>> 借り暮らしのバンビッティ


 テスト前の準備期間。
 校内に残っている生徒はほぼおらず、柔らかな夕陽が廊下の窓から差し込んでは影を落としていた。
 そこに現れたのは一つの人影。長身をかがめて階段近くをうろうろと移動していたかと思うと、困惑したように溜息を零す。



「……やっぱり、来てくれたんだ」
「――!」

 突如背後から掛けられた声に慌てて振り返る。もう下校したと思っていた彼女が、そこにはいた。入学当初よりずっと綺麗になったその顔を少しだけ曇らせ、困ったように笑っている。

「ストラップに加工されてたから気付くのが遅くなっちゃったけど、これ、私があげたやつだよね」
「……」
「持っててくれて、嬉しいな」

 それはアンティークのニードルレース。
 繊細な細工と古めかしい生成の生地が可愛くて、誕生日にあげたものだった。可愛すぎて自分には似合わないかも、と笑っていたがこうして形を変えてまで持っていてくれた。
 昨日廊下で落とした事に気付き、再び探しに来たところだったのだろう。

「来てくれるか不安だったけど、来てくれて良かった」
「……来るに決まってるじゃない。バンビがくれた、大切なものなのに」

 たとえそれが、自分が犯人であると知られることになったとしても。

「ねえ、教えて。どうしたらみんなを元に戻せるの?――カレン」

 視線の先、申し訳なさそうな顔をした花椿カレンが、彼女をみつめかえしていた。






「――、寂しかったの」

 高校に入って出来た友達。花椿という名前を怖がることも利用しようともしない、初めての友達。
 自分とは違うその素直さが羨ましくて、自分の弱い部分を見せても変わらないでいてくれる彼女が大好きで、――でもそんな風に日々成長する彼女の魅力に、他が気付かないはずもなく。

「バンビってば、柔道部のマネージャーになったかと思えば生徒会にも呼ばれて、……桜井兄弟もちょっかいかけてくるし」

 自分だけが彼女を独占できないのは分かっている。これはとても幼い感情。でもいつか、あの男どもの誰かに完全に彼女を取られてしまうような気がして、少しだけ意地悪をしたくなった。
 
「そしたら、姫子おばさまがこれを下さって……」

 香水に見まがうような小瓶が差し出され、思わず首をかしげる。どうやら花椿の関係者が作ったものらしく、これが彼らを小さくした原因のようだ。

「ほんっとうにごめん! まさかほんとに小さくなるなんて思ってなくて」
「カレン……」

 深く頭を下げる花椿の姿に思わず困惑する。
 確かに以前はよく三人でお昼ごはんやお泊り会だと遊んでいたが、柔道部のマネージャーになって以来、昼はほとんど部室の掃除と打ち合わせになっていた。おまけに放課後も生徒会の手伝いに行ったり、帰る時に桜井兄弟の知り合いらしき集団から見られることもあったので、巻き込まないよう見かけても声をかけなかったりした。
 忙しさに誤魔化されていたが、もしも逆に自分が同じようにされていたらと思うと、カレンを責める気にはなれなかった。

 どう言葉を返したら良いか、と悩んでいた時、更に背後から小さな声が落ちた。

「――カレンを怒らないであげて、バンビ」
「みよ?」

 聞き慣れた声の通り、肩口で切りそろえた髪の宇賀神が大きな目で見上げるようにこちらを見ていた。

「私も、カレンとおんなじだから」
「みよも?」
「バンビが、遠くに行っちゃう気がして」

 
彼女は鈍感だから気付いていないが、彼女を求めて輝いている星はいくつもあった。その一つに、自分たちはどうやってもなれないのだと気付いていたけど、みすみす奪われたくは無かった。

「でも、それは私たちのわがまま。ごめんね、バンビ」

 申し訳なさそうに頭を下げる二人を見、しばらく困ったように眉を寄せていた彼女だったが、ついで自身も深々と頭を下げた。
 その姿勢に気付いた二人は慌てて顔を起こす。

「バ、バンビ!?」
「――ごめんなさい」

 ゆっくりと上げられた顔には、苦笑とも嬉しいともとれる複雑なものが浮かんでいた。確かに彼らが小さくなって大騒動したが、今目の前にいる二人の友人の気持ちも理解できた。
 そして、自分も二人にきちんと話していなかったこと。

「私も、二人に何も言わなくて、ごめん」

 迷惑をかけるかも、と一緒に帰るのを諦めたことも。忙しさにかまけて、周りが見えなくなっていたことも。
 二人は毎日いっぱいいっぱいになっている彼女に気付いていたのだろう。カレンやみよがもし同じような状態になっていたら、きっと自分も寂しく思うし、話してほしい、と思うだろう。
 寂しさと優しさの混在した、わがまま。

