>> そして、世界は一人きり


「平くん、ちょっと相談があるんだけど……」

 彼女のその言葉に、俺はもう何度目になるだろう苦笑いを浮かべた。
 誰もいなくなった放課後の廊下。淡い橙色の西日が彼女の明るい髪のふちを照らし、そこだけが金色に光って見えた。間もなく咲ききる薔薇の様に、彼女に恋をするものだけが知る特別な綺麗さ。だがそんな当人は、困ったような笑みを浮かべてひとつの残酷を吐き出した。


「――嵐くんってさ、どんな子が好きだと思う?」
「ま、またその質問……」

 がくりと肩を落とす。
 何の因果か、平は同じクラスメイトの不二山嵐に恋をしていることを彼女から告白された。それ以来、何故か男心の相談役として時折話を聞いているのだ。
 どうして自分がその役に選ばれたのか。残酷な事をするものだなあと最初はかなりへこんだが、こうして放課後二人きりで話せる時間が愛しくて、つい甘んじてしまう自分もいた。

「やっぱり可愛い子? それか元気な子かなあ……運動苦手だけど、頑張ろうかな……」
「俺は別にそのままでいいと思うけどなあ」
「もう、平くんは優しすぎだよ!」

 本音なんだけどな、という言葉をぐっと飲みこむ。
 本当に優しさなんかじゃない。俺じゃない誰かのために、彼女が変わってしまうのが嫌なだけだ。――なんて。

(言えるわけないよなあ……)

 もう、と見上げてくる彼女の視線から逃れるように頬を軽く掻く。
 彼女とは一年の頃から一緒だが、入学当初から見違えるほど可愛くなったと周囲が騒いでいたのを知っていた。平からすれば彼女の魅力に何の変わりもないのだが、日々学園の憧れとして遠い存在になっている気がするのは事実だ。
 そして当の彼女自身が、それに気付いていないことも。

「でも嵐くん今は部活! って感じだし……マネージャー募集してたからやってみようかなあ」
「うーん、大変だと思うけど……確かに近くにはいられるかもしれないなあ」
「だよね! ちょっと話だけ聞いてみようかな」

 そう言って嬉しそうに笑う彼女は本当に綺麗で、何故だか少し悲しくなった。
 彼女はなんて楽しそうに恋をしているんだろう。
 そして同じ恋なのに、僕はどうして、こんなにも痛む心臓を抱えているんだろう。


 
(……苦しいなあ)

 彼女とこうして二人きりで話す時間を貰えるのは、すごく嬉しい。だが、本当に彼女のためを思えば――このままこのぬるま湯に浸かっていることはきっと、良いものではないのだ。
 はあ、と短く息を落として彼女に向き合う。窓ガラスと平に挟まれる位置にいた彼女は、平が無言になったのを察しそっと彼を見上げた。どうしたの? と言わんばかりの信頼しきった眼。友達を、見る目。

「平くん?」

 ゆっくりと窓枠に手を伸ばす。右、左と腕を伸ばし、すぽりと彼女が逃げられないように囲うと、流石にちょっと驚いたのか見上げてくる視線に困惑が混じった。だが平は構わず彼女に視線を落とす。

「あの、もしもの話、なんだけど」
「……?」
「君を好きだってやつが他にいたら、どうする?」

 だめだ。言うな。と平の中の誰かが叫ぶ。
 だが、堰を切ったような言葉は止まることが無かった。

「平、くん?」
「君の事が好きで、それを伝えたら、……君はそいつのことを見てくれるの、かな」

 黒目がちな彼女の目が陰り、悲しそうに睫毛が伏せられた。その様子に「ああ、これが答えなのか」とぼんやりとした頭が捉える。平の黒髪がさら、と流れ、合わせて首が傾く。その動きに彼女はびくつくように顔を伏せた。
 だがそれを逃さない、とばかりに彼女の頬を覗く。

「……!」
「やっぱり、不二山くんでないとダメ……かな? それとも、――」
「――おい、お前、何してんだ?」

 唇が彼女に触れるか否か、その刹那。よく通る声が誰もいないはずの廊下に響いた。平がゆっくりと振り返ると、そこには部活動を終え、鞄を取りに来たらしい不二山の姿があった。
 平と、それに阻まれている彼女の姿に気付いたのか、不快感を露わにする様に眉を寄せる。

「そいつ、嫌がってねえか?」
「……」
「離せよ、平」

 静かに近づき、平の腕を掴んで下ろさせる。無言のまま従う平の様子を見つつ、彼女はおずおずと不二山の傍に逃れた。その背に庇うように立つ彼と平の視線がぶつかるが、先に視線を外したのは不二山だった。

「ほら、帰るぞ」
「えっ、あの、嵐くん、……」
「いーから。鞄とって来い」

 そう言い終えると、不二山は平を一瞥し階段の方へ消えた。慌てた様子で教室から鞄を抱えてきた彼女も、同じく平を見た。悲しそうな、困惑したような眼。なんと言ったらいいか分からない、と言わんばかりの彼女を見て、平はいつものように苦笑いして見せた。

「ほら、早く行かないと」
「……平くん」
「不二山くん、待ってると思うよ」
「……」

 長い沈黙だったのだろうか。
 彼女はそれ以上答えることなく、踵を返し不二山と同じく階段の方へ向かった。カタンカタンと落ちる階段の音が聞こえなくなったのを確認し、平は閉じられていた窓のクレセント錠を外す。
 ガラリ、と窓を開けると夕刻の冷たい空気が肌に、鼻先に触れた。濃い赤色が山の端を覆い、その上に薄い藍色が彩る。綺麗な、綺麗な世界。誰もいない、一人だけの世界。





「これで良かったんだよなあ……」

 不二山が部活の後、鞄を取りに教室に戻ることは知っていた。今まではタイミングや場所をわざとずらしていたが、今日この日、彼女と不二山を近づけるのに、この方法しか思いつかなかったのだ。
 あんな姿を見せれば、正義感の強い不二山のこと。間違いなく彼女を助けようとするだろう。悲しい賭けに勝って、負けた。

 あれから不二山と一緒に帰れたのだろうか。恥ずかしくて話しかけられないといつも言っていたけど、ちゃんと話は出来ただろうか。――この綺麗な空を、今二人で見ているのだろうか。

「あ、あれ……」

 袖に水滴が弾かれる。いつの間にか目から零れた水が、一つ、また一つと平の袖を濡らした。ふるふると頭を振る様に払い、再び空を見上げる。
 俺は、上手いアドバイスなんて出来ないから。だからこれは、俺が出来る――最後の応援。

 はあ、と小さい溜息を零し空を仰ぐ。
 そのあまりに悲しい藍色の空を、平は一人で見つめていた。


 (了) 2012.09.10

70万キリリクの「嵐さんと平くんの三角関係。平君の隠しSを出しつつ嵐さん落ち」でした!

遅くなって本当に申し訳ありません; リクエストありがとうございました〜*

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