>> 設楽家の人々




>三月某日 晴れ

>聖司様のもとへ一名のお客様あり。
以前より何度かお招きしたことのあるお嬢様でしたが、今回お二人をとりまく空気が少し変わったような気がしました。





 それは教会での告白を終えてすぐの日曜日。いつものように彼女を部屋に招いたわけだがどうにも落ち着かない。その原因は設楽自身が一番よく分かっていた。

(――キスしたい)

 言っておくがどこかれ構わずキスしたがっている訳ではない。
 だが教会で告白した際、彼女の方から先にキスされたのがどうにも気に入らなかった。その後やり返してやったからその場はよしとしたが、今度は自分からと思うのは男として当然だろう。以上言い訳終了。

「そこに座ってろ。茶でも持ってきてやる」

 はい、と微笑む彼女の姿に背を向け、扉の方へ急ぎながら喜びが顔に現れていた。そうだ。もう先輩後輩ではなく、――か、彼氏と、かかか彼女なのだ。



「――坊ちゃま」
「うわ! な、何だいたのか!?」
「お茶とお菓子でございます」

 いつの間に現れたのか、メイドの一人が茶器の一式を揃えて待機していた。慌ててしまりのない表情を元に戻すと、彼女に出すよう指示を出す。

「ヴィヨンのヴィヨネットフランボワーズです。とっても美味しいですよ」
「わあ! ありがとうございます」

 テーブルの上に並べられた紅茶と菓子に目を輝かせる姿もまた可愛い。分かっている彼氏バカだ何も言うな。
 メイドが部屋から離れ、ようやく二人っきりになる。甘ったるい菓子を幸せそうに食べる彼女を横目に、頭の中は先程からキスのことで頭がいっぱいだ。

「これ、すごく美味しいです」
「そ、そうか、何なら俺のも食べていいぞ」
「わあ、ありがとうございます!」

 小さいフォークで運ばれていくケーキの欠片を目で追う。ピンク色の唇に触れるそれ。ああ、俺もケーキになりたい。
 やがてケーキが綺麗に皿の上からなくなるのを見計らい、紅茶を一口飲み込む。よし、今なら――

「あ、あのな――」
「聖司様、キルフェボンの黒イチジクのタルトをお持ち致しました」
「な、なんだいきなり!?」

 会話を突然打ち切られ、慌てて扉の方を向く。しまった頼んだ分が入れ違いに来てしまったのか。

「どうする、何なら下げさせ……」
「キルフェボン……!」

 恐る恐る彼女の顔を見る。先ほど食べたケーキの存在はどこへやら、キラキラとした目でこちらを見ていた。仲間にしますか?

ニアはい
  いいえ



「……運んでくれ」

 一瞬妙な幻覚が見えた気がしたが、振り払い彼女の分だけフルーツタルトを運ばせる。嬉しそうに食べるその様子をよそに、再度タイミングを図る。

(というか、一体どうやって切り出したらいいんだ…!)

 そうこうしている内に彼女は「ごちそうさまでした」と丁寧に手を合わせていた。ああ、もう、何でもいいから言葉を出せ!

「おい!」
「は、はいいい!?」
「ああ、いや、そんなに驚くな。その、お前、――」

 真っ赤になりながら言葉を探す。よし言える! ……と思った瞬間コンコンと澄んだ木の音が室内に響いた。

「聖司様、村上開新堂の半生菓子をお持ちしました」
「……ッああ、もう!」

 またもタイミングを奪われ憤慨する設楽。つかつかと扉に歩み寄り勢い良く開く。驚いた顔を浮かべるメイドの持っていた皿からひょいぱくと繊細な焼き菓子を食べると、おそろしくスマートに扉を閉めて彼女のもとに戻ってきた。その間わずかに二分。

「あの、今何が……」
「なんふぇもない、……気にするな」

 もぐもぐと急いで飲み込むその様子に、最初はきょとんとしていた彼女だったが、ゆっくり笑うと向かい合う設楽の口元に指を伸ばした。
 何事だ、と一瞬身をたじろがせるが、口の端を少しなぞっただけで再び離れていく。

「先輩、口に付いてますよ」

 普段の設楽からは有り得ない失態。だが彼女のその言い方が妙に艶めかしく、優しかったので、まあよしとする。

「……おい」
「何ですか?」
「その、……お前にキ――」


 しかし訪れる四つ目のお菓子。

「聖司様、虎屋の羊羹で――」
「多い!」

 いくら何でも多すぎる。ヘンゼルとグレーテルよろしく俺を太らそうとしているのか!?
 そこでようやく普段と違う屋敷内の空気に気づいた。静かに立ち上がり扉に近づくと、ゆっくり開く。掛けられた言葉通り、先程とは違うメイドがすました様子でお菓子を持っていたのを確認し、今度は更に身を乗り出してみる。




「……お前達、何してるんだ?」

 見れば、少し前にお菓子を運んできたメイド達に、普段こちらの棟にはいないメイド、調理場からはコック長以下数人のシェフに、軍手をしたままの庭師。挙げ句使用人一同を指示するはずの執事長までもがずらり身を隠すように設楽の部屋の様子を伺っていたのだ。

「も、申し訳ございません聖司様。何やら大切なお客様が来られたとのことで、我々使用人一同おもてなしをと」
「……ああ、もう、いいから全員仕事に戻れ!」


 プロの使用人らしく物音ひとつ立てずに散会したのを確認し、後ろ手で扉を閉める。くそっ部屋で茶を飲むだけで、俺は何でこんなに疲れてるんだ!


