閻魔庁は鬼であふれ返っていました。閻魔様がいなくなってしまったからです。閻魔様の監視役の者は早速問い詰められました。

「、でも、いつもはもっと遅くに起きるんです!だから、」
「だからって監視が必要ないと思ったのか?」
「すみません!もう何万年も真面目に働いていると聞いたので、油断していました…」

チッと鬼に舌打ちされ、監視役らしい子鬼はびくっと肩を揺らします。その様子を鬼男くんはただぼんやり眺めていました。

「おい、貴様、閻魔の秘書か」
「…はい」

手前にいた赤色の鬼が鬼男くんの存在に気がつきました。鬼男くんは静かに顔を上げます。

「閻魔がどこに行ったか知らないか?」
「…知りません」
「秘書なのに何も聞いていないのか?」
「…聞いていません」
「っ、どいつもこいつも使えねえ奴ばかりだ!」

鬼は声を荒げ、横の壁をどんと叩きました。よほど苛々していたのでしょう、閻魔庁の壁は強くできているはずでしたが吹き飛んでしまいました。その様子も鬼男くんはぼんやりと眺めます。

「つーかよぉ、お前」

今度は青色の鬼が鬼男くんに絡んできました。鬼男くんは視線を床に落とします。

「この角、何だ?お前鬼なのか?」
「まさか。こんな弱っちい鬼がいるかよ」
「姿形も人間みたいだしなぁ」

1人の鬼がそう言うと、周りの鬼がギャハハハと笑いました。鬼男くんは何も言わず、静かに床を見つめています。

「…何か言えよおい」

手前の赤色の鬼がついに鬼男くんを小突きます。こん、と軽く触れただけでしたが、鬼男くんは人間に近い生き物ですから額からは一筋の血が流れてきました。

「こいつ、血が出てる」
「鬼のなりそこないか?」
「まさか、人間?」

鬼たちは口々に言いました。鬼男くんはまだ床を見つめています。昔酷い目に遭わされた鬼たちの前では、何も言う気になれないのです。

(…早く帰れよ)

鬼男くんは心の中で舌打ちしました。鬼のなりそこないは人間の次に弱い生き物ですから冥界ではとっても身分が低いのです。閻魔様があんなに仲良くしてくれたことが嘘のように。
そうやって暫く鬼たちの話を聞いていると、一瞬、ほんの一瞬だけ、閻魔様の強い怒りを感じました。

(っ、いまの、)

しかし、ほんの一瞬でした。下界で何かあったのでしょうか。強くて禍禍しいそれは、ぶわりと下界と冥界全体を覆ってしまうほどの強力な怒りでした。閻魔様の感情が乱れたときのみ感じることのできる閻魔様の気配です。長年隣にいた鬼男くんには分かりましたが、鬼たちは気づいていないようです。正確には、何か強い気配を感じたけどそれが何なのか分からない、という状況でしょうか。閻魔庁にいた者はほぼ全員、きょろきょろと辺りを見回しています。

(大王、まさか、人殺しを、)

ぞくり。鬼男くんは鳥肌を立てました。先程の強い怒りの理由を考えられるだけ考えてみようと思いましたが、それしか考えられません。感情の乱れも納得がいきます。

(どれだけ禁忌を重ねたら気が済むんだ、あのばか)

鬼男くんは鬼たちに見つからない程度にため息をつきました。閻魔様が好き勝手にやればやるほど鬼男くんに迷惑がかかるのです。いくら閻魔様でも許せないはず、なのですが。

(…見つかるまでは、幸せにやれよ)

鬼男くんはとっても優しい心の持ち主だったようです。
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