>> 事故/紺野



(……早く準備しないと!)

 生徒会執行部に向かうため、結構な勢いで階段を駆け降りる。その腕にはコピーを終え、互い違いに山と積まれた今日の会議資料が収まっていた。
 重さもそれなりだが、何より視界が悪い。足元が全く見えないので、段を踏み外さないよう慎重にかつ迅速に足を進める。

(これを製本して、あとは各部の予算を会長に確認してもらって――あ)

 踊り場を抜け再び段差にさしかかった時、階下の廊下を見知った顔が横切った。優等生然とした我らが生徒会長である。

「こ、紺野先輩! あの、予算のチェックを――!」

 良かった探す手間が省けたと慌てて声を張る。しかし紺野には届かなかったのかすたすた歩いていってしまう姿を見、それを追うように慌てて階段を降りる。

「先輩、待――」

 途切れる息を我慢して、先程より大きく叫ぶ。切実な願いが通じたのか、その穏やかな背が足を止め、階段を降りる彼女の方に顔を向けた。良かった、気づいてもらえた。

「先輩、あの、予算を」

 ようやく速度を緩め、更に一つ足を降ろす。その時、ふと違和感を覚えた。
 足場がない。というか既に着地していてよい位置なのに、感触がない。




「危ない!」

 紺野が叫んだ声に驚き前を見る。普段の冷静さはどこにいったのかという位、慌てた表情の生徒会長が遠く視界に入ったのと同時に、足が奇妙な着地をした。
 一段踏み外したのか、そのままつんのめるように体が前に傾ぐ。腕に乗っていた書類がぶわりと浮き上がり、それを追うように自身の体も飛ぶ。

(……や、ば)

 い、と強く目を開く。不思議とゆっくり感じられる体感時間に何故か感心しながら、衝撃に備える刹那、ちら、と眼前を紺野の顔がよぎった。
 次の瞬間、顔面から肩への衝撃が走り、すべらかに廊下を走る紙の音と、バサバサと降り積もる白い雨が続いた。その光景に茫然としながら、ようやく階段から落ちたことを自覚する。

(――あああああやっちゃったあああ―! これまた拾い集めて並び変えて製本してええと――あれ?)

 徐々に冷静になる頭の一端に、先程まで廊下にいた生徒会長の姿がよみがえる。さっきまでそこにいた気がしたのだが、一体どこに。





「あの、そろそろ降りて貰ってもいいかな?」

 その答えは彼女のすぐ下にいた。
 申し訳なさそうなその声に視線を落とす。そこには困ったような笑顔を浮かべた紺野の顔があり、彼女が手を着いた先にはそれに続く胸板が静かに上下していた。

「な、せ、先輩なんでこんな」
「君が階段から落ちそうになっていたから、慌てて助けにきたつもりだったんだけど……はは、あまり意味なかったな」

 どうやら落下する彼女を受け止めようと駆け寄ったものの、その結構な勢いに耐えきれずそのまま押し倒されるように下敷きになったらしい。確かに階段の中程から落ちたにしては、大した痛みがなかった気がする。

(じゃあぶつかったのは床じゃなくて会長……って!?)

 そこでようやく今の体勢に気づき、慌てて体を起こし紺野の上から降りる。顔を真っ赤にして平謝りする彼女にいいよ、と笑いながらようやく紺野も上体を起こした。

「大丈夫? 怪我はない?」
「はい! もう、至って、全くもって健康です!」

 上級生、しかも生徒会長を押し倒してしまった、と混乱のただ中に落とされている彼女の姿に苦笑し、傍らにあった書類を拾い上げる。

「今日の資料だな、手伝うよ」

 辺り一面に踊り回った資料の山を拾い始めると、彼女もすぐにそれに続いた。幸いにもすぐに集めることが出来、その細い腕に再び紙の束が積み上がる。

「先輩、あの、本当にすみませんでした!」
「構わないよ。それより製本、手伝おうか?」
「い、いえ、大丈夫です!」

 紺野のその申し出に、ぶんぶんと音が出そうなほど首を振る彼女。混乱しているのか、まだ少し頬が赤いその様子を見て、紺野は困ったように息をついた。





 ありがとうございました! と何度も頭を下げ走るようにいなくなった後輩を見送る。その背が完全に見えなくなってから、視線を斜め下の廊下に向けた。

(……)

 ゆっくり手を口元に触れさせる。軽く曲げた人差し指の腹で、唇の感触を確かめるように押さえた。



(……不可抗力だよ、な)

 勢い良く飛んできた彼女を受け止めようと手を伸ばした結果、上体からぶつかってしまった。激しい衝撃と共に、一つだけ落とされた優しい接触。
 じわりと頬が熱くなるのを感じる。その熱を払うかのように、眼鏡の位置を正した。



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 文化祭も終わりまったりとした放課後。後処理のめどもつき、生徒会執行部も穏やかな時間が流れていた。

「会長、この報告書はどうする?」
「ああ、今年度のファイルに綴っておいてくれ」

 他の役員がそれぞれ片づけをしていくのを横目に、彼女もまた山と積まれた資料と戦っていた。

「お疲れ様。どう、終わりそう?」
「はい。あとは大迫先生の検印を貰うだけです!」

 傍らに積み重ねられた書類を誇らしげに見つめ、紺野の方を振り返り笑う。
 その嬉しそうな顔に紺野は目を細め、そのままくっと体を屈めた。
 その姿を隠すほどに積まれた書類の陰に、紺野の頭が消える。


 テーブルの斜め向こうには決算に追われる書記。しきりの向こうでは棚を整理している副会長の姿もある。
 至って普段通りの生徒会執行部。そのあまりに無防備な世界が、書類で死角になったその一瞬、生徒会長がただの男子生徒に戻った。





「あ、会長―ここの額なんですけど」
「ん? どれだい」

 いつもの穏やかな笑顔で呼ばれた生徒の元へ向かう。
 その後ろ姿は成績優秀、温厚篤実、聖人君子の生徒会長そのまま。だが、




「この報告書はもう――どうしたの?」

 自分の仕事が片づいたのか、役員の一人が彼女の手伝いに伺う。だがその書類の奥で、今にも煙が出そうなほど真っ赤になった彼女の姿が発見された。

「い、いえ! 何でも! ええとその、……ふ、不可抗力です!」

 疑問符を浮かべる役員をよそに、彼女は握りしめた左手を口に当て、混乱し涙目になった瞼を伏せた。
 その一瞬何が起きたかは、二人以外に知る由がない。



(了) 2010.07.31

先輩は多分こういうギリギリ系がすきだとおもう(曇りのない目)

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