アイツの喜ぶ顔が見てぇ。






ただ、それだけだ。






locomotive







「琥一、休憩しようぜ」

「…ッス」


先輩にぽんと肩を叩かれて、ペンキを塗っていたローラーをペンキが残り少なくなっているローラーバケットに放り込んだ。
頭に巻いていた白いタオルをくしゃりと外して、少し先にある自販機で温かいコーヒーを購入。
冷えた手に熱すぎるくらいの缶を短い間隔で右手と左手を行ったり来たりさせながら、さっきまで自分がペンキを縫っていた壁が見渡せる場所に腰を下ろした。

結構広くてデケェ壁。
そこにペンキで描くのはクリスマス仕様のイラスト。
金は出すから夜中の間に仕上げてくれって依頼のペイントは、クリスマスが過ぎれば次は正月用のそれを描くんだとかで、金のある奴のするこたぁよく判んねぇなと肩を竦める。
まあ、だからこそこうして働き口があるんだと思えば有難ぇことだが。
しかも、正月が終わったら次は何を描くんだ?なんて少し気になったりもするわけで。
金持ちの道楽に付き合うのも悪かねぇなと瞬時に気が変わる自分に小さく吹き出した。


「お?なんかご機嫌?」


タバコと缶コーヒーを買って戻ってきた先輩…ってか実際は雇い主なんだけど、『俺はお前を琥一って呼ぶから、俺のことは先輩って呼べ』と言われた初対面での一言を一応忠実に守っているわけで。
その妙な先輩が、一人笑っていた俺に聞きながら人懐っこい笑みを浮かべて隣に座る。


「琥一って、なんかもっとムスっとしてる奴かと思ってたけど。違ぇんだな。」


タバコを咥えたまま喋るせいで、細かく上下するタバコからひらひらと灰が零れ落ちて。
雪を彷彿とさせるそれに、今年の初雪はいつだろうかなんて柄にもなく考えた。
確か去年は―…アイツと一緒にいた日だった。


『コウくん!雪だよ!雪!!』


そう言って、生まれて初めて雪を見たみてぇにはしゃぐアイツに、『わぁってるよ…ったく、俺が雪見たことねぇみてぇに紹介してんじゃねぇよ』って笑うと、きょとんってしたアイツが『…雪知ってたの?』って。
どんだけバカにしてやがんだと軽いヘッドロックに、笑い混じりのギブの声。
何でもねぇ日が、ちょっとしたことで特別に変わるんだって教えてくれたのは、アイツだった。


「なぁ、琥一」

「…なんスか?」

「お前、どうしてこのバイトやってみよーって思ったの?別にもバイトやってるだろ?」

「…金は、あっても困らねぇから…」

「あー、まあそうだよなー。年末年始は何かと物入りだしな。今いくつ掛け持ちしてんだ?」

「……ずっとやってるガススタと、短期のバイトは2つ。後はこの仕事みてぇに単発でいくつか…」

「……お前、見かけによらず働き者だな」


驚いた表情の先輩に「生活がかかってるんで」と呟いてぬるくなり始めた缶コーヒーを飲み干す。
年末年始は稼ぎ時で、確かに生活がかかってるのは事実だけれど。
別に、こんな必死に稼がなくても生きていけるくれぇには日頃から何とかしてある。
だから「生活」はただの言い訳で、本当は―…


「とか何とか言って、本当は彼女に指輪でも贈ってやりてぇとか思ってるんじゃね?」
「―…」

「つか、琥一って彼女いんの?」


図星を刺されて固まった俺に気付いているのかいないのか、先輩が屈託なく聞いてくる。
最初っから思ってたけど、この人、ほんと物怖じしねぇな。
外見のせいか、どのバイト先でもそんなことほとんど誰にも聞かれたことねぇのに。
そう思いながらゆっくりと口を開いた。


