>> 事故/琥一


 妖精の鍵なんて、そんなの嘘だ。


 あいつが最後のお別れを言いに来る今日、俺達は残り少ない望みをかけて桜草を探していた。だが結果はいつもと同じ。青々と茂る絨毯みたいな草が俺らを笑っているみたいだった。

「おい、いい加減諦めろ」

 しゃがみこんだままの琉夏に苛立ちながら声をかける。だが振り返ることもせず、その白い指を傷だらけにしながらなおも地表を探していた。



「でも、あれがないと、もうあの子と会えなくなっちゃうよ」
「……無くてもまた、いつか会える」

 別に一生会えなくなるわけじゃない。どこかで偶然再会することもあるだろう。
 だが、琉夏は琥一のその言葉が逆鱗に触れたかのように強い口調で言い返してきた。

「そんなの、嘘だ!」

 その様子に琥一はそれ以上言うのを止めた。
 妖精の鍵。心に望む人のところに連れていってくれる鍵。あの子に渡したいから、と懸命に探している花。

 でもよ、琉夏。
 その鍵が欲しいのは本当はお前なんじゃないのか?




 更に苛立ちが募る。親父とお袋の顔がよぎり、琉夏に問いただしたい気持ちをぐっと堪えた。そのしばしの沈黙。これを破るかのように、聞き慣れた甲高い音がした。あの子が教会に来て、錆び付いた門を開けた音。
 いつものように二人揃って振り返る。そこにはやはり、いつものようにあの子がいてた。ただ一つ、いつもと違っていたのは、今にも泣きそうな顔で立っていたことだけだった。




「最後にお別れ、言ってきなさいって……」

 小さい体が必死で涙を堪えているのが分かった。時折語尾が震えるのに気づかないふりをして、彼女の言葉をひとつも漏らさないよう拾い上げる。

「ルカくん、コウくん……また会えるよね?」

 琉夏と一瞬視線があった。そのまま二人ともうんともいやとも言えず、気持ちの悪い沈黙だけが落ちる。
 ――俺が迎えに行ってやるよ。心配しないで黙って待ってろ、と言えれば良かった。だが、あの頃の俺達は悲しいかなまだまだ幼い子供でしかなかった。
 琉夏も返す言葉に迷ったのか、何も言わず彼女の手を握り、あの聖歌隊のような小綺麗な顔を傾けた。

「ごめん。妖精の鍵、渡したくて探したんだけど、どうしても見あたらなくて」
「……うん」
「だから代わりに、おまじない」

 そう言うと何を思ったのか――突然彼女の唇に顔を寄せたのだ。そのあまりに自然な姿に何故か琥一の方が慌てる。

「おい、ルカ!?」

 その行為が恋人同士のそれだと言うのは知っている。動揺する琥一をよそに、キスされた当の本人はきょとんとした顔で琉夏を見つめ返していた。

「――ルカくん?」
「母さんが、出かける時にしてくれたんだ。いってらっしゃいのキス」

 なるほど、どうやら家族に対するそれだったらしい。と思うも心にはもやもやとした黒い影が落ちる。

「また会える、おまじない。――帰ってきたらおかえりのキス、しよ?」

 なにをバカな、と口にするのは簡単だった。だがそれを聞き、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる彼女の顔を見てしまうと、それ以上何も言うことが出来なくなってしまった。
 正直おまじないでも神頼みでもいい。このおまじないが、あいつを――琉夏をこの世界に留めておいてくれるなら。そしてこいつが、このキスで笑ってくれるなら、それはきっと俺にとっても本当のおまじないだ。



 気付くと空は美しく茜色に変化していた。そろそろお袋か、心配したこいつの親が探しに来る頃だろう。
 何も言わず彼女の手を握る。そのままゆっくり足を進めると彼女もとたとたと歩幅の違う歩みを始めた。少しだけ歩く速度を遅くする。
 琉夏はどうしたのかと振り返ると、一人教会の方を見つめたままぼんやりと立ち尽くしていた。何か思うところがあるのだろう、と声をかけるのを躊躇い、再び彼女の手を引く。

