>> 君思う、故に僕あり



――一年に七日の夜のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも


「かなでちゃん、みてみてー!」
「新くん、それって……竹?」

 東日本大会を終えてすぐの日曜日。一息つきたいところだが、対戦校の神南の生徒も横浜入りし、セミファイナルに向けて準備をしている真っ最中のこと。菩提樹寮に帰って来たかなでは目を丸くした。

「竹だけじゃないよ〜ほら、笹飾りも!」
「おい新! どんどん引っ張るな荷台から落ちるだろーが!」

 しなやかに伸びる竹を肩に担いだ新と、その後ろで両手いっぱいの丸いくす玉を持つ狩野先輩の姿。見れば火原先生の運転する白い軽トラの背中に、更に何本もの笹と華やかな飾りが見える。ニュースなどで見覚えのあるそれは、幾つもの京花紙の折り紙で出来ていた。

「すみませんかなでさん、本当はお昼のうちに運んでおくつもりだったんですが……」
「大丈夫ですよ! それよりこれ、七夕飾りですか?」
「はい。僕たちのところでは七月七日ではなく、八月のこの時期に七夕をするんですよ」
 
 東日本大会の戦いを終え、この夏が終わるまでという条件で、菩提樹寮に籍を置いている至誠館。彼らの地元は東北仙台であり、聞けばいつもこの時期は祭りの手伝いに駆り出されているのだという。

「でもほら、今年はもうしばらく横浜にいるって言ったら、先生が運んでくれたんだ!」
「水嶋ァ! てめーしゃべってねえでさっさと降ろせ!」
「Porra! もっとかなでちゃんと話したかったのになー……まあいいや、夜になったら庭に来てね!」

 べっと舌を出した新に気付いたのか、更に火積の怒号が飛ぶ。それを慌てて止めに行く八木沢の背中を見送りながら、かなでは次々と運ばれていくそれたちを追って胸を躍らせた。夏の高い陽がようやく陰り始めた空。夕陽に照らされたオレンジ色の入道雲の奥に、薄紅とも深紫ともとれる絶妙な色合いで、まもなく夜が訪れようとしていた。





「かーんせーい!」
「ほう、なかなかに立派なものだな」

 藍色の布に幾つも針で穴を開けたかのように、星が零れる。そんな夜空の下で、大きな七夕飾りがその背を伸ばした。一番上に赤と白で覆われたくす玉が飾られ、その下には折鶴・吹流しといった飾りから、見慣れない巾着のようなものまである。
 かなでとニアがその大きさに感心しながら見上げる傍から、同じく菩提樹寮に住む二人の幼馴染も騒ぎを聞きつけたのか、庭に下りてきた。

「なんだこれ、でっけーな」
「七夕飾りだろう。だが仙台七夕の飾りは初めて見るな」
「本当はもっと何本も飾ってあって豪華なものなんですが、流石に横浜までは一つしか運べませんでした」

 横で少しだけさびしそうに八木沢が微笑む。腕を伸ばし、網状に切られた紙飾りを結びつけ終えると、見上げるようにして鮮やかな飾りを指差しはじめた。

「あの上にあるのが紙衣といって、厄除けの意味があるそうです。その下にあるのが屑籠。他の飾りを作り終えた後の紙くずを集めて、あれに入れるんです」
「屑かごって聞くと、飾りじゃないみたいですね」
「物を粗末にしない、という意味があるそうです。清潔と倹約とも言いますね」
「響也、お前も貰っておいたらどうだ」
「……へいへい」

 悪気なく言う律の言葉に苦笑していると、最後の飾りつけなのか新がその長身をいっぱいに伸ばし、手を振りながらこちらに走り寄って来た。その手にはカラフルな短冊状の色紙が幾つも握られている。どうやらあれが最後の飾りつけになるようだ。

「はいかなでちゃん! 願い事決めた?」
「願い事かあ、ニアは何にするの?」

 渡されたカラフルな短冊を手に、ニアの札を覗き込む。みれば既に何かを書きつけており、いつもの優雅な笑みを浮かべていた。

「私か? 私はこれだ」

 かなでが読みやすいよう傾けられたそれには流麗な筆文字で「もっと面白いものが撮れますように」と書かれていた。ふむふむ、とかすかに頷きつつ、今度は響也の手元を覗き込んでみる。

