キスをしないと出られない部屋

「ん……」
「起きたか」

白いブレザーに身を包んだ男女の目が合う。言わずもがな、同じ学校――白鳥沢学園の学生同士であることがわかる。
男の方は女が気が付く幾分か前に既に起き、思考に耽っていた。
女はと言うと覚醒しきれていないぼやける目で焦点を合わそうとじっと男を見つめた。何度も瞬きをし、彼女の目の前にいる男が誰であるか判断できるようになった。この男は隣の席の、

「牛島くん……?」
「? そうだが」

彼女の呼んだ名前は男のもので間違いないらしい。男と女は、クラスメイトで隣の席。
だんだんとハッキリしてきた視界とともに彼女は分かったことがある。ここは全く見知らぬ部屋……というよりも真っ白な空間である。部屋中真っ白な壁で窓も無く、今にも上下左右がわからなくなりそうだが重力は働いているのか辛うじてなんとかそれは分かる。そんな中ぽつんとシルバーの丸い捻って開けるタイプであろうドアノブがあり、そこで漸くここが何処かの部屋であると理解出来た。しかしそれを理解出来たところで、何故こんなところに自分が居るのかは理解することが出来ない。

「ここどこ……」
「分からん」
「ええ……」
「気付いたら俺もここに寝て居て隣に苗字が寝ていた。起き上がり見渡していたら苗字が起きた」

俺がわかるのはこれくらいだ、と牛島は苗字に告げた。何故こんなところに居るのか、何故牛島と2人なのか、何故何故と苗字の中では様々な疑問が渦巻く。

「私、帰宅して自分の部屋にいたはずなんだけれど」

苗字がそう言うと、牛島は少し考え「俺はロードワーク中だったはずだが」と答える。少し考えただけでもこの空間へ突然連れてこられる理由となる共通事項は無いと分かる。

「とりあえず外、出よう」

ここが何処だとか何故だとかあれこれ考える事は無駄だと結論付けた苗字はそう告げた。それに対し牛島はコクリと頷き立ち上がった。追うように苗字も立ち上がり、浮かんでいるように見えるドアノブに向かって歩く。先にドアノブを掴んだ牛島が手首を捻って外に向かって押し出した……が。

「……動かん」
「え、嘘……。引いてみて」

苗字の指示通り牛島はドアを内側に引くも動かない。更にはこの形状上有り得ないと分かっていたが左右へスライドさせようと試み、びくりともしない事に牛島は少々の動揺を感じずにはいられなかった。それは苗字にも同じことが言えた。

「まじか……鍵は……」
「内鍵も見当たらない。外から鍵を開けて貰うしか無いようだが」
「な、なにそれ……」

もっと近くで扉を観察したら何か分かるかもしれないと苗字が1歩踏み出すと、何かを踏んだ感触。勢いよく足元を確認すると景色に溶け込んでいる白い封筒だった。
苗字はそれを拾い上げた。

「手紙……か?」
「落ちてた。中に紙が入ってるみたい。何かわかるかもしれないから一緒に開けよう」
「分かった」

牛島は中の紙が見えやすいよう苗字の斜め後ろへと移動する。苗字は牛島の何気なく近付いたその距離に触れている訳では無いのに感じる気がする体温に少しドキリとした。苗字は仲の良い異性がいるわけでもなく、仲良くしている女の友人達と居ることの方が多かった為、今の状態の様に男の人に至近距離へ近付かれる事はあまり無かったからである。この2人は隣の席同士だがクラスメイトというだけでとりわけ互いを意識したことは無かった。
跳ねた胸を無視し、何でもないように苗字は封筒から紙を取り出す。
背の高い牛島には読みづらいかもしれないことを考え、苗字は3つ折りにされた封筒の中身を開いて上から声に出して読むことにした。

「えーっと、なになに……『この部屋は2人がキスを交わさない限り外へは出ることが出来ません』……」

中に書いてあったのはヒントとかそういった類のものではなく嘘や冗談のような脱出方法そのままであった。それでも苗字は何となくだがその脱出方法は嘘や冗談なんかではないと第六感のようなもので感じている。紙を持つ手は僅かに震えじっとりとしていた。
一方牛島は僅かに固まっていたものの、彼も日々のバレーボールで培ったカンだろうがジョークや嘘っぱちではないと直感していた。

それから1分程度2人の間に言葉が落とされることは無く。
しかしその暫しの沈黙の中先に動いたのは牛島だった。

「俺と苗字がキスをすれば出られる、のならば出るためにはするしか無いのだろうな」

先に行動に出た、と言うことは牛島の方が先に覚悟が決まったということだ。
苗字は後ろから突如降ってきた声に耳許からぞわりと粟立つ。遠くへ現実逃避しかけていた苗字の思考が目の前の現実へと引き戻された。
未だ覚悟の決められない苗字はファーストキスなのに、付き合ってもないし好き合ってる相手でもないのに、なんで私がこんな、等怒りと恥ずかしさと照れくささがごちゃ混ぜになって真っ赤に染めた顔を牛島へと向け睨みあげた。
2人の視線が交わるのはこの空間に来て2度目だった。
牛島は表情を変えずに片手で苗字の前髪を持ち上げもう片方の手で彼女の肩に手を添え、目を伏せた。
『なにを』
そう苗字が言葉を発する隙もなく、苗字の額に柔らかで弾力のある感触がしたかと思うと直ぐに離れていった。
3度目に2人の目が合った時、何をされたのか理解した苗字は持っていた脱出法が記載された紙を手放し両手で額を抑えその場にへなへなと座り込んだ。

