ファナンは暑い、と思う。

ファナン育ちのモーリンを筆頭に他の連中はさほど暑がっているようには見えなかったが、自分はこのじりじりと照りつけるような暑さが苦手だった。雪国の生まれだから余計にそう感じるのかもしれない。

デグレアにいた頃には放っておいてもさほど気にならなかった長髪が、こうも首元に纏わりついてくるのが今はいよいよ鬱陶しくてたまらなかった。

「鬱陶しい…。」

そう言っておもむろに後ろ髪を掻き上げれば、目の前でアイスコーヒーを啜っていた名前がグラスから口を離してルヴァイドを向く。

「そんなこと言わないでくださいよ。綺麗な髪なのにもったいない。」

「…それは男に言う褒め言葉か?…しかしここはどうも暑くてかなわん。」

ルヴァイドがげんなりしたような声でそう言うと、名前は何か思いついたように掌をぽんと合わせると、にこり、というより、にやり、に近い笑顔で微笑んだ。

「そうだ、それなら結んで差し上げましょうか?」

ルヴァイドの返答を聞くよりも早くポーチから櫛と大きなリボンの飾りがくっついたゴムを取り出した名前が、椅子から立ち上がってルヴァイドの方へと近寄ってくる。名前はルヴァイドが座っている椅子の後ろに回り込むと、慣れた手つきで片手でさらりと髪を掬いあげた。

「ふふふふ…実は前から触ってみたかったんですよね、ルヴァイドさんの髪。三つ編みとか似合うと思うんですけど。」

「み、三つ編みだと?…却下だ。」

「おだんごは?」

「…却下。」

「ツインテールとか。」

「……貴様、ふざけているのか。」

「冗談です。でしたら普通にポニーテールに。」

背後で楽しそうにくつくつと笑う名前に一瞬だけルヴァイドは彼女に背中を預けたことを後悔した。…が、その考えはすぐに吹き飛ぶことになる。

髪を持ち上げる名前の手の感触と、髪に通る櫛の感覚。それが思いのほか心地いいものであったから。

「…上手いな。」

「一応こう見えても女の子なんで。」

「そうか。…お前に触れられるのは…悪くない。」

何気なく零したルヴァイドの言葉に彼の髪を梳いていた名前の手がぴたりと止まった。だがルヴァイドが不思議に思って後ろを振り返るよりも早く、名前の手が作業を再開する。

「…光栄です。でしたら次はぜひ三つ編みに挑戦させてくださいね?」

「…そうだな…考えておこう。」

そのとき彼がふっと零した微笑みをきっと名前は知らないのだろう。しかしあれほど嫌に思えたファナンの暑さも、今だけは悪くないように思えた。


少しだけ時間が止まればいい


(なんてことないささやかな日常の中の温かい掌に気がついたから。)