「な、バカ、見るなよ!」

 必死に隠そうとするが、後ろ手に持ち直したところでふっと紙の感覚が無くなった。あれ、と思い振り返るとそこにいたのは外の騒ぎを聞きつけた神南の二人。相変わらず自信に満ちた態度の東金が響也の短冊をつまみあげたかと思えば、横にいた土岐もそれを興味深げに眺めていた。

「何なに、『あいつより上手くなる』……これのあいつってかなでちゃんの事なん?」
「地味子な訳がないだろ。優秀な兄を持つと苦労するな」
「あああもう勝手に見るなよ!」

 慌てて取り返そうとする響也の攻撃を交わしつつ、何故かかなでの頭にそれを乗せる。落とさぬよう彼女が両手を上げる傍ら、東金が八木沢の姿を見つけて叫ぶ。

「ユキ! 俺にも短冊よこせ」
「そんなに急がなくても沢山あるよ。はい」

 東金と幼馴染らしい八木沢は、慣れた様子でいくつかの短冊を持ってきてくれた。扇状に広げられたそれのうち、鮮やかな深紅の短冊を選び出し、またもちょいちょいと手を動かす。何だろう、と思って見ていると何も言わぬまま八木沢がもう一方の手に持っていた筆を手渡した。恐ろしいほどのスムーズさがちょっと怖い。

「……よし、と。俺はこうだな」
「『如月律に勝つ』……これ如月クンが書いとったんと変わらんとちゃう?」
「あれはただの無謀だ。俺のとは違う」
「俺には一緒に見えるんやけどねえ……よし、こんなもんでええね」

 土岐もいつの間にか藤色の短冊を手に取っており、かたりと筆を置いた。かなでが気にするように見上げていたのに気付いたのか、「見る?」と東金には見えないように札を傾ける。そこには細い文字で『千秋が大人しうなりますように』と書かれていた。

「秘密やで、笹のたっかいとこに飾って分からんようにするから」
「蓬生、お前は何て書いたんだ」
「……『世界平和』……ああ、あの辺りが良さそやね」

 するりと猫が逃げるような優雅さで土岐が笹の方へ逃れ、「絶対嘘だな」とかなんとか言いながら東金が追いかけて行くのを見送り、今度は一人テラスに座り、静かに手を動かしていた律の願い事を見に行く。

「律君はなんて書いたの?」
「ああ、決まっている」

 眼鏡の奥の目がゆっくりと細められ、かなでの手に青色の短冊が手渡される。夜空に透かすように持ちあげると、たどたどしい文字で『全国大会 優勝』と書かれていた。律の悲願でもあるその願いを胸に、じわりと自分たちのいる状況を思い出す。

「俺たちは、出来る限りのことをしてきた。だからこれは願い事じゃない――目標だな」

 関西からやってきた神南の実力は、嫌というほど見せつけられた。東金に指摘された「花」もまだ見つかっていないし、律の腕は長時間の演奏に耐えられる状態ではない。その奥に控える天音の力も勿論のこと、全国優勝は簡単な道ではない。
 それでも。

「うん……頑張ろうね、律君」

 部内コンクールで涙を飲んだ部員達の気持ちと、東日本大会でその意思を星奏に託した至誠館。彼らの分まで、自分達は背負っているのだ。ほどほどの演奏で満足したくない、出来る限りの演奏で舞台に立ちたい。それが勝者の責任なのだから。
 改めて両手を添え、夜空を仰ぐ。その時、笹飾りの方から何やら賑やかな声が上がってきた。





「だから俺じゃないって言ってんだろ!」
「ええやん、素直なんはいいことやと思うけど?」
「何かあったんですか?」

 律と連れだって騒ぎの根源に駆け寄る。見れば大きな吹き流しの下、一枚の短冊が物議をかもしているようだ。皆が見上げているのにつられるように顎を上げる。そこにはピンク色の紙に綺麗な文字で『貴方ともっと一緒にいられますように』と書かれた願い事があった。
 今までの闘争心全力の願い事とは違い、祈るような、少し切ないお願い事にも見える。