 廊下に沈黙が落ちる。
 薄紅の夕陽が窓枠から長く広がり、濃い格子の影を落とす。校舎の外から、僅かに体育館の床を軋ませる音。テスト期間なのに、堪え切れない誰かが自主練習でもしているのかもしれない。光に照らされた埃が、雪のように落ちる。
 それは今だけの時間。
 三年と言う短い、だからこそとても重い、愛しい時間がここにはあった。



「――ふふ」
「……?」
「いや、アタシたちなにやってんだろーって思って」
「カレン?」

 沈黙に耐えきれなくなったのか、花椿が最初に笑みを零した。続いて宇賀神も目を細める。

「みんな謝ったから、もうおしまい」
「そ、そうなの?」
「そう」

 鬱積していたものを吐き出してしまったからか、三人はお互いを見あうと再びくすくすと笑いあった。

「よぅし、じゃー今から久々にお泊まり会、やっちゃおっか!」
「い、今から!?」
「賛成。カレンの順位を上げなくちゃ」
「えっ何何!? じゃあ今日は勉強会ってこと!?」
「大丈夫、バンビもいるから」

 そんなあ〜と情けない声を上げる花椿の背中をずいずいと押していく。今日はどうやら夜更かし上等のお泊まり会兼勉強会になりそうだ。
 と、ふと思い出し首をかしげる。

「そういえば、先輩とかルカくんたちはどうしたら…?」
「あ、いけない忘れてた! どーしよ、今からおばさまに聞いて――」
「大丈夫。今戻しておくから」

 え、と二人が目をしばたかせる中、宇賀神が楽しそうに口端を上げた。










 そしてほぼ同時刻、主が帰らないことが決定した部屋の中で、これもまた騒動が起きていた。

「もういいだろ! 俺は帰る」
「だめだよ設楽。こんな恰好で彼女の部屋から出たりしたら親御さんに何て思われるか……」

 突然元のサイズに戻った小人の住人達が、どうやってここから脱出しようかと審議中だった。戻るタイミングが分かれば準備も出来たのだが、突然戻ってしまったため着替えとして着ていた人形用のタキシード姿のまま大きくなっている。

「コウなら窓から行けんじゃねーの?」
「バッカおめえ、外から見られたら困んのはアイツだろうが」
「ああ、部屋に怖い顔の強盗がー、とか?」
「うるせぇ」

 制服を着ていたとしても、彼女の誘導がないまま勝手に部屋を出れば、彼女の家族とはち合わせてしまう恐れがある。一人ならまあごまかせるとしても、男子高校生が六人もぞろぞろと出てくる姿を見られては、どうやっても言い訳出来まい。

「でもここにいても悪いだろ。とりあえず親御さんに挨拶してくる」
「わー! 嵐さんダメですってば! しかもスーツで親御さんに挨拶とかマジ
洒落になってねーし!」
「そうか?」

 新名が危惧しているのはどうやら別の事のようにも思えるが、それを聞いた紺野が眼鏡を光らせ何故かネクタイを締め直している。

「そうだな。ここは生徒会長として僕が行くとするよ」
「ちょっ、あーもう、玉緒さんまでー!」
「おい紺野なんでお前は良くて俺はダメなんだ!」

 階下に響かないよう小声でぎゃいぎゃいと言い争う彼らを残し、外はゆっくりと夜を迎えようとしていた。





 数日後。

「あ、おばさま? その、以前頂いた香水の件なんですけど――」
「ああ、あれでしたらただの香水ですわ」
「で、ですが頂いた時に確か…」
「まあカレン! いくらわたくしと言えど殿方を小さくしてしまう香水など持っていませんわよ。もしそんなものがあれば今すぐにでも彼を専属に……」
「……おばさま?」
「あらいけない。ですから、あれは貴方がとても悩んでいるようだったから、何か楽しいことをと思ってそう言っただけですわv」

 チャオ、と言って切られた電話を持ったまま、花椿は一人首をかしげていた。


「うーんやっぱりこれ、普通の香水? でもそうなると――なんで小さくなったんだろーああもう!」

 小瓶を光に透かし、目を眇める。
 その側面は小さく星を散らしたようにきらきらと輝きを零していた。

――全ては、星の導きのままに。




(了)2011.11.19

これにてシタラッティシリーズ完結です!

まさかの一年越しになりましたが、およみいただきありがとうございました〜*

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