「……今日も来てないなー」

 仕事から帰り、晩御飯の片づけを終えてまったりとした時間。紺野が風呂に入っている間に居間のパソコンを付けメール画面を確認するが、相変わらず「新着メールはありません」の一文だけがぽつんと残されている。
 紺野先輩がこちらの世界に来てから五日。休み中に動向を決めたくて、とりあえずゲーム会社にメールをしてみたものの、返事はまだない。

(まあ、向こうも困るよね……)

――おたくのゲームのキャラクターが風呂場に落ちて来て、いま一緒に暮らしてるんですが、一体どうしたら良いですか? 

 実際にはもう少しだけ丁寧に書いたが、意訳するとほぼこのままだ。これで送るのもどうかと思ったが、事実を書いたらこうなったのだから仕方がない。

「あああ一体どうすればいいの…!」
「……ほんとに、何だかすみません」

 申し訳なさそうな声にはっと後ろを向く。そこには風呂から上がってきたばかりらしく、パジャマを着た紺野がわずかに眉を寄せ困ったように笑っていた。

「ち、違うんですよ! 今までこんな体験をしたことがないのでどうしたらいいのか悩んでいるだけで」

 今の状態が逆トリップと言われる状態なのは分かる。だがそれは他の漫画やゲームの二次創作作品で見たことのある物語上の話だ。帰り方も作者それぞれ、いや、帰ることが出来なかったものも、あった、よう な
 ぶんぶんと頭を振り思考を吹き飛ばす。諦めてどうする。とりあえず何かヒントを探さないと。

 ううん、と眉を寄せていた彼女だったが、ふと先程から静かになっていた紺野を目で追った。立ち絵にない深緑のパジャマでソファに座り、手にしていた攻略本を静かにめくっていた紺野だったが、ぱら、とページをめくっては寂しそうに目を伏せていた。断片的にでも元の世界の事が書かれたそれはやはり懐かしいのだろう。
 普段はご飯の準備を手伝ってくれたり、掃除をしたりとあの穏やかな笑顔を浮かべてばかりだから気付かなかったが、やはり紺野自身も元の世界に戻りたいのだ。

 先輩にあんな顔をさせてはいられない。



「……よし!」

 パソコンをシャットダウンし、お風呂に入る準備にと立ち上がりながら紺野の方に声をかける。

「明日、出かけましょうか」
「えっ?」
「ずっと家にいたらつまんないでしょ」

 突然の事にきょとんとする彼を残し、あの意味不明な「おっふろー」の歌を歌いながら早々に退避する。リビングのドアを後ろ手に閉めながら、暗い廊下で押し黙ったまま俯く。
 早く、方法を探そう。
 そして、紺野先輩にもっと笑ってもらおう。






 翌日、すっかり王子様のブランチ状態が板に付いて来た紺野を車に乗せ、とりあえず海岸線を走らせる。天気も良く、少し肌寒いが絶好のドライブ日和だ。

「と、出てきたものの……どこ行きましょうか……」

 ハンドルを握りながらううむと眉を寄せる。しまった。紺野先輩がしょんぼりしてるのが嫌で、とりあえず遊びに誘い出してみたものの、全くもってノープランだ。ご飯に行く時はいつもジョイフルだ。ちなみに東京に言った時にジョイフルないの? と言ったら変な顔されたのは衝撃だった。
 考えてみれば大分の観光地がほとんど思いつかない。別府か。あそこは温泉で有名だが日帰りよりは泊まりが良いし、豊後高田に出るにはあまりに遅く出発してしまった。
 どうしようどうしよう、と悩む彼女の傍らで同じく眉を寄せていた紺野だったが、ふと窓の外に視線を送ったかと思うと、あ、と短い声を落とした。

「あれ、何ですか」
「うん?」

 紺野が指さす先、国道の道沿いにあるのは一枚の看板だった。

「ああ、あれは猿の群れ情報ですよ」
「……えっ?」
「そこの高崎山の猿の情報が載っているんで……」

 す、と言おうとして言葉を止める。そうか。猿の群れ情報が出る看板がはばたき市にあるとは思えないというかこの日本にもいくつあるのやら。ちなみに夕方の地方ニュースに猿のニュースがトップで流れる事もしばしばだ。

