>> 貴方にささげる選手宣誓



「おーい太陽! なにぼーっとしてるいったぞー!」
「あ、わ、す、すみませんー!」

 遥か左方に転がって行った白球を慌てて追いかけ、内野側に送球する。全身砂ぼこりにまみれたユニフォームをはたきながら、春日は再びベンチへと視線を戻した。
 
(先輩、大丈夫かな……)

 彼が気にしているのは他でもない、2つ年上のマネージャーの様子が、どうも練習前からおかしいような気がしたのだ。グラウンド整備の時から何だか上の空だし、スコアをつけ忘れては顧問に失笑され、今も少し疲れた様子で基礎練習の資材を片づけていた。
 本当は今すぐ走って行きたいが、先輩達のノックは終わらず、よそを見ていた春日に再び怒声が飛んだ。もちろんカキンと甲高い音を上げるボールも一緒だ。

「たーいーよーうー!」
「は、はいー!」

 結局気持ち多めに捕球させられ、ようやく休憩となった。急いでベンチに戻ると二年のマネージャー達がドリンクやレモンのはちみつ漬をふるまったりと慌ただしい。だがそれらに目もくれず、春日は彼女の姿を探す。いない。

「あの、先輩は……」
「え? ああ、多分体育倉庫に片づけ行くって言ってたけど…」
「ありがとうございます!」

 お礼を言うもそこそこに教えられた方へ走り去る。そんな春日の姿を見て、先輩他マネージャー達もが「相変わらずわかりやすいなー」と暖かい保護者のような眼差しを送っていたことは、本人と当の彼女だけが知らない。




(体育倉庫ならこっち通るかな……)

 校舎の合間を走り抜け、辺りを見回す。片付けと言っても練習資材は一抱えはあるはずだ。重さもそれなりにある。一声かけてくれればいくらでも運ぶのだが、真面目な彼女は「これはマネージャーの仕事! 太陽くんは他にもやることがあるでしょ?」と笑って、いつも一人で済ませてしまう。そう言うところがすごく好きなのだが、頼って欲しい男心の方も複雑だ。
 体育館を外周ぐるりと回り、倉庫への階段をひょいと覗く。と、その一番下の段で――彼女が倒れている姿が目に入った。

「――先輩!」

 慌てて駆け下りる。どうやら意識はあるらしく、彼女はその睫毛をゆっくりと押し上げた。

「……太陽くん?」
「先輩! 大丈夫ですか!? どこか打ってないですか!?」
「うん、ちょっとこけただけだから」

 どうやら階段の最後の段を踏み外しただけらしいのだが、それにしては様子がおかしい。春日は失礼します、と付け足し、その額に手の平を当てた。
 頬と目の感じから気になっていたが、案の定高い熱がある。部活中上の空だったのは、この熱によるものだったのだろう。風邪か、原因は分からないがこのまま外に残しておくわけにはいかない。

「とにかく保健室に行きましょう! えっと、起きれ、ますか?」

 ん、と体を起こす。だがこけた時にひねったのだろう、立ち上がろうとするも、足に力が込められず上手く起き上がれないでいた。苦しそうな顔。腫れている足。彼は困惑したように考えこんでいたが、彼女の前にしゃがみこむとその腕を肩に担いだ。

「先輩、あの、……ちょっとだけ失礼します」
「たいようくん…?」

 ぎゅっと首に巻かれた腕を掴み、足に力を込める。そのまま立ち上がり彼女の体を背負い、持ち上げる――が、どうにも上手く歩けない。

「あ、あれ、…?」

 無理もない。もともと小柄な春日の身長は彼女とほぼ同じ。それでおんぶしても彼女の足が地面に付いてしまい、結果痛む足を引っ張ってしまう。ならば、と足も抱えようとするが、練習の疲労やらか体格の差か、うまく背負うことができない。
 背中の彼女は辛そうに呼吸を続けており、先程より苦しそうだ。先輩がこんなに苦しそうなのに、僕は運ぶことすらできない。もっと背が高ければ、もっと力があれば。意味のない問答だけが心の中をめぐる。
 そんな時、天の助けのような声が階段上から降りてきた。



「――お前、大丈夫か?」
「……へっ、あ、あの…」

 現れたのは春日よりもずっと体格のいい上級生だった。3年だろうか、柔道着に黒帯を締め、明るい色の髪を立てている。その額には汗が散っており、彼もまた部活の休憩中なのだと分かった。

「あの! その、手伝ってもらっていいですか……」
「ああ。こいつ運べばいいんか?」

 言うが早いか春日の隣に降りて来た彼は、その背中から彼女を降ろしすぐに自分の背中に背負った。まさに軽々、という感じでなかば呆気にとられた春日を残し、コンクリートの階段を上って行く。
 結局そのまま保健室まで運んでもらい、養護教諭にお願いしてベッドを貸してもらった。少し休めば大丈夫、との言葉と、先程より落ちついた呼吸で眠る彼女の姿を確認し、安堵のまま廊下に出る。すると壁に寄り掛かっていた柔道部の先輩がついと視線を上げた。

