>> 借り暮らしのシタラッティ



――シタラーズに見られては、いけない



 我が家には奇妙な同居人がいる。

「先輩―やっぱりこのサイズで弾けるのはないみたいです」

 自室に戻り小さな紙の箱を開く。中にはドールハウス用の小さなグランドピアノが納められており、それを取り出して勉強机の上に置いた。

「そうか、悪いな」

 どこからともなく返ってきた声に姿を探す。現れたのは彼女と同じはばたき学園の制服を着込んだ男子生徒。特徴的な色素の薄いくるくるとした髪をしており、今は残念そうに眉を寄せ机に置かれたピアノを眺めている。
 その姿かたちは間違いなく「神童」設楽聖司。ただ唯一記憶と違ったのは――その全長が十センチほどしかない、ということだ。



「くそっ鍵盤の数も適当だな…」

 とりあえずその小さいピアノとセットになっていた椅子に座り、白い鍵盤に指を伸ばしている姿を眺める。音楽室で見かけた姿そのままが縮小されており、なんだか非常に可愛らしい。


「……何だ、じろじろ見て」
「あ、すみません! 今紅茶いれますね」


 設楽先輩がこのサイズになったのはおよそ一週間前。「音楽室」とだけ書かれたメールにまた何事かと飛んでいくと、ピアノの譜面を置く端っこにこのサイズになった先輩が座っていたのだ。
 とりあえず紺野先輩に「どうしましょう!?」と泣きついたところ、家と学校には適当にごまかすから原因が分かるまで待とう、という結論になった。
 そして、留守中部屋に他人が入る確率が低い方として、私の部屋に住むことになったのだ。


 某シルバニアなご家族のティーセットを綺麗に洗い、ストローの先で器用に紅茶を注ぐ。それを机に持っていくと、L字に置かれた携帯に乗り、文字のボタンをカチ、カチと一つずつ叩いている設楽の姿があった。


「紺野先輩に返事は出したんですか?」
「……この体だとメール打つのも難しいんだ」

 中央のボタンを更に二回押す。携帯の画面が「ね」に変わり、確定の為決定ボタンを押す。……面倒くさくなったのか足で押している。いいのだろうか。
 一段落してから、運ばれてきた紅茶を優雅に口に運ぶ。こんな姿になっても育ちの良さがにじみ出ているのが先輩らしい。

「早く紺野先輩にメール返してくださいね。あ、ちょっと寝る前に課題をやるので机借りますね」
「ああ」

 悠然と構えるその脇に今日の課題を広げる。シャーペンを走らせる間に、飲み終えたカップを端に置き、先程のピアノの椅子に足を組んで座ると手で顎を支えるようにつく。
 何ともつまらなさそうな感じが面白くて、解きかけの問題を指して聞いてみた。


「先輩、せっかくだから勉強教えてください」
「……面倒だ。今度紺野がこんなになった時に頼んだらどうだ」
「ええ―」

 なんだその声、と呆れたため息が続き、こちらも思わず笑ってしまう。
 それからしばらく携帯と格闘していたかと思うといつの間にか設楽先輩は姿を消していた。寝てしまったのだろうか。


(私も早く寝ないと……ふぁ、でも終わらな……)

 問題文がただの文字の羅列に変わり、ぐらぐらと視界が歪む。やがてシャーペンの転がるカランという音がしたかと思うと、その柔らかい髪が机の上に広がった。








 携帯のアラームに飛び起きる。
 時刻は朝の七時。窓の外は明るくなっており、そのまま机で寝てしまったのは瞭然だった。

(ど、どうしよう途中で寝ちゃったんだ……あ、課題!)


 慌ててプリントを見る。最後の一問、どうしても解けずに空白になっていたそれが――なかった。空白だったそこには歪な形の数式が埋まっており、その一番下に犯人からの声明文。




『無理するな 早く寝ろばか』

 
 あの小さな体でシャーペンを担ぎ、懸命に数式を書いている姿を想像し思わず笑みがこぼれる。疲れたのか起きてこない設楽の為、メモ帳を一枚はがしてなにごとか書き付けておいた。






 陽も高くなった頃、ようやく設楽が机に顔をのぞかせた。肩が痛い。まったく慣れない力仕事なんてするもんじゃない。
 用意されていたトーストの欠片を見つけ、もそもそと口に運ぶ。その傍らに見慣れた字の書かれたメモ帳を見つけた。



『先輩 ありがとうございます』
「……ふん」

 何事もなかったかのように遅めの朝食をとりながら、設楽は一人嬉しそうに微笑んだ。








「全く……設楽のせいで寝不足だ」
「どうしたんですか?」

 小さくなってしまった設楽をいかにするかと、毎日行っている情報交換の時間、紺野はやれやれとため息をついた。

「なんか夜中にメールで『解き方を教えろ』とか問題が送られてきてさ……二年の頃の問題だからさほど難しくなかったんだけどひっかけがあって」
「二年の、ですか?」
「ああ。解法を送ったら『もっと短くしろ』とか言われて……なんだったんだろう、あれ」

 思わずぎくり、と胸がはぜる。あえて真実を明かさぬまま、心の中で紺野に向かって両手をあわせた。



(了) 2010.08.09

先輩は別に小さくなくてもメール打つの難しげふんげふ

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -