ではありません。要するに男を欲して匂いで誘っている状態ですから、それに応えて欲望を示せば発作は落ち着くのです。フェロモン分泌がまだ微量の状態で応えるのが最も好ましく、対処が早ければ早い方が良いでしょう。一度精液を感じれば体内でのフェロモン分泌が終わります。フェロモン分泌は繰り返すほど癖がついて次第に強力になっていってしまいますので、病状の悪化を軽減させるためにも性交渉は必須です」
「それで、何が厄介なんですか」
「簡単に申しますと、恋仲であれば特定の相手以外と交わることを嫌がる審神者が多いです。しかし特定の刀剣男士のみが審神者に付き添っていられるわけではありません。その辺は政府の決まり事ですので貴女方の方がよくご存知でしょう、特定の刀剣を贔屓にしてしまえば審神者を降ろされるまたは刀剣男士の刀解になります。そうなると、審神者は必然的に発作を隠して生活をすることが多くなりますが、そうなってしまうと早い対応ができませんので発作頻度は高くなり、病状はかなり悪化します。あとは先程の説明の通り、刀剣男士に襲われたり、最悪命を落としてしまいます」

男の口調はやはり事務的で感情が一切交じっていない。男の言葉を素直に受け取って信じることはできないが、そんな訳も分からない病にかかってしまった自分をひたすら恥じた。はしたない人間の欲望を剥き出しにして、男を誘う下品な匂いを撒き散らす。どうしてわたしが、という疑問が頭から離れない。

「…」

清光も流石にそれ以上口を開かなかった。視線を床に落としたまま黙る清光に不安を覚えて握られた手に力を入れても清光はいつものように微笑んでくれない。診察室は重たい空気で包まれて呼吸がしにくかった。




政府への報告には俺も一緒に行きたいとしつこく言われたが、清光には外で待っていてもらうことにした。これから先どう足掻いても本丸の皆に迷惑をかけると理解していたのでそれが本当に苦しい。わたしの報告に対して労り等の言葉は一切なく、日常の職務に支障を来すなという圧力のみ。重たい足取りで外へ出ると、清光が心配そうに駆け寄ってくる。

「主、大丈夫だった?」
「うん…」
「…そう。じゃあ帰ろう」

何でわたしが、何でこんな病気に、それがまだ頭から離れなかった。わたしからは一言も話さず、清光も同じだ。ただ確りと手を繋がれ、それだけがわたしの不安を少しばかり溶かしてくれるようだった。

「今日は疲れたでしょ?部屋でゆっくり休んだ方が良いよ」

本丸に帰ってくると、清光はわたしを誰とも会わせないように裏口から入る。手を離されるかと思ってわたしはびくっと肩を揺らした。

「清光は?どこに行くの?」
「俺は少しやることがあるからね。主の分まで頑張らないと!」
「い、いや…っ」

わたしを気遣ってなのか、元気よく笑って見せた清光に涙が溢れた。どうしてだか分からない、急に止まらなくなる。ぼろぼろと流れる涙のせいで視界が滲み、目の前の清光がゆらゆら揺れる。清光は慌ててわたしの頭を撫でるが、突然の不安に体が震えた。

「主!?」
「いや、いやぁ…っ、離れないで、清光、嫌いにならないで…っ」
「主…っ、何言ってるんだよ」
「離れないでよぉ…っ」

カタカタ震える肩を清光が抱き寄せる。身長はわたしとびっくりするほど変わるわけでないのに、体格が男女の差を感じさせた。清光の肩口に顔を埋めると、清光は何度もわたしの髪を撫でて宥めてくれる。

「俺はここにいるよ。大丈夫。俺が主を嫌いになるわけないでしょ、頼まれたって嫌いになんかならないよ。俺はね、少しだけやることがあるんだ。それが終わったら主の部屋に行くよ。約束する」
「ほ、本当…?来てくれるの?」
「俺を信じて、本当に直ぐ終わるから。今日は主が落ち着くまで俺が傍にいる。…居させてほしい」

清光の体温が心地好い。こくんと小さく頷いて見せると清光は安心したように微笑み、部屋まで送ると言ってまた手を握ってくれた。清光の魔法の手はわたしの精神を直ぐに安定させてくれる。

「主、今日は俺以外をこの部屋に入れちゃだめだよ」
「え?」
「直ぐ戻るから。約束だよ」

清光はわたしを部屋に送り届けると同時に襖を閉めて廊下に足音を消していった。独りになるとやはり怖い。治ることのない病、終わりのない不安。この先どれだけ皆に迷惑をかけるか、どれだけ清光に幻滅されるか、考えただけで恐ろしい。わたしは荷物を部屋の隅に放ると、自分の体を抱き締めるように座り込んだ。
(  )
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -