閻魔様はご機嫌です。名前ちゃんからもらった四つ葉のクローバーを手の平に乗せ、それをじっくり見つめていました。もう仕事が終わったというのに閻魔庁を出ようとしない閻魔様に鬼男くんは仕方なく付き合うことにします。

「どうしたんですか、今日」
「え?」
「昼頃から機嫌がいいじゃないですか」

閻魔様がこっそり天国へ行ったことがバレていないようです。お昼頃に名前ちゃんに会ってこれもらったの、なんて口が裂けても言えません。本来閻魔様は滅多に天国になんか行けないからです。

「人間って面白いなあって思ったの」
「人間ですか?」
「そう。…俺が幸せになれるといいねって」
「幸せ、」
「あぁ、気にしないで。俺は今でも十分幸せだから。ただなんか懐かしいんだよ。人間と話すのが久しぶりだから、だと思うけど」
「…人間と話したんですか」
「え?あ…」

地獄には悲鳴以外まともに口にする者がいませんから、人間と話すとすれば天国に決まっています。閻魔様は口をつぐみます。うっかり口が滑ってしまうほど気分が高まっていたのでしょう。鬼男くんは大袈裟にため息を漏らしました。

「天国、行ったんですね。そんなにあの子が気になりますか」
「べ、別に誰も名前ちゃんなんて言ってな…」
「そうですね、言ってません。やっぱり名前さんのことでしたか」
「うーん鬼男くん、なかなかやるようになったね」
「何年あなたの秘書を務めてると思ってるんですか」
「そうだよねぇ」

閻魔様はふにゃりと笑いました。名前ちゃんの優しい笑顔にそっくりです。少しだけそのまま沈黙を続けましたが、閻魔様はふと言葉を漏らします。

「転生させようと思ってる」

鬼男くんはハッと閻魔様を見ました。閻魔様は相変わらず優しい笑顔で自分の帽子を触っています。明日は晴れるかなとでも言われたようなナチュラルさで告げられたものですから、鬼男くんもびっくりしてしまいます。

「大王…、まさか」
「うん。俺もまさかって思ったんだけどね、やっぱり、好きになっちゃったみたい」
「でも、」
「禁忌だよね、知ってる。だから内緒にしてね?」

閻魔様は帽子から手を離し、ぐぐっと背伸びをしました。閻魔様は大昔は人間でしたが、今は立派な神様です。冥界を支配する神様が人間に恋をするだなんて、考えただけで恐ろしいことです。きっとバレたら名前ちゃんの魂は消されてしまいます。人間の魂など閻魔様の仕事の邪魔になるようであればいくらでも犠牲にできるのです。閻魔様は立ち上がり、鬼男くんの肩をぽんと叩きました。

「そろそろ閉庁しよっか」
「あの、待ってください!」
「ん、あぁ、続きを話しながらね」

話を中断されると誤解した鬼男くんは焦りますが、閻魔様は全てを話す予定があったようです。長年秘書を務めてくれた鬼男くんを信用しているのでしょう。2人で判決室を出ながらまた話を再開させます。

「俺毎日天国行くのきついんだよね。仕事も早く終わらせなきゃいけないし、秘書や監視の目もあるし。こんな格好した俺が行ったら天国の住民を怖がらせちゃうしね。周りの目を盗んで変装して会いに行くのは性に合わないの。だからって呪縛を使って邪魔者を消しても鬼の目が厳しくなって監視が増えちゃうでしょ。ますます行きにくいよ。だから、名前ちゃんを転生させて、こっそり覗こうと思って」

1人で喋りすぎたかと思い、鬼男くんをちらりと見ました。鬼男くんはぼんやりと閻魔様を眺めています。

「覗く、って、下界に、」
「そりゃあ行きたいけど、仕事があるでしょ。水晶玉で見える範囲で十分」

閻魔様は苦く笑って見せました。寂しそうな表情に鬼男くんも胸が締め付けられます。確かに閻魔様は下界を眺められる水晶玉をお持ちです。しかしそれはあまりにも狭い範囲しか覗けません。そもそも下界は覗くものではないからです。閻魔様は冥界の神様であって、下界に関わることは許されていません。死後に問題を起こした魂の様子を見るためだけに水晶玉があるのであって、本来は生きている人間の行動を覗くものではないのです。