「…先輩は、どうなんスか?」

「俺ー?俺は……こないだフラれた」

「…っ」

「いやー、やっぱ女は甲斐性のある男がいいみたいだなー」


こんな風に、好き勝手絵描いて、収入の不安定な仕事してる男はダメみてぇだわ。
そう自嘲気味に続けて、短くなったタバコを空き缶の中にぽとりと落とした。


「琥一もフラれねぇようになー」


別に、まだ彼女がいるとも言ってねぇのに余計な心配をしてくれた先輩が立ち上がる。


「さーて、もうひと頑張りすっか」

「…ッス」


続いて立ち上がって、自分より一回りは小さいだろう先輩の後ろを歩いていると、先輩が急に足を止めて勢い良く振り返った。


「ってか、お前彼女いんの!?」「……天然か?」


この人のテンポは、どこかアイツを彷彿とさせて。
男相手に、可愛い人だななんて思っちまったじゃねぇか。


「俺は養殖だ」

「いや、天然だろ」

「つか、お前さっきから敬語じゃねぇぞ」

「いいだろ、もうメンドくせぇ」

「だな、メンドくせぇよな」

「って、それでいいのかよ…先輩なら雷の一つや二つ落としゃいいだろ」

「俺あんなパンツ穿きたくねー。緑のアフロとか耐えらんねぇー!ウクレレ弾けねぇし」

「別にピンポイントでそれ選ばなくても良くねぇか?」


バカみてぇに意味のねぇ会話。
一頻り先輩のボケなのか本気なのかよく判らねぇ会話に付き合って、不意に訪れた沈黙。
深夜近くの時間帯、周囲は耳に痛ぇほど静かで。
ちらりと盗み見た先輩の横顔は、あぁ好きな仕事やってる男ってカッケェなって思うような真剣な表情だった。
そんな先輩が手を動かしながら鼻歌を歌い始めて。
そのBGMにノッて手を動かしてたら、急にふつりとそれが途絶えた。
なんだ?と先輩を見遣ると、ツリーの天辺の星を描こうとして脚立に上っていた先輩がこっちを見てて。


「琥一、なんか願い事ねーか?」


なんて言うもんだから、思わず怪訝な表情で首をかしげた。


「毎年さー、この星描く時は絶対叶えたい願い事しながら描いてんだ」

「…じゃあ、自分の願いにすりゃいいだろ」

「俺はもう、願うことなんかねーし」

「?」

「とにかく、今年はお前の願い事、願ってやっから」


な?ってにこにこ笑ってる先輩に、素直に願い事を言えるような自分なら、こんな顔はしてねぇと思う。
ルカならきっと『マジ?ラッキー!じゃあ、お金持ちになりたい』とかって言うんだろうな。


「なんだよ。ねーのかよ?」

「…別に」

「ったく…じゃあ、俺が勝手に決めるぞ」

「それって、俺の願い事じゃねぇだろ」

「いやいや…『彼女と末永く幸せでいられますように』…って願い事なら文句ねぇだろ?」

「―…彼女がいるなんて一言も言ってねぇ」

「え?いんだろ?琥一はいねぇなら『いねぇよ、悪ぃか!』って言いそうだしな。いや、でもいても『いたら悪ぃか!』って言うんだろうな」


先輩は一人でひゃらひゃら笑って、はけに黄色いペンキを含ませた。
思い切り良く、ツリーの天辺に星を描く。
大胆に、それでいて丁寧に。
そうしながら、先輩が少し淋しげに笑った。


「俺、毎年そうやって願ってた」

「あ?」

「彼女と幸せでいられますよーにって」

「……チッ。じゃあ、願っても叶わねぇんじゃねーかよ」

「はは!そうかもな。けど」


言って、先輩が塗料を小分けにしたポリ容器にはけを戻す。


「自分の願い事じゃなくて、誰かの願いを一生懸命祈りながら描いたら―…なんか、叶う気がすんだ」


ニカッと笑った先輩の笑顔が、月明かりに照らされて。
その顔と同じくらいの大きさで描かれたツリーの星が、きらりと光ったように見えたもんだから。
『叶う気がするだけだろ?』なんて悪態をつくのも忘れて、先輩を見上げてた。


「幸せンなれよー、琥一ぃ」

「…へいへい」

「やる気ねーな」

「っつか、幸せになんか一人でなるもんじゃねぇだろ」

「うっわ、すげー男前!」

「っせぇ!後ちょっとなんだから手ぇ動かせ!」

「って、どっちが先輩だか判んねー!」


この人、マジ何やってても楽しそうだな。
年下に命令されても、飄々と笑って受け流して。
いい人だと思うし、一緒に居りゃ楽しいと思うけど。
それだけじゃ、女は付いて来てくれねぇってことか。