「許可もなく済まない苗字。だが出る為には……」
「うん、分かってる。大丈夫」

そう言って左右に首を振り『唇にされるかと思った』と顔から火が出そうで苗字は言えるわけが無かった。そうかその手があったのかと目から鱗とはまさにこの事だと額に手を当てながら彼女は思う。
『キスを交わす』とだけで指定は無かったはずだ。
何故こんな、ただのクラスメイトだった彼と、と思わずにはいられない。だが彼を異性として意識せずにはいられない状態にあった。髪をかき上げた手がマメだらけでかたくて大きかった、それなのに触れた唇は――。

「苗字」

ぐるぐる巡る苗字の思考を遮るように牛島が彼女を呼ぶ。それだけで苗字の心臓は大きく跳ね、伺うように彼を見上げるしか出来ない。牛島はへたりこんでしまった彼女の視線と合わせるように立膝で座る。そして大きな手のひらで彼自身の短い前髪をかき上げた。

「『キスを交わす』……と言うことは苗字からもしてもらう必要がある」
「……うん」

分かった、額なら、と苗字は漸く覚悟が決まった。立ち膝になりずりずりと彼との距離を詰めた。立ち膝でギリギリ自分の目線が上かくらいで本当に彼は体が大きいんだなと苗字はぼんやり思った。

「少し背中丸めてもらってもいい? あと……恥ずかしいから目を閉じて」
「……分かった」

牛島は苗字のお願い通り背中を丸め、目を閉じた。苗字は数回深呼吸をし、恐る恐る己の唇を牛島の額に寄せ、少しだけ触れてゆっくりと離れた。『チュッ』というリップノイズは立てず、静かに静かに。
牛島はゆっくりと気配が離れたことを確認して瞼を開く。額に触れた唇は想像以上に柔く、どくりと鼓動が高鳴ったのを牛島は感じていた。牛島が表情を崩さず後引く余韻にぼんやりと浸っていると、苗字は立ち上がって扉へ手をかけた。

ガチャッ

無慈悲にも鳴り響いたソレは鍵が開いていないという証だった。

「出られない! なんで?!」
「……額では駄目だということなのだろうか」

――それから2人は互いの手の甲、掌、髪の毛、瞼、鼻、頬へとキスをしていくが一向に扉が開く気配は無く。幾度目の扉の前で2人は立ちつくしていた。

「これは……」
「……」

何度も何度も恥ずかしく照れくさい気持ちを味わい、かつ扉が開かないからだろう。お互いにもう口にせずとも覚悟は出来ていた。

「苗字」
「牛島くん……」
「恐らくもうこれしか無い。付き合っているわけでもないのにすまない」
「牛島くんが謝ることないよ、大丈夫。私好きな人とかお付き合いしている人いないし。牛島くんこそ大丈夫?」
「俺も大丈夫だ」
「そっか」

互いに体の向きを変え、2人は向き合う。牛島の真っ直ぐな視線に苗字は体温が上がるような気分だ。
苗字は1度頷くかわりにゆっくり瞬きをし、目を閉じる。牛島はそんな彼女の後頭部へ手を添え、唇へ触れる寸前で目を閉じた。
互いに想像以上に柔らかで弾力のあるそれの感触に驚く。
牛島はその感触に己の血が滾るような感覚に陥った。唇同士で触れるだけのキスをするつもりだったのに、離れ難い。

「ん……ふ」

無意識であろう苗字から漏れる吐息に、背中をゾクゾクと何かが駆け上がった。これ以上は不味い。牛島がそう思い唇を離した瞬間だった。眩い光に包まれ目がくらんだのは。

眩しさが消え、苗字が目を開けると見慣れた自分の部屋だった。ベッドに投げ出された携帯を確認すると、あの空間へ行く直前と同じ日付同じ時間を示していた。白昼夢でも見たのかと首を傾げるが、唇に残るリアルな感触はそんなものではないと語っている。

「不思議と嫌じゃなかったな……」

普通何もわからないクラスメイトとキスとか考えただけで気持ちが悪いのに、ぼんやりとそう呟いた彼女は芽生えた気持ちにまだ気がついていない。

又、同じ頃同じように牛島も白昼夢を見たのだと区切りをつけ練習へと気持ちをシフトした。そうして彼は帰宅し布団に入った時、瞼に蘇る彼女の羞恥で染まった頬と潤んだ瞳、自分とは違う小さく滑らかな肌をした手に柔らかな頬、唇に触れれば思い出すふわふわした彼女の唇の感触にアレは夢では無かったのだと思い知らされる。顔に熱が集まってくる感覚を初めて覚えた日だった。

それから2人は互いを意識し、どうこうなったとかはまた別のお話。

20161227
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