私のお兄様は、自分がこの世で一番不幸だという顔をして、そのくせとても夢見がちな人でした。お兄様はことあるごとに私に言っていました。

「妹よ。いいかい、僕は空から生まれたのだよ。あの大きくて青い自由な空から。なのに、なのに、どうして僕はこんなにも不自由なのだろう。どうして、どうして、なのだろう。嗚呼、空へと戻りたい」

 それは、私に言っているというよりは、ほとんど独り言で、私はいつもそれを聞こえないふりをしていたのでした。手元の本へとただひたすらに視線を向けて。
 その本は、私の大好きなものであるはずなのに、お兄様の話がビージィエムになると、たちまち内容が私の脳内へと辿り着かず、迷子になるのでした。



 寒さが特に厳しい冬のことでした。

 私がかじかむ手を擦り合わせ、近くの図書館から帰る頃にはもう、気の短い太陽は西へと傾き、落ちてしまっていました。その代わりに輝く人工的な灯りは、私とお兄様のお家からがまったく漏れていなかったのです。何だかそれが不吉に思えて、またそんな私を肯定するかのように、電灯はジージーと音をたて、今にも消えてしまいそうでした。

 小さく溜息をつきました。自分自身を落ち着かせるため、なのかどうか私自身も分からず、つまりはその行為に意味なんてなかったのです。

 小さく溜息をついたのです。すると、私の吐いた二酸化炭素はチカチカと点滅する電灯に照らされた酸素の中で、白く、ただひたすらに白く輝くのでした。

 そんな、どこか幻想的にも思えるモノを見たためか、私の心はゆるゆると緩んでいました。


「ただいま帰りました。お兄様? お兄様、いらっしゃらないのですか?」

 家に入るとそこは光の無い世界が広がっていて、暖房器具もついていないのか家の中は外と変わりなく冷えていました。かじかむ両手をゆっくりと擦り、二酸化炭素で暖めます。
 靴を脱いで床に上がると、余りの冷たさに指先からツンとした冷たさが、体中を駆け巡り、一つ身震い。この温度なら、雪うさぎさんはきっと長生きをすることでしょう。

 お兄様のお部屋を一つ、二つノックし、静かに開きました。当然その中は暗闇で、私は手探りで灯りを点しました。パチン。その音が無ければ、きっと私は叫んでいたでしょう。

「お兄様……?」

 パチン。パチン。灯りを点すはずのその音が、私の中でだんだんと膨らんではじける様にメロディの様に、鳴り響くのです。嗚呼、これは何なのでしょう。私の叫びすらも包み込む、この音は果たして何なのでしょう。

 お兄様は宙ぶらりんでした。だらしなく四肢をぶらさげて、天井から、そこに繋がる縄から、ぶらぶらとその身体をぶらさげていました。
 あの音が、私の叫びを奪ったからでしょうか。不思議と私の心は冷静で、先程まで感じていた不吉な予感など、今はどこにも無く。

 絶命。その一言がふさわしい姿になったお兄様は、それでも、そのお顔に穏やかな笑みを浮かべていました。生前には見たこともないような、楽しそうなお顔でした。

 嗚呼、お兄様。どうして貴方はぶら下がっているのでしょう。それがお兄様のお空なのですか。
 決して返ってくることのない疑問を、心の中でそっと呟きます。

 とりあえず、お兄様を降ろそうと試みても、私の小さな身体ではお兄様の大きな身体を支えることができません。それに、私がお兄様へと手を伸ばすと、まるでそれを嫌がるかのようにお兄様の顔が歪む。わたしにはそんな風に見えて仕方がなかったのです。

 お兄様を降ろすことを断念したわたしは、少しでもお兄様へと近づくために、イスをガラガラ持ってきて、そこに上ります。近くで見るお兄様の顔は、やっぱりどこか嬉しそうでした。
 お兄様。お兄様は、望んでそこにいらっしゃるのですね。


 そしてわたしは、お兄様にお別れの言葉を。けれど。いいえ、いいえ、決してそんなものはいらないのです。これから私は、お兄様のその頭を開き、そこからお兄様の夢を見るのですから。お兄様の夢と、記憶に出会うのですから。そこで、お兄様に再開するのですから。

 だから、今は。

「お兄様。貴方は今、どのような夢を?」

 願わくば、お兄様の夢がお空に帰るものであることを願うのです。




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