ハァ、と吐いた息が、白く霧散する。
見上げた夜空に星はなくて。
雪が降るのかもしんねぇな、なんて思ったら、急激にアイツに会いたくなった。









「っし!お疲れさん!」


先輩がポリ容器に放り投げたはけがカランと音を立てる。
まだ暗いその路地で、仕上がったばかりのペイントを眺めて。
二人で温かいコーヒーの缶をかちりと合わせた。


「バイト代、すぐ振り込むから」

「よろしくお願いします」

「何に使うか聞いてもいー?あ、生活費以外で」


先に逃げ道を断たれた俺は、ひょいと肩を竦めてツリーの星を見遣る。


「―…彼女に」


自分以外の誰かに、初めて願ってもらった未来の幸せ。
それが本当に、叶えばいい。


「彼女に、指輪を買ってやりてぇんだ」


今は、安物しか買えないけど。
いつか―…そう約束して、不確かな未来への希望に繋げたい。


「そっかー…絶対喜ぶな、彼女」


ぽん、と肩を叩いて、満面の笑み。
その笑みに、もしかしたらそういうのは重てぇんじゃねぇかと少し二の足を踏んでいた自分の気持ちが、一気に軽くなった。

実際、結構キツいバイトの掛け持ち。
クリスマス直前までにどれだけ貯められるか判んねぇけど、自分のできる最大限でぶつかりたかった。
アイツの未来を束縛するのに、生半可な努力じゃダメなんじゃねぇかって。

けど。

どこかで、思ってんだ。
未来の約束なんかできなくてもいい。
ただ、クリスマスにプレゼントを用意して。
ただ、クリスマスを一緒に過ごして。


ただ、





アイツの笑顔が見れたらそれだけで―…。






「んじゃ、琥一、また縁があったら仕事しよーな」

「正月ペイントもやってみてぇ」

「…お前、彼女にお年玉でもやんのか?」

「やらねぇよ!」

「じゃあ金儲けなんかしてねーで年末くらい彼女と過ごせ。ペイントすんの大晦日の夜中だし、無理だろ?」

「……」

「彼女優先!以上、先輩からの名言でしたー」

「…何が名言だ」

「えー?すっげぇ名言だと思ったんだけどなー」

「…付き合ってらんねぇ」


ばたんっと閉めたトランクのドア。
勢いの良さに、内側でポリ容器が倒れるカタンという音がした。
バンに乗り込んだ先輩が最後にもう一度「じゃあな」って手を振って。
何となく、その車が見えなくなるまでその場にいた。

携帯で確認した時刻は、午前3時半。

吐く息は相変わらず白くて。
頭上の空はいつ雪を降らせようかと迷っているような雲が広がってやがる。

サイレントにしていた携帯に残る未読のメール。
受信したのはほんの半時間前で。



『なんだか眠れなくて。雪、降りそうな空だね……去年は一緒に初雪見たよね…なんだか、コウくんに会いたいな。』



バイトで忙しい俺に一言だって淋しいとは言わないアイツからのメッセージ。
『会いたい』なんて可愛すぎる我侭に、胸の奥がきゅっと締め付けられて。
ぱたん、と閉じた携帯をぎゅっと握り締めて、今にも駆け出してしまいそうな気持ちを抑え込む。


こんな時間に行ったら、迷惑だろ。


けど、もしかしたらまだ起きてるかもしんねぇし。


いや、今日は休みなんだ、また昼にでも連絡すりゃいいだろ。





―…でも。









ジャリっ



靴底と擦れた小さな石が、思いのほか大きな音を立てた。






今すぐ会いてぇ。






その想いだけで、アイツの家に向かって走り出す。








アイツの喜ぶ顔が見てぇ。








俺の原動力はいつだって。
―…ただ、それだけだ。




12/20のプレゼントはテーブルの下の秘密基地の桜咲様からの小説です!

男前コウ兄と先輩の物語で、実のところこの先輩が個人的に大変好みであります(真顔)
バンビが愛されているのがひしひしと伝わります…*



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