「そっか、良かったら行ってみます? 高崎山」
「えっあ、はい。何があるんですか?」
「ええっと…… 猿?」

 異論は認めない。






「……本当に猿ばっかりだ……」

 うみたまごから繋がる道路を渡り、山の入り口にさしかかる。木で出来た簡素な柵の向こうに数十、いや百に近いかという猿たちがその寒そうな風に毛を逆立てながら丸くまとまっていた。本当に猿ばかりだが、ふわふわとしていて可愛らしい。
 一心不乱にえさを食べているものや、数匹で猿団子を形成しているものいて、彼女も見るのは久しぶりだ。

「ええと、今は全部で1200頭近くいるらしいですよ」
「それ、どうやって……」
「秋になると職員さんとボランティアさんが数えてるそうです」

 正確には山からえさ場に移動する群れを、定点観測で数えて行くらしいのだが、はたして同じ猿を二度数えたりしないのだろうか。疑問が残る。
 ギャッギャ、と騒がしい猿の鳴き声とその匹数にしばらく茫然としていた紺野をちらとのぞき見し、「気晴らしになっているかな?」と少しだけ嬉しくなったその時、更なる猿祭りが発生した。

「あ、餌の時間ですね」
「へえ、餌のじか……ん?」

 鳴き声が一層騒がしくなったかと思うと、寄せ場の奥から何故かリアカーを引いた職員が現われ、ぽてぽてと歩いてくる。その後ろ、餌の落ちていく先に恐ろしい勢いで猿が群がっていくのだ。

「ここから加速します」
「……」

 その言葉通り初めはゆっくりだった足並みが、じょじょに早くなり、やがて駆け足になっていく。そのたびにリアカーに積まれた餌がわさわさと地面に零れ、更に猿だまりが増殖していく。正直壮絶だ。中にはリアカーの乗り込んで座って食べている奴もいる。天才か。
 最終的にドドドドと効果音が出そうな勢いで退場していった職員の後ろ姿を無言で眺め、残された猿の群れに二人視線を戻す。

「……すごいね」
「すごいですよね」

 ちなみに最近では地元パルコのCMでもこの状況が見られる。パルコって何の店だったかなと思わされるくらいにはカオス。
 そのまましばらく眺めていると大方食事を終えたのか、再び猿たちがちりぢりと散っていく。気付けば彼女のすぐ隣に小さな猿がぺたりと座り込んでいた。

「あ、可愛い」
「ほんとだ。怖がらないのかな」

 木の柵があるとは言え、それを無視して猿が接近してくるのがここの特徴だ。つぶらな目をこちらに向け、ついと視線をずらされる。

「人間に慣れてるんですねーそう言えば足を広げてるときに猿がその間をくぐってくれると良い事があるらしいですよ」
「へえ、そんなのがあるんですね」

 猿を驚かさないよう、少しだけ近づいてみる。目を合わせないよう気を付けながらちら、と目線を送ると子ザルも平気な様子で頭なんか掻いている。

「あ、こっちにも来たみたいです」

 その言葉に紺野の方を振り抱えると、嬉しそうに報告する彼とその足元に座り込んでいる大人猿の姿があった。ほんとだ、と笑顔を返そうとした刹那、紺野の手がポケットの中に収まっていたことに気づく。

「あああああ、先輩、駄目です、手出して!」
「えっ、な、何?」
「先輩襲われます!」

 小声の伝令も意味をなさず、案の定隣にいた猿が紺野の背中に飛びかかった。あわわわわ、と逃げ出す紺野を更に猿が追いかけ、それを彼女が落ちつかせようと追う。ちょっとしたパニック状態だ。
 同時に他の猿が来たり静かに逃げたり、わずかな騒動の後、残されたのはへたり込んでしまった紺野の姿。猿一頭に混乱したのか、見てわかるほどに疲弊している。

「ここではポケットに手を入れちゃだめなんですよ。えさをもっていると思って襲ってくるんです」
「すごくよくわかりました……」

 前にしゃがみ込むと乱れた髪の毛を直してやる。

「でも逃げるときに猿が足の下を通ったんですが、これは……?」
「……先輩、襲われたのはノーカンです」
「やっぱり……」

 そう言えば近藤さんもゴリラと結婚してたしなあ、千葉さんは猿カテゴリに好かれるのだろうかなどとぼんやり失礼な事を考えながら、彼女はゆっくりと紺野の手を取った。


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