(( 寂寥な夜 ))




何時もは明るい廊下に陰が掛かり、思わず空を見上げた。今日は初めて清光を近侍から外して遠征に行かせたというのに、この天気。言い伝えた瞬間、寂しそうに笑顔を作った清光の表情が頭から消えなかった。審神者という立場になってから一度も離れたことがなかったのに、遠征になんか行かせなきゃ良かった、と早くも後悔を始める。庭から水の流れる音がして、何時もと何一つ変わらない音なのだが何だか憂慮してしまうのだ。暗闇から聴こえてくる水音がまるで清光の泣き声のような気までしてきて、彼女は縁側にそっと腰掛ける。

「ごめんね、清光…」

小さく口から漏れた声が震えていたことに気付き、泣きたいのは自分の方だったのかとようやく理解した。喉の奥が張り付いたように締まり、焼けていくようにひりひり痛む。耳の裏というのか首の裏というのか、其処らへんが熱くて仕方ない彼女は目頭に熱が籠るのを感じて唇に力を入れた。就任して一年も経っているのにこんなことで寂しがる自分に恥じる他なく、大きく雲が掛かる空をただひたすらに見上げる。暫くすると右方の暗闇から、とん、とん、と軽い足音がして、何時もなら明るくて見渡せる廊下なのだが誰が歩いてくるのか解らなかった。

「よぉ大将、そんな格好じゃ風邪引くぞ」

ぼんやり白いものが近付いてくると思えば、白衣を羽織った薬研が此方に向かってきていたのだ。先程まで清光の代わりに近侍として頼んでいた書類を纏めてくれていたのか眼鏡を掛けたままで、普段の雰囲気と違って知的な印象を与える格好に彼女は少しだけ目を細める。

「あら薬研、遅くまで御苦労様」
「大将もな。さっさと寝た方がいいんじゃねえか?早朝に加州の旦那が帰ってくるんだろ?」
「うん…あと数時間なのにね」

眠れなくて、と言葉を落とすと、彼女は無理に口端を引き伸ばして見せた。やれやれといった様子で白衣を脱ぐと、彼はそれをそっと彼女の肩に掛けてから隣へ腰掛ける。そういえば寝間着のまま部屋を飛び出してきてしまったのだと数秒経ってから理解した。その間にも静かに水の音だけが流れる。

「…、…」

呼吸をする僅かな息遣いの他は何も聞こえず、静寂の暗闇の中で長い間水が流れる音を聞いた。相変わらず月は雲に覆われて出てこない。彼は何を言うわけでもなくじっと傍に腰を降ろし、何を考えているのか解らなかった。ただ暗闇に視線を落としながら足を組んでいて、気まずいわけでも沈黙を破りたかったわけでもなかったのだが彼女は思わず口を開く。

「寂しい…」

ぽつりと出てきた言葉は今の彼女の心情をストレートに一言に纏めたものであって、どうしてそんなことを漏らしてしまったのか自分でも解らずに彼女はハッと口許に手を遣る。隣の彼は、ああ、と短い言葉を返すが特に言葉を繋ぐ様子はない。

「薬研、もう自室に戻って」
「迷惑か?」
「ううん、そうじゃない、でもいいの」
「ここで月を眺めたい気分なんだよ、だめか?」
「だって、今夜は…、」

月が見えないじゃない、という言葉を返すより先にやっと彼と目が合った。優しい目なのに何処か射抜くような鋭い目付き、普段笑顔を見せる彼は笑っていなかった。何も言えなくなる。落ち着かないように視線をずらすと、彼もまた暗闇に視線を戻した。次の沈黙を破ったのは彼の方からだ。

「旦那は随分愛されてるんだな」
「え?」

加州の旦那だよ、と彼は口だけ笑う。

「ああ、清光は初めて来てくれた子だから」
「初めてじゃなかったら今の気持ちは違ったってことか?」
「それは分からないけどどうなのかな。何も分からないわたしを優しく指導してくれて、面倒がりながらも皆を纏めてくれて、清光に何から何まで助けてもらったのよ。だから好きってわけでもないんだけど、清光がいないとだめなのは確かね」
「…そうか」

言葉にするとさらに寂しくなってくるような気がして苦く笑う。彼はそれをじっと見詰めながら、笑い返してはこなかった。何だか何時もの彼からは想像できないくらい表情が固い。普段どんな憂い事も笑顔で元気付けてくれる彼は、今日はただじっと彼女を見詰めるだけで、その表情からは何も読み取ることができなかった。切れ長の目が嫌に光っている。

「薬研、疲れてるみたい、本当にもう自室へ戻って。わたしの暗い話に付き合わせていたらもっと疲れさせちゃうわ」
「ああ、そうかもな」
「え?」

肯定されるとは思わず、間抜けな声が出る。

「大将は旦那しか見えてないもんな、俺っちがいくら頑張ったって疲れるだけだ。なあ、そうだろ?」
「頑張るって、何を、」
「解らないのか?解らない振りをしてるのか?」
「わ、解らないわよ、どうしたの急に…」
「そうだな」

やっと目を細めたと思えば、自嘲じみた笑いを浮かべただけだった。酷く傷付いたような、馬鹿にしたような笑い方をしてくるのが気になり、彼女は唇を強く閉じる。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか、思い当たる事はないが彼の様子が可笑しいことは確かだ。

「薬研、本当にどうしたの…」

絞り出すような声は弱々しく、震えていたかもしれない。ただでさえ泣きそうだった彼女の表情がさらに曇り、彼は自分が彼女をそうしてしまったのだということに僅かな罪悪感と幸福感を感じていた。寂しそうなその表情が今は彼だけに向けられているからだ。

「俺っちじゃあ代わりにならないか?」

彼の表情は冗談を吐くそれとは違った。言葉の意味が理解できず、彼女は視線を揺るがす。

「何言ってるのよ…清光も薬研も別でしょ…?」
「…そうだな、そうだった」

刹那、雲が途切れて月の明かりが一筋降ってきた。それは僅かな面積だったが彼の頬を照らし、彼女はハッと息を飲む。ずっと見えなかった彼がこんなにも綺麗に光って、こんなにも哀しげに微笑んでいた。

「なぁんてな!」

ニィッ、と歯を見せた彼は何時ものように人懐っこく笑顔を作る。寂しそうだった目は弧を描いて閉じられ、彼女はやっと安心したように肩から力を抜いた。今までの憂いが無くなっていくような無邪気な表情で、彼女はこれに幾度と助けられてきた。

「何よ、もう…良かった」
「ははは、悪かった。さあ大将もそろそろ部屋へ戻るんだな。夜風は身体を冷やすぜ」
「うん、そうね、じゃあそろそろ寝ようかしら」
「ああ、俺っちも失礼する」

白衣を返そうとすると静かに手で制される。

「旦那はいつ帰ってくるんだ?」
「4時間後よ」
「卯一刻か、じゃあその頃大将の部屋へ迎えに行こう」
「有り難う」

言葉短に終わらせ、彼は彼女の背中を見送った。暗闇に消えていく彼女は先程より幾分元気そうに見える。それでも明日はさらに元気な彼女が見られるはずだ。

「俺にゃ無理、か」

彼は眉間に皺を寄せながら、寂しげに笑った。


END
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真面目な文章リハビリですが時刻の数え方間違えてたらすみません。名前様、お付き合いありがとうございました。
20160529
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