「もー! 蓮見君どうして出る前に確認しないのー!」
「ご、ごめん……! その、まさかこんな道に迷うと思ってなくて、ハハ……」
「雨まで降ってくるし、もーやだー!」

 ばしゃばしゃと二人分の足が泥を跳ねる。

「携帯も繋がらないし、車から降りたら降りたで雨降るし、……」
「も、もう少しだから、…… あ、あれ?」

 困ったような笑いを浮かべて必死に彼女を励ましていた蓮見の足が止まり、それに合わせて彼女も前を見上げる。二人の視線の先には深い森の奥、異様なまでに立派に立てられた洋館があった。
 二人顔を見合わせどうしよう? と合図するが、一層雨が強くなったのを察すると、仕方なくそちらへと走る足を向けた。




「――あの、すみません……」

 ずぶぬれた恰好で蓮見が扉の呼び鈴を叩く。だが外見の不気味さと建材の古さから見て、誰もいない無人の館の様だ。更に二三度叩いてみるが、誰も出てくる気配がない。

「全然だめだ。誰もいない……」
「ええー! せめて雨宿り出来たらなあ……」

 だが、彼女がそうつぶやいた瞬間、すぐに施錠が解かれる金属音が響いた。ギイ、と古めかしい音を立てて開かれたその奥にいたのは、黒髪の端正な容姿の執事――ではなく。

「うわっ大変! さ、中に入って」
「えっ、あの、私……」
「可愛い女の子は大歓迎だからv 早く乾かさないとバンビが風邪ひいちゃう!」
「あ、あのー……」

 短めの髪に長身で気付かなかったが、よく見るとメイドの衣装を着ているためどうやら女性らしい。胸には「花椿」と書かれたネームがあり、初対面だと言うのに嬉しそうに蓮見の隣にいた彼女の手を取っては中に招き入れた。彼女がここの住人なのだろうか。

「あの、すみません。僕たち道に迷ってしまったみたいで……」
「あちゃー……結構迷う人多いんだよねここ。いいよ、旦那様も許してくれるだろうし」
「だ、旦那様、ですか…?」

 分厚いタオルで包まれるように運ばれていく彼女に対し、蓮見はぬれ鼠状態のまま館内に招き入れられる。内装も外観と同じく随分と年季が入っているが、どこも綺麗に掃除されており、実に重厚なアンティーク造りという感じだ。
 丹念に磨き上げられた黒檀の手すり。大理石で出来た精緻な彫像。間接照明が天井の高い位置に吊るし上げられ、ぼうと淡い光を宿している。

「そうそう! 旦那様は――」
「……カレン。また勝手に入れたの?」
「――!」

 囁くような声に、びくりと背を正す。声の降ってきた方を仰ぎみると、玄関ホールの上から緩やかに伸びる階段の中程に、小柄な少女がいた。大きな猫のような眼に、さらさらとした黒い髪。だがその雰囲気はどことなく不思議なものがあった。

「みよ! そーなのよー! こんな可愛い女の子が雨に打たれてるって知ったら、もういてもたってもいられなくって」
「……はあ。カレンはそればっかり」

 そう言うと、みよと呼ばれた少女は音もなく二階へと戻っていった。そのやりとりに呆気に取られていたが、ようやく意識を取り戻した蓮見がこそりと言葉を発する。

「あのー……今のは」
「ん? ああ、旦那様の姪のみよ。同い年だから様を付けると怒られてさー」
「そ、そうなんだ……ハハ……」

 今のが旦那さまだったらどうしよう、と思っていた不安が外れちょっと安堵する。それに気付いたのか、カレンがにこりと笑うと答えをよこした。

「旦那様――氷室様はしばらく戻られないよ。期末考査があるからね」
「へ!? 期末……」

 あまりに聞き慣れたその単語を確かめようとしたその瞬間、先程二人が招き入れられた玄関扉が再びけたたましい音を立てて開かれた。
 びく、と振り返ると突然の豪雨に全身から水滴を滴らせた青年が二人――獣の様な気配と共にその影を落とした。その様子に、カレンが庇い立てするように前に立つ。だが、そんな不穏な空気は金髪の青年が発したのんきな声でふっと緩んだ。

「――やった。開いた! 開いたよコウ!」
「バカ琉夏オメェ、どーみても壊してんじゃねえか!」
「え?」

 きょとんとする琉夏の手には、先程蓮見が鳴らした呼び鈴の取っ手。突然の闖入者の様子にしばらくカレンは無言で二人を見つめていたが、やがて心底嫌そうな溜息をついていた。
 


 



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