>> 事故/新名



「なあ、なんで今日はオレに付き合おうと思ったの?」

 波を打つエンジン音にかき消されながら、彼が隣で楽しそうに叫ぶ。
 彼に出会ったのは実に三回だけ。一度目は完璧なナンパで、二度目は何故かナンパVSナンパ。フットワーク軽い人だなあと思っていたら、商店街で何だか小さい子に挟まれてオロオロしていた。これが何故か三回目だ。

「なんでだろう?」

 意外と悪い人じゃなかったから?
 いいよ、と言った時の喜び方が可愛かったから?
 
 彼の左右にはねた髪が風にふわりとなびくのを見て、その考えを心に押し込める。代わりにこちらから意地悪な質問をすると、慌てたように返してくる。
 その姿が餌を落として困惑するレッサーパンダのようで、思わず笑みが浮かぶ。すると、それに気づいたのか唇をとがらせて手すりにもたれ掛かった。





「あのさ」

 遊覧船の上を潮風が走り、冷たい冬の風が頬を走る。呼ばれた方に振り返ると、その明るい髪を押さえながらまっすぐこちらを見ていた。

「もしかして、だけどさ」

 驚くほど真摯な視線。船のへりから跳ねる白い波が、しぶきとなって降る姿がまるで雨粒のように見えた。

「オレ、アンタのこと――」

 がたん、と大きく足場が揺れる。
 言葉の最後を聞くことは叶わず、代わりに支えとしていた手すりから放り出され、向かいで同じくバランスを崩していた彼と共に倒れ込んでしまう。倒れる寸前、強く腕を引かれたかと思うと抱え込まれ、そのまま彼の体ごしにどん、と衝撃が走った。

「あっぶね…!」

 驚いたような呟きが何故か彼女の下から聞こえ、閉じていた目を恐る恐る開ける。
 見れば、彼女の下敷きになる形で、名前も知らない彼が倒れていた。手をついていたのはその体で、その軟派な様子からは想像出来ないほどしっかりと鍛え上げられている。

(柔道やるのに向いてそう……)

 はっ、と浮かんだ思考を必死に振り払う。マネージャーをしている癖で、良さそうな生徒がいるとつい勧誘してしまう習慣があるのには気づいていたが、何もこんなところで。職業病って恐ろしい。

「あ、ありがとう……」

 慌ててお礼を言うと彼も体を起こし、無言で手の甲を口に当てていた。その顔がとてつもなく赤くなっていた事に気づいた時、自身も唇に奇妙な感触が残っていたことに気づく。

「……」
「……あの」
「あ、ゴメ…!」

 謝られた。
 それにより、頭の中で必死にごまかしていた事象が全て一つに収束してしまう。

「ま、まあほら、事故みたいなものだって」
「そ、そうだよね! 事故! 衝突事故だよ!」

 笑えない冗談を言いながらつられて真っ赤になる彼女をよそに、彼もまた先程までの軽口を潜め、二人無言で白く泡立つ海を見ていた。

 名前も知らないキスが意味を持ち始めるのは、これから僅か三ヶ月後のこと。


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「ほんっと、あん時は驚いた」

 練習後、滝のような汗を拭きながら、新名が何かを思い出したかのように声にする。

「あん時?」
「入学式の前。アンタに会って、オレ、あんなんやった後どんな顔したらいいのか分かんなくて」

 立って練習風景を眺めている彼女の隣に座り込み、頭をがしがし拭いたタオルをそのまま被る。
 明るい色の髪がタオルの下に隠され、彼女からはその横顔、通った鼻筋しか見えない。


「うわやばどーしよ、ってなってたらアンタ普通に笑って声かけてくるし。おまけに即勧誘。まじマネージャーの鑑じゃん?」
「だってまさか年下で、しかもうちの学校とか思わなかったから、つい嬉しくて」
「………気にしてたのはオレだけかよ」


 ん? と聞き直す声に適当にごまかしながらゆっくり立ち上がる。
 毎日ナンパで時間潰ししていたオレが、まさか部活で汗流して青春、なんて正直マジあり得ないって思ってた。
 でも体動かしてみると意外と楽しくて、部室に行くとアンタと嵐さんがいて、合宿してバカやって張り合って。そんな漫画みたいな毎日が、いつの間にか居心地良くなってた。
 そしてアンタの名前を呼んで、アンタが俺の名前を呼んでくれることが何より嬉しかった。



「……ね、」
「ん?」
「キスしてよ」

 少しだけ視線を落とすと、あの船上と同じように真っ赤になった彼女が見えた。

「ほら、オレ今度初試合だし? お守りだと思って」

 冗談。
 嵐さんほどじゃないけどそれなりに身長があるし、隣りあう彼女とは頭一つ違う。この体勢のままキスするのはちょっと難しい。
 どうせいつもの年上の余裕ってやつで流されるか、怒られるか、どちらでもいい。この練習場の片隅で、オレだけがアンタを独占しているのが分かれば良かった。

 だがその意図は外れ、彼女はぐいと俺の柔道着の袂を掴み、そのかかとを精一杯にのばす。突然引っ張られたのに対応出来ず、思わず身を屈めると下から押しつけるように唇が当てられた。
 タオルを被っていたままだったので、練習に集中している他の部員にその姿は見えていないだろう。苦しそうに唇を離し、掴んでいた手を緩める。視界を覆うタオルの隙間から、静かに笑う彼女の顔が見えた。



「――がんばって」

 ああもうほんと、アンタどんだけマネージャーの鑑なんだよ。これだけ先にご褒美貰っといて、負けて帰るなんて出来なくなったじゃん。



「……ヤダヤダ」

 赤い顔を見られたくなくて、タオルの端を引っ張りながら再び座り込む。
 きっとその姿は落とした餌をようやく見つけたレッサーパンダに似ていたに違いない。




(了) 2010.07.28

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