>> 事故/琉夏


「もう会えないんだって」


 あの子がそう言った日からずっと桜草を探していた。
 以前かくれんぼをしていた時に見つけた場所には既になく、茂る草を掻き分けてはあの小さな花を探す。

「おい、いい加減諦めろ」

 俺につきあって一緒に探してくれるコウが遠くからこちらへ近づいてくる。三人で探しても見つからなかったあの日から、二人で毎日探しているけど妖精の鍵は見つからなかった。

「でも、あれがないと、もうあの子と会えなくなっちゃうよ」
「……無くてもまた、いつか会える」
「そんなの、嘘だ!」

 知らず語気が強まる。その異様な迫力にコウは何かに気づいたのか、それ以上何も言わなかった。
 しばらく気まずい沈黙が続いた時、それを破るように古く錆び付いた門の軋む音が響く。二人揃って振り返ると、そこにあの子がいた。





「最後にお別れ、言ってきなさいって……」

 黒目がちな潤んだ目を一層濡らし、彼女は小さく呟いた。伏せられたまつげが頬に影を落とし、ひどく悲しそうだ。

「ルカくん、コウくん……また会えるよね?」

 うん、と頷きたかった。
 でも俺達は無邪気に全て肯定するほど幼くはなかったし、彼女のこのささやかな願いを否定できるほど大人でもなかった。
 今にも泣き出しそうな彼女の手をそっと握り、微笑む。彼女を悲しませないように、俺が泣いてしまわないように。

「ごめん。妖精の鍵、渡したくて探したんだけど、どうしても見あたらなくて」
「……うん」
「だから代わりに、おまじない」

 彼女の手を握ったまま、少し首を傾げその唇を触れ合わせる。肌とは違う、震える柔らかい感触を残し、静かに離した。

「おい、ルカ!?」
「――ルカくん?」
「母さんが、出かける時にしてくれたんだ。いってらっしゃいのキス」

 慌てるコウをよそに、俯いていた彼女の顔が今度は赤く染まる。

「また会える、おまじない。――帰ってきたらおかえりのキス、しよ?」

 あの雪の日、父と母はいつものように俺にいってらっしゃいのキスをしてくれた。でも、俺をとにかく早く医者に見せようとして、それで、――俺は二人におかえりのキスをしてあげることが出来なかった。
 気休め。子供だまし。おまじないに意味などないことは分かっていた。そんなことしてもしなくても、信じられない現実は無慈悲に襲ってくるのだから。

 だがルカのそんな思いとは裏腹に、彼女はさっきまで震えていたまぶたを開き、ふわりと笑ってみせた。



「――ほんと?」

 そのあまりに嬉しそうな顔に、ルカの心が一瞬止まる。しかし、次の瞬間にはいつものように笑って見せた。

「ほんと。だからもう、――大丈夫だよ」

 気休めでもいい。
 子供だましでもいい。
 ただこの一瞬だけ、嘘を真実にしてやる。意味がないなら、俺が意味を与えてやる。



 ようやく平常心を取り戻したコウが彼女の手を引き、門のところへ連れていく。前を歩く二人を見ながらふと足を止めた。
 振り返り、教会を見つめる。薄い桜色に色づいた夕焼けの空に、高い傾斜の屋根と美しいステンドグラス。辺りを囲うレンガ造りの塀とが照らされ、そこだけ絵本の挿し絵のように幻想的に映った。


(あの高さなら)

 あの塀に登れば、もっと遠くまで見渡せる。今はまだ身長も足りないし、降りるのだって大変だろう。
 でもこの背がもう少し伸びたら。高いところから探せば、遠くに行ってしまった彼女の姿もきっと見つけられるに違いない。
 



「おいルカ、何やってんだ」

 ずいぶんと遠くに離れていたコウがしびれを切らし、叫ぶ声が聞こえた。隣には相変わらず真っ赤になったままの彼女が、照れた様子で手を振っている。

「――いま行く」

 先ほどまでの暗い気配は姿を消し、きらきらと光を弾く髪を揺らして二人の後を追った。



--------------


「ほら、頑張って」

 ううんと唸り声をあげる彼女に手を伸ばし、ぐいと引き上げる。それを手助けにレンガ造りの塀に登り着くと、恐々と俺に体を寄せた。

「お、落ちないよね」
「バランス取ってれば大丈夫」


 妖精の鍵が二人を導き、またこうして彼女と出会えた。どうしてもここからの景色を見せたくて、怖がる彼女をようやく隣に座らせたところだ。
 初めて塀に登った日、思っていたような景色は得られなかった。少しだけ視線が高く、遠くの街が見えたが、探していた彼女の姿は見えなかった。
 それから暇を見てはたびたび登った。背が伸びるに従い見える景色も広がったが、やっぱり彼女は見えなかった。
 いつしか教会に行く機会も減り、その存在を忘れかけていた日。俺が道を分かつ決意をしたあの高校の帰り道。
 久しぶりにと行ったこの場所で、ようやく彼女を見つけたのだった。

「……綺麗だね」

 夕焼けに照らされて微笑む彼女の横顔を見、そっと抱き寄せる。わっとバランスを崩した隙に上からのぞき込むようにしてちゅ、と唇を落とす。

「……あ、危ないよ! もう」
「ごめん。――ねえ、おかえり」

 疑問符を浮かべる彼女の顔が面白くて、もう一度キスを落とす。ひゃ、と短く声をあげる彼女を更にぎゅっと抱きしめた。


 
 おかえり。俺の帰る場所。




(了) 2010.07.24

ねつ造事故チュー通称自己チュー編です

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