「……」

 あと数メートルの位置にまで門が近づいた時、ふいに彼女の足が止まった。つられて手を繋いでいた琥一の動きもくっ、と引き戻される。

「……どした」
「……行きたくない」

 この門を出てしまえば、しばらくここには戻ってこられない。
 それを察したのだろう、琉夏のおまじないがあるとは言え、彼女の憂鬱な顔は晴れない。琥一はしばらく彼女の望むままその場に立ち尽くしていたが、やがて不安げな彼女の腕を引き、ぎゅっと抱きしめた。




「……迎えに行ってやる」

 ためらった言葉が、口をつく。

「俺がもっと大きくなったら、お前を探して、迎えにいく。だから、待ってろ」
「……そしたらまた、三人で遊べる?」
「ああ、遊べる。――約束だ」

 言いながら体を離し、彼女の顔を見る。泣いているような笑っているような顔がおかしくて、クッと声を漏らすと、それに気付いたのか彼女の顔が赤くなった。
 しかしすぐに微笑みを浮かべ、俺の顔をのぞき込む。そしてそのままつま先を伸ばすと、ん、と唇を寄せた。
 ふわりとした不思議な感触が下唇に落ちた、と気付いた瞬間、先ほどの琉夏がしていた光景が頭に浮かび上がり、琥一の頬にさっと朱が走る。

「お、お前何して…!」
「さっきルカくんがしてくれたから。私からも、おまじない」

 にこにこと邪気なく言う彼女に毒気を抜かれ、くそっと髪を掻く。まだ熱い顔を必死に振り払うと、照れを隠すように大きく琉夏を呼んだ。



「おいルカ、何やってんだ」

 まともに彼女の顔が見れず、見当違いな方向を向いてしまう。
 どうせおまじないだから、と赤くなるでもなく、平気な顔しているに違いない。くそっ、まだ顔が熱い。俺だけこんな真っ赤になって馬鹿みたいじゃねーか。

 遠くから琉夏の声がし、草を分けて走る音が続いた。
 おまじないなんて信じるような柄じゃない。でも、この小さな願いだけで大切なこの二人を守れるなら、今だけはおまじないを信じても良いような気がした。


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「コウくん!」
「……おう、今帰りか」

 あいつのバイトが終わる時間だったなと思い出し、少しだけ遠回りしてバイクを走らせた。案の定丁度店から出てきたお前に見つかり、あの柔らかい笑顔を浮かべてこちらへ走ってくる姿に苦笑する。

「コウくんも今帰り?」
「おうよ。……乗れ、送ってやる」

 やった―と嬉しそうに破顔し、バイクに駆け寄る。彼女のためにいつの間にか乗せ始めたフルフェイスのヘルメットを掴み、渡そうとした一瞬悪戯心が首をもたげた。
 嬉しそうに乗り慣れた後部座席に手を伸ばす彼女の方に振り返り、名前を呼ぶ。ん? と横を向いた隙を狙って、顔を寄せその唇に自身のそれを合わせた。
 顔を離すと呆気にとられた彼女の表情が目に飛び込み、笑いを必死に堪えながらヘルメットをすぽりと被せてやると、ようやく反論が返ってきた。

「ちょ……コウくん!」
「うるせ―ほら早く乗れ、おいてくぞ」

 うううと子供の癇癪のような声をあげながら、ふかすエンジン音に急かされるように琥一の後ろに腰掛ける。おずおずとのばされた手が、振り落とされないようぐっと二人の距離を縮めた。
 その小さく確かな暖かさを背中に感じ、自身もヘルメットをかぶる。その下で自然と笑みがこぼれた。



 残念ながら俺は白馬に乗った王子様じゃない。でも約束通り、お前を迎えに来た。

 だから、俺にまたあの約束をくれよ。 
 あの日から俺をお前の騎士に至らしめた、あの無邪気な口づけを俺に落としてくれ。
 


(了) 2010.07.24

一番苦労したのは琥の漢字の出し方です

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