「俺達が飾る前にもう吊るされていたからな。全く、大したロマンチストがいたもんだ」
「だから何でそこで俺を見る!」
「素直やないなあ、ほらかなでちゃんも驚いとうよ」

 土岐の言葉に、こちらを向いた響也としっかり目が合ってしまう。一瞬で幼馴染の顔が真っ赤になり、更に自己弁護を繰り広げ始めた。

「俺だってさっき書いたのだけだ! 大体、俺より先に飾ってたのは至誠館の奴らだろ」
「あ〜まあ、そういやそうだな」

 突然話が振られたのに驚くでもなく、何枚もの短冊を手にしていた狩野がうんうんと頷く。そして何故かその全てをひっくり返し、でかでかと書かれていた文字をかなで達に見せつける。

「だが俺は違うぞ! そんな生易しい願いは持ち合わせていないッ!」

 見れば男らしい豪快な文字で『もてたい!』と書かれていた。それも五枚。色違い。ある意味男前である。
 いそいそと飾りつけに行く狩野を見送ると、自然と残された伊織にも目が向く。複数の迫力ある美形の視線にようやく気づいたのか、その大きな体をびくりと震わせ慌てて両手の平を左右に振った。

「ぼ、ぼくも違うよ! ほ、ほら、あの『家族みんな元気で過ごせますように』っていうのが、ぼくので……」
「あー……まあ確かにお前、そんな感じだよな」

 先程まで疑われていた響也が、何故か毒気を抜かれたかのように笑う。それにほっとしたのか胸をなでおろす伊織の背後から、随分と静かだった長身のトロンボーン奏者が顔をのぞかせた。同じくして、片づけを終えたのか八木沢と火積の姿も見える。

「なになに、何の話?」
「お、そういやお前もいたな。おいお前だろあれ書いたの」

 響也が指し示す短冊を、うーん? と見上げていたかと思うと、口角を上げてにやりと笑う。そしてその手に持っていた短冊をくるくると扇ぐように回すと、かなでの前に差し出した。そこにははみ出るほど元気な字で『かなでちゃんともっと仲良くなれますように〜!!』と書かれていた。

「ぶっぶーはーずれ! ていうか、お星様に願うより、かなでちゃんに直接言った方が早いよね」
「ちっ、こいつも違うのか……」
「と言う訳でかなでちゃん。オレのお願い、今から叶えてくれない?」

 背後で響也と新の牽制し合いが始まったのを放置し、かなでも改めて渦中の短冊を見つめる。日の落ちた夏の夜。涼やかな風に風鈴の音色が乗り、パタパタと揺れるそれを見ていると、どこからともなく現れたニアが試すように囁いた。

「残るは至誠館の二人のどちらか、というわけだな。ふふっどちらも古風で、あんなに分かりやすく独占欲を出すタイプじゃないと思ったんだが……」
 
 確かに狩野も伊織も、新も違うとくれば残るは八木沢や火積か。二人とも硬派で恋愛がらみの願い事などしそうにないたちだが、人と言うのは分からないものだ。
 他の菩提樹寮の住人達もその事実に気付いたのか、二人にじとりと視線を送る。当の二人は何故見られているのか分からず困惑しているようだ。

「……あの、みなさんどうしたんですか」
「部長ー! 短冊に、なんかこう、楽しい事書いたりしました?」

 誰が行くか、と留まっていたところに新が勢いよく切りこんで行く。よくやった! よく行った! と心の中で褒め称える一方で、皆が不自然に静まりかえる中、注目された八木沢が目を丸くした。

「よくわかったね、水嶋」
「おいユキ! 本当なのかお前、その、『貴方と……」

 珍しく慌てる東金をよそに、八木沢はその癖のない髪を揺らして笑った。そして、その手に持っていた短冊をぴ、と立てて見せる。

「『ファイナルでも良い演奏が出来ますように』……何を書こうか悩んだんだけど、小日向さん達にも頑張ってもらいたいし、千秋の力も知ってる。だから、このお願いにしました」
「って、部長まだ吊るしてなかったんですか〜!?」
「八木沢、お前それ自分の願い事にすらなってねえぞ」

