ほう、と惚けた顔で名前は目の前のその人に目を注いだ。足を組み、悠々と椅子に腰掛けているのは細身の男。組まれた足の上には分厚く難しそうな本が乗せられており、その上を白手袋をはめた細長い指が滑るように動いている。ページいっぱいにびっしりと刻まれた単語の線を白い指先が左から右へと滑っては、その動きを追いかけるように宝石のような碧眼が右へ左へとスライドを繰り返した。

ロード・エルメロイ。思わず恍惚とした表情で見入ってしまっていたのは、私が師として尊敬し、教えを受けている人である。

ふと、ぼんやりと熱に浮かされていた脳が手にしていたティーポットとティーカップの重さによって現実へと引き戻された。だらしなく緩んだ口元をきゅっと閉め直すと、名前はゆっくりとケイネスに近付く。

「ケイネス先生、紅茶、飲みますか?」

「ん、…ああ、戴こう。そこのテーブルの上に置いてくれたまえ。」

相変わらず視線は本の上に落としたまま、素っ気ない口調でケイネスが答えた。こちらにちらりとでも目を遣ろうとする素振りなど微塵も見せずに、彼は黙々とページを捲っている。

名前は言われた通りテーブルの上にカップを置くと、ティーポットを傾けてそこに紅茶を注ぎ込んだ。くいと注ぎ口を上向きに戻して、ちらり、傍にある横顔を垣間見る。彼女の存在になどまるで視界に入っていないかのようなその横顔に何か次いで声を掛けようとして、しかし名前はそうすることを止めた。彼の作業を中断させてまでできる話題が、残念ながら、ない。

名前は徐にテーブルの上にティーポットを置くと、簡単に会釈して彼の傍を離れた。それさえも彼の気にはまるで留まっていないようだった。

ぱたり。部屋を出て扉を閉めたところで名前は小さく息を吐く。それから俯いてきゅっと下唇を噛み締めた。…報われない、なあ。

はあ、と再び溜息を吐き出してから、それを振り払うようにふっと顔を上げる。と、顔を上げた鼻先に突然見慣れた緑の衣服が現れたものだから、途端に名前の心臓がびくりと飛び上がった。

「ら、ランサー、!」

驚きにどくどくと脈打っている心臓を押さえながらじりじりと視線を上げていけば、精悍な顔立ちの中に浮かぶ黄色い瞳と目がかち合う。

…しかし、何かあったんだろうか。ランサーは普段も無愛想だが、殊に今日はいつもにまして難しそうな顔をしている…気がする。

「……ランサー…?」

「俺のことは、あのような顔で見てはくださらないのですか。」

「は?」

彼が出し抜けに言った言葉の意味を即座に噛み砕いて飲み込むことはできなかった。

けれど彼の言葉から確かに読み取れることがひとつだけあって、次第にじわじわと頬に熱が集まってくる。…ランサーは霊体化でもして見ていたのだ。私が、間抜けな顔でケイネス先生を見つめていたところを。

それだけでも恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだというのに、それよりその言葉、どういう意味だ。

「わ、私のこと、からかってるんですか?」

「まさか、」

「それなら…、」

それなら、その言葉、どういう意味だと…。喉から出かかって、けれど名前は問うのを止めた。これより先の追求は、なんとなく踏み込むのを躊躇われる。暫し無言のままランサーと向かい合ったあと、けれど結局名前は情けなさそうに眉の端を下げるランサーの脇をすり抜けた。


貴方の中の私が見つからない


(気付いてしまうのが怖かった。)