「設楽先輩? あの、何だか忙しそうなら私……」
「いや、何でもない、気にするな」

 ソファに座り、心配そうに見上げてくる彼女の側に行き、やれやれと息をつく。もうお節介なあいつらもいない。言うなら今だ。

「なあ、」
「はい?」
「その、あれだ、ええと……キ、」

 ああもうしっかりしろ俺。



「……季節の薔薇が咲いてるから、庭に降りないか」









「……何をやってるんだ俺は」

 季節は春。新緑の鮮やかな緑の中に丁寧に手入れされた八重の薔薇が並び、美しく咲き誇っているのを見て、彼女は楽しそうに設楽を残し薔薇園の奥へ入っていってしまった。 
 一人残された設楽は、広大な敷地の中央に据えられたベンチに腰掛け、頭を抱えたまま深い深いため息をこぼす。


(キスしていいか聞くだけだろ……と言うか、そもそもそれを聞くのもおかしくないか?)

 慣れない思考回路はただぐるぐると迷走を続ける。
 素直になった自分がようやく得たもの。ピアノとはまた別の意味で大切なそれは、小さくて柔らかくてすぐ壊れてしまいそうなのに、時折俺よりずっと強くてたくましいんじゃないかと思わされる。彼女を大切にしたい、だが同時に自分だけのものにしたい、閉じこめてしまいたい、とも頭をよぎる。

(ああ、もういい)

 結論の出ない疑問に自らギブアップをし、傍らにあった花籠から薄藤色の薔薇を拾い上げる。
 綺麗な頃合いで摘み取られたそれは、観賞用に短く切られ棘も丹念に取り去られていた。何の気なしにつまみ上げくるくると弄ぶと足元に長い影が落ちる。

(――影?)

 慌てて顔を上げる。考え事をして気づかなかったが、太陽がもう随分と傾いていた。そう言えば見て回ると歩いていった彼女がまだ戻ってきていない。

(……まさか、迷ったのか?)

 確かに広いが迷うほどはない――と思ったところで幼い自身の経験と、時々驚くほど鈍感な彼女の姿を思いだす。そのまま二三沈黙したかと思うと、緩慢な動作でようやくベンチから立ち上がった。




「――おい、どこだ」

 綺麗に刈り込まれた花株を見ながら辺りに目を配る。小さい頃はこの庭から一生出られないのでは、とすら思えたが、身長も延び見下ろすようになると何ということはない。何故か持ったまま来てしまった一輪の薔薇を指先でもてあそびながら、彼女の姿を探す――いた。

「……全く」

 彼女の姿は思いがけずすぐに見つかった。返事がないのに若干憤慨しつつ、彼女が座っている、アーチの下のベンチに足を進める。

「おい、何して…… …?」

 どうも様子がおかしい、とよく見ると、ベンチに座ったままの彼女は、すうすうと穏やかな寝息を立てていたのだ。そのあまりに無防備な様子に、何だか怒る気力も失せてしまい、向かい合うように眠る彼女の前に立った。



「お前な……疲れたから寝るって子どもか」

 呆れた、という言葉とは裏腹に、優しく微笑むと手に持っていた薔薇を髪に差し入れてやる。明るい色の髪に柔らかい紫が香り、気のせいか彼女も嬉しそうに笑った気がした。甘い花の匂い。物音一つしない、穏やかな春の夕刻。隔絶された庭の片隅で、世界に二人しかいないような錯覚に陥り、たまらずもう一度彼女の髪に手を伸ばす。思考が白になる。

 さらりとした髪が設楽の手からこぼれ、ぱた、と薄藤の薔薇がベンチの傍らに落ちる。そして、足元に伸びる二人分の影が重なり、わずかな時間を置いてすぐに離れた。




「――!」

 相変わらず静かな呼吸を繰り返す彼女に対し、設楽は手の甲で必死に唇を押さえていた。目をそらし、顔は耳まで真っ赤に染まっている。

(何を、しているんだ、俺は!)

 無意識に惹かれていったのだろう。自分のしたことにようやく気づき、慌てて脳内で第一回言い訳大会を開催する。
 意識のない人間にキスするなんて騙し討ちもいいとこじゃないか、いやこれで起きないこいつも悪い、と様々な意見が飛び交いパニックになる中、今回の被害者がようやく目を開いた。

「あ、すみません、私寝て……」
「いや、いい。気にするな。何も起きていない。安心しろ」



 結局「寝ている君にキスしました」などと言い出す勇気はなく、このまま自身だけの胸に秘めていようと堅く決意していた時、彼女が小さくくしゃみをした。

「そう言えば少し冷えたな。待ってろ、今上着か毛布を――」

 持ってくる、と屋敷の方に振り返った瞬間、庭の右から左からあまつさえ下からもコートに毛布、何故かアルパカのぬいぐるみまで持った使用人一同がそれぞれを差し出していた。

「聖司様、毛布です」
「コートです」
「庶民御用達ぬいぐるみ型カイロです」

 背後で驚く彼女の様子を感じ取りながら、更に使用人は増え続け設楽の周りだけ温暖化しそうな勢いで暖房具が積まれていく。一体お前達どこに隠れていたのかと。




「……おい、お前達いつからここに…」

 しばし無言になった設楽がようやく口を開き、それに再び先程の執事長が応対する。

「僭越ながら聖司様がお嬢様の髪に薔薇を――」
「わかった、もういい、何でもいいから…!」

 直後、悲鳴とも照れたとも取れる暴走した設楽の叫びが夕方の庭に響きわたった。


(了) 2010.09.22

アルパカ型カイロは後日設楽先輩の部屋に運ばれていきました

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