「……蓮見くん? やだな、冗談やめてよ……」

 困ったように笑う彼女に、蓮見は冷たく視線を向ける。

「……僕が調査を終えて帰って来た時、君は個室の前で鍵が開かないと困惑していたね」
「あ、あれは鍵が上手くはまらなくて……」
「開かなくて当然なんだ。だってあれは僕の部屋なんだもの」

 彼女の表情が一瞬陰る。

「僕がね、角部屋の方が好きだからって変わってもらったんだよ。だから、キミの元々の部屋と鍵を交換してもらった。キミが入らないと苦心していた鍵は、元々は僕が使うはずの部屋の鍵だったんだ」
「……そ、そうだったね! ごめんなんか私ぼんやりしてて、うっかりしてたみたい――」


「――嘘だよ」


 チャリ、と鋼色の鍵を眼前にぶら下げた。

「……本当は彼女が言いだしたことなんだ。僕の部屋の方が広いから変えてくれ、って。もしかして、わすれちゃった?」
「…………」
「キミは僕たちが勝手に部屋を交換していたのを知らず、当初割り当てられた部屋のままだと思っていた。だから鍵が違うのに気付かず、交換前の彼女の部屋に行ってしまった」

 その言葉に彼女はしばらく押し黙っていたが、やがてゆっくりと微笑んだ。そしてその髪にそっと指先を伸ばし、その毛先を揺らした。下から零れ出るのは黒く短い髪。

「まさか部屋を取り変えていたなんて……ほんと、気まぐれな彼女らしいなあ」

 顔の変装を解く。足元も以前彼女の履いていたヒールから、低いものに変わっているのが分かった。すっかり使用人姿に戻った平は再びにこりと笑って見せる。

「……どうして、こんなことを?」
「――気付いてもらえなかったから、かな」

 ある時は背景に。ある時はバスの傍らに。そして今回は彼女に紅茶を差し出すまで。

「同じ学校にいるのに、俺なんかとは全然違う有名人な人ばっかりで……紺野さんや設楽さんに至っては俺の名前も知らなかったし」

 そりゃ絡みが無いからねという天の声が聞こえた気がするが以下略、平は寂しそうに目を眇めた。気付いてほしかった。触れてほしかった。たとえそれが、どんな形で終わるものであったとしても。

「なるほどね。同じ学校にいるのに、気付いてもらえなかったから、か……」
「そうだよ。だから――」
「それは、どうなんだろうね」

 え、と平の動きが止まる。

「僕がこの事件を調査している時、そこにいる琉夏くんに設楽さんの話を聞いたんだ。その時彼がね、こう付けたしたんだよ」



――『ちょ、ちょっと待って……キミと設楽さんは知りあいなの?』
――『俺だけじゃないよ。コウも知ってる。あと――』


――『あの平ってやつも同じガッコだし、知ってると思うけど?』



「……俺、のことを?」
「うん。不思議に思って聞いてみたら、キミは琉夏くんの命の恩人なんだって」
「そ、それは、確かにパンはあげたけど、あれ位……」
「そう。キミにとっては何でもない行動だったのかも知れない。でも彼は、ちゃんと覚えていたんだ」

 慌てて琉夏の方を振り返る。視線がぶつかる刹那、金の髪の合間から覗く目が、静かに細められた。そして更に。

「あーまあ、あれだ。ルカの野郎が世話んなったな」
「よく分かんねえけど、お前同じクラスの平だろ。気付かなかった奴いんのか?」
「……どう、して」

 照れくさそうに礼を言う琥一と不二山。琥一は恩人恩人と琉夏に口うるさく言われていたから当然知っていたし、不二山は部活勧誘のため同級生の男子は全員把握する勢いだったらしい。
 今さら弟のことで礼をいうのも、という躊躇と、皆も当然気付いていたのだろう、という悪意無き無関心が引き起こした悲劇。それらが積み重なった結果、こんな歪んだ事件を生み出してしまったのだ。

「キミはキミが思っているほど、小さい存在ではない、そういうことだよ」
「……蓮見くん……」

 いつしか東の空から漏れだす陽光が、部屋の片隅を照らしていた。その光が窓を背に立つ平を映し出し、その輪郭が寂しげに浮かび上がる。その表情はひどく穏やかだった。




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