「…大王」
「そんな顔しないでよ。俺は名前ちゃんと話したいんじゃないよ、姿が見られるだけで幸せなの。俺の幸せを願ってくれた名前ちゃんを幸せにしてあげたい。でも、俺は、閻魔だから」
「だい、っ」
「転生させるよ、明日にでも」

大昔から罪を償い続けている閻魔様を見つめながら鬼男くんは泣きそうになりました。閻魔様の笑顔はとても寂しげで切なくなります。そろそろ幸せになってもいい頃だと鬼男くんは思いますが、冥界の決まりがそうはさせてくれません。鬼男くんは耐え切れず、閻魔様から目を逸らします。

「転生って、どう決めるんですか?冥界に来て最低2ヶ月はこちらで過ごさないと転生できないはずですが」
「何とかするよ。本当はあと1ヶ月待って自然と転生させてあげられたらいいんだけど、俺の体力が持たないや。毎日名前ちゃんに会うのには体力を削られすぎる」
「だから、どうやるんです?」

冥界は転生についての決まりが緩いです。天国行きの死者は冥界に来てから2ヶ月以上経っていれば閻魔様の気分で誰でも転生することができます。地獄行きの死者は生前の罪の大きさによって期限が変わってきますが。とにかく毎日指定された数の魂を閻魔様がランダムで転生させることができるのです。しかし、2ヶ月以上経っていないとどんなに閻魔様の気分でも転生ができません。鬼男くんは不安そうに閻魔様を見つめますが、閻魔様はニッと笑って見せるだけです。

「仕方ないから冥界全体に魔法をかけちゃおう」

お茶目な笑顔から発せられた言葉はとんでもないことでした。冥界全体に呪縛をかけて騙し続けるのであればそれこそ閻魔様の体力が危険です。それにバレたら名前ちゃんの魂は消されてしまいます。どちらにせよ危険を伴う行為なのです。

「やっぱりばかなのか」
「ひ、ひどいよ鬼男くん!じゃあどうしろっていうのさ!」
「…僕にいい考えがあります」
「いい考え?」
「えぇ。転生させる魂は毎日膨大な数ですから、それを1人1人大王が選んでいたら時間がかかりますね。だから通常僕が適当に決めています。大王が選んでないことは鬼達も知ってることですし大王の仕事の量を知っていればこれくらい僕に任せて文句は言わないでしょう?つまりそれを利用するんです」
「どうやって?」
「僕は閻魔大王でもないし鬼でもない、ただの鬼のなりそこないでありただの秘書なんです。人間に近い生き物なんです。ミスだってします。だから、今回の名前さんの転生は、僕のミスということにしましょう。2ヶ月経っていない者を転生させてしまったからといっても天国の住民ですからわざわざそのミスを咎める理由もありませんし、第一毎日膨大な量を転生させているのですから鬼だってそこまで細かくチェックはしていませんよ。気づかれないはずです」

ね、と鬼男くんは真剣な表情をしました。閻魔様は思わずぽかんと口を開けてしまいます。有能な秘書ということは知っていましたが、ここまで頭が回る者だとは思っていなかったのです。

「だ、だめだよそんなの!俺はね、鬼男くんに手伝ってほしくて話したんじゃないんだよ、ただ、」
「分かっていますよ。僕がやりたいんです。大王が倒れたら仕事になりませんし、秘書として少し手伝ってやろうと言ってるだけです」
「でも、鬼男くん今まで仕事でミスしたことないじゃん。俺のせいで評判下がるの、やだよ」
「だから言ってるでしょう、ミスなんか誰も気づきませんよ」

大王、と鬼男くんは優しく目を細めます。

「もっと自分の幸せに貪欲になっていいんですよ」

閻魔様は少しだけ考えてから素直にありがとうと言いました。実に切なげに歪められた顔は見ていて少々痛々しいものです。きっと閻魔様が人間だったら涙が出ているだろうに、それは出てきません。閻魔様はもう1度、ありがとうと繰り返しました。
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