 え、と疑問符を浮かべる八木沢を残し、新といつの間にか戻ってきた狩野が脱力したように肩を落とす。逆に東金はやはりな、というしたり顔で頷いていた。

「ユキは昔からこういうやつだからな」
「千秋……僕は何か悪い事をしたんだろうか……?」

 いまいち状況の掴めていない八木沢を残し、全員が溜息をつく。だが、二人の可能性のうち一つが消えた、それはつまりもう一人に可能性が確定したことに他ならない。律を除く全員が、その額に傷のある男に目を向け、

「……なんなんスか」
「い、いや! なんでもねえよ!」
「硬派に見えて意外と物やわいところもあるんやねえ」
「ほ、火積くん、ぼく応援してるからね……!」
「うおおおお火積! 抜け駆けは許さん!」
「火積せんぱーいずるいですよオレに内緒にするなんてー!」

 全員から口ぐちに感想と応援と文句を言われ、額の古傷に困ったような眉間のしわが浮く。そんな火積を残し、一人また一人と「頑張れよ」「練習も怠るな」とその肩を叩きながら寮の中へ戻っていく。気付けばもう夕飯の時間を随分と越していたようだ。
 そして八木沢と火積だけを残し、夏空の下はるばる仙台から運ばれてきた勇壮な笹飾り達を見上げて、火積がぼそりと低い言葉を落とした。

「部長……俺、そんなに頼りないですかね」
「そ、そんなことは……狩野の抜け駆けの意味が分からないけど……」

 その大きな体に似合わない落胆ぶりで、火積がひっそりと肩を落とす。その手には『部長として頑張れるように』と控えめな文字で書かれた短冊が握られていた。







 夕食を終えた深い夜の合間。女子寮の方からはヴァイオリンの音が聞こえ、東金達がサロンで食後のティータイムにいそしんでいたのを横目に見、八木沢は一人庭に下りていた。ざわり、と笹の葉が流れる音が続き、思わず空を見上げる。細やかな小粒の星達が砂のようにばらまかれた天の川のほとりに、いくつか息をするように輝く星が見え、その暗がりの下、手作りの折鶴や投網が音を立てて舞い上がっていた。
 その優雅な姿をしばらく見つめ、飾りの影、誰にも見えないような位置に短冊のひもを伸ばす。

「ようやく願い事か? 至誠館部長」
「え、うわっ……! びっくりした、貴方でしたか」

 突然かけられた声に振り返ると、そこにいたのはかなでの友人で報道部だという彼女。どことなく猫を思わせる所作を目で追っていくと、脚立をするすると上り、遥か上の方にあった一枚のピンク色の短冊を取り外していた。

「何か分かればと思って仕掛けてみたが……思った以上に色々分かったよ」
「……仕掛け、ですか?」

 その短冊に何が書かれていたのか知らない八木沢は、素直に首をひねる。その仕草にニアもまた目を細め、彼が手にしていた短冊に視線を落とした。

「しかし君も意外と策士だな」
「……なっ、何、を……!」
「こちらからは裏側がしっかりと見えているぞ」

 その言葉に慌てて短冊を裏返す。一面には先程東金に見せたファイナルへの願い事。だがその裏側、今は八木沢の胸に隠されているところに、小さな文字で書かれた歌をニアの目が逃すはずがなかった。

「――ひととせに、なのかの夜のみ、逢うひとの……なるほど、この夏が終わるまで、という訳か」
「……!」
「安心しろ、君の織姫には秘密にしておいてやろう」

 にい、と薄い唇が笑顔に変わり、八木沢はその頬を真っ赤にしたまましばらくその場に硬直してしまう。ざわり、と再び強い風が吹き、夏場特有の涼やかな風がたなびく笹飾り達を彩っていた。


(了)

某所にて掲載していました。八木沢部長好きだー!

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