「なんだって?」
「ただの風邪みたいです。ちょっと寝て熱が下がれば大丈夫だろうって」
「そっか。良かったな」

 最初は怖そうだと思った先輩だったが、笑うと急に優しく見える。

「あ、あの……ありがとうございました……」
「気にすんな。じゃ、俺練習あるから」
「は、はい…!」

 彼がいなければ自分はなにも出来ないまま、あの場所でただいたずらに時間を浪費していただろう。申し訳ないやらありがたいやら、という気持ちで頭を下げるが彼は校舎側にある柔道部室の方へ走って行ってしまった。その後ろ姿を見ながら、思わずため息を零す。だが次の瞬間、はっとその息を飲んだ。

「……あ、練習…!」

 休憩時間に出てきたことをすっかり忘れていた。体など全く休まっていないが、これ以上ここにいても怒られてしまう。後ろ髪を引かれる思いながら、何度か保健室を振り返り振り返り、春日もまた野球部のグラウンドへと戻っていった。



 案の定休憩時間を大幅に過ぎており、部活後のグラウンド整備に加えボール他道具の片づけ、部室の鍵閉めまで押しつけられてしまった。それらを終わられた足でバタバタと保健室へと急ぐ。ぜいはあと乱れた息を廊下で何とか落ちつかせ、一つ呼吸を置いた後そっと保健室のドアを引いた。
 心地よい温度に統一されたそこは暖かく、今は養護教諭も職員室に帰っているようで室内には誰もいない。ふと視線を動かすと、カーテンに仕切られたベッドの向こうに人影と穏やかな寝息だけが聞こえた。

「……先輩…?」

 返事はない。どうやらまだ眠っているようだ。起こすのもなんだか忍びなくて、カーテンから少し離れたその位置から、彼女の眠るベッドの方を向いた。そのまま乞うように手を伸ばし、白い仕切りのそれを掴む。

(……)

 倒れている先輩を見つけた時、本当に息が止まるかと思った。助けたい、と必死だった。でも、結局なにも出来なかった。
 僕もあれだけ身長が高ければ、体格が良ければ、頼りになれば。自分に足りないものを改めて見せつけられた気がして、羨ましいと同時に情けなさだけがこみあげてくる。




「……先輩」

 それは、誰にも聞こえない誓い。

「僕、もっともっと、頑張ります」

 野球も、運動も。身長だって伸びるよう頑張るし、力だって先輩を抱えられるくらいになってみせる。年下だからなんて関係ない。――先輩を守れる、男になる。

「いっぱい体鍛えて、先輩より大きくなって、野球ももっと上手くなります。約束します! だから、……」

 だから。

「ちょっとでいいから、――僕のこと……男として、見てくれませんか」

 年下で、小さくて、頼りない自分。それでも振り向いて欲しい。他の誰でもない、僕が守りたい。
 切ない願いを小さい声で言い終えると、掴んでいたカーテンをそっと放した。カラ、とレールの動く音を聞き、春日はようやく自分の行動を自覚する。

(ぼ、僕、何を言って……)

 これではまるで告白だ。幸いベッドの向こうの人影は動かぬまま、聞かれてはいないようだ。
 恥ずかしさのあまり、保健室を後にしようと急いでドアに手をかけ引き開ける。だがそこに何故か――寝ていると思っていた彼女の姿があった。

「せ、先輩!? な、なんで、ここに…!」
「あ、太陽くん! あのね、熱下がって足の痛みも引いたから家に電話しようと思って」

 運んでくれてありがとう、とお礼を言われたのにも困惑したが、それ以上に恐ろしかったのは――先程の、誓い。聞かれていたのだろうか、いや今さっき来た様子だったから聞かれていないのかも知れない、だがもし聞かれていたとしたら、

「――ご、ごめんなさい!」

 ぼん、と音のしそうな勢いで春日の顔が耳まで赤く染まる。何度も頭を下げると、何が何だか分からないまま茫然とする彼女を残して長い廊下を走り去ってしまった。取り残された彼女はその背を見つめながら、きょとんとした表情で一拍置いて「?」と首を傾げる。





「……今の、誰?」

 ふと、保健室のベッドから声が聞こえた。
 その声に彼女は微笑み、昨日徹夜だったんだ、と言って彼女に代わってベッドを占拠していた幼馴染に声をかける。

「太陽くん。野球部の一年生で、すっごい頑張り屋さんなんだよ」
「ふーん」

 ぎし、とパイプの軋む音と共に緩やかな金の髪をかきあげ、琉夏はようやく起き上がった。未だ眠たそうな目を彼女に向けたかと思うと、視線を落とし独り言のように呟く。

「……はぁ、また敵が増えた」
「琉夏くん?」
「なんでもない。帰ろ?」

 未だ疑問符を頭上に浮かべる彼女の手をとり、ベッドから立ち上がる。
 春日にとって幸か不幸か、廊下にいた彼女にあの告白は届いていなかったようだが、その代わり恐ろしい護衛に聞かれてしまったらしい。

「……俺も、始めよっかな」
「何を?」
「野球」

 琉夏くんが!? と目を丸くする彼女の顔に、くすりと笑いを堪える。この鈍感な幼馴染を簡単には渡さない、と思ってか知らずか、未だ足を引きずる彼女を庇うようにその手をとると、玄関へと向かった。
 年下の彼が越えるべき壁は、どうやら一枚や二枚では済まないらしい。



 
(了)2012.01.14

書いた直後の感想が「ていうか太陽君の話じゃなくね?」でした


言いたいことはなんとなく分かる(…)

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