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新しい校舎、新しい世界。


《 03 》




入学式は、出席しなかった。


「・・・・・・・・・」


元々、人が多く集まる所はとても苦手だった。沢山の人が居て、沢山の聲があって、沢山の気配があって、気持ち悪くなる。
沢山の人に埋もれて、自分と言うちっぽけな存在が掻き消されそうで怖くて、だから昔からとても苦手だった。
と言うよりも、嫌いだった。
体育館から、司会者が入学式を進行していく声が時折響いてくる。その体育館を視界の端に収めながら、私はぼうっと応接室の窓から校庭を見回していた。
校門には立派な桜が何本か植えられており、今は桜吹雪がこの辺りまで届いている。
空は運良く晴れていた。
そっと校庭にある鉄棒や砂場を見てみると、鉄棒は成る程、小学校のそれよりもかなり高い位置に作られている。砂場に至っては遊びの為ではなく、走り幅跳びをする時用なのだろう、砂場の直ぐ隣に太い白線が引かれていた。
ここから見えるプールは、今は時期が時期な為に溜められている水は緑色に濁っている。プールに入れる様な気温になるまで、きっとあの水はそのままなのだろう。


「澪」


呼ばれ、振り返る。
同時、お兄ちゃんがソファに深く身を沈めていた。少し顔を顰め、深い溜め息を付きながら前髪を掻き揚げる。お兄ちゃんの前にあるテーブルには、書類と印鑑が無造作に散らばっていた。
そっと歩み寄り、書類を覗きこむ。見た限り、全ての書類に判子とサインが確りとされている様で。
―――仕事が、終わったみたいだ。


「お仕事、終わったの?」
「うん。―――ねぇ澪、眠い」
「?」
「眠い」


顰めた顔で、ソファの傍に立つ私を見上げたお兄ちゃんは、眠い、そう言うと同時にソファを指差した。単純に、「座れ」と言う事なのだと理解し、私は釈然としないながらも首を傾げるだけで素直にそこに座った。
私が座ると、きし、とソファが唸る。
同時、お兄ちゃんが何をしたいのかを理解した。


「・・・膝枕?」
「うん」


顔を顰めているのは、眠気と必死に格闘しているから。何とか寝まいと、顔を顰めて意識を保っている感じ。実際、目は眠そうに閉じたり開いたりを繰り返していた。きっと、少しでも気を抜くと、眠りへの船を漕いでしまうのだろう。
こう言うときのお兄ちゃんは、可愛い、と思ってしまう。多分きっと、顔を顰めて不服そうに咬み殺すよと言うだろうから、言わないけれど。それでも我慢できなくて、可愛さのあまり、思わず微笑んでしまった。


「―――・・・何?」
「ううん。何でもないよ」
「・・・ふぅん。・・・で、澪、いい?」


訝しげなお兄ちゃんの声に首を横に振ると、納得していなさそうな感じだったけど、お兄ちゃんにとってはそれよりも眠気の方が優先されたらしい。
さっきより眠そうに顔を顰めながら、けれども有無を言わさずでは無く、ちゃんと了承を貰おうとしているのが嬉しくて。


「うん」


笑顔で頷くと、お兄ちゃんは嬉しそうに、けれど目元だけで笑った。
もう我慢の限界、らしい。笑ったのは本当に一瞬で、パタリ、と私の膝に仰向けに倒れ込んだ。その速さに驚いて、けれどその後直ぐに心配になってお兄ちゃんの前髪を指先で退かして、その顔を覗き込む。


「・・・澪」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「・・・澪の、膝、柔らかくて―――好き・・・」


わぉ、恥ずかしいんだけど。
すーすーとそのままゆっくり眠っていったお兄ちゃんを見詰め、私は音も無く溜め息を付いた。
これからお兄ちゃんが起きるまで、物音一つ立たない様にしなければならない。だって、お兄ちゃんは本当に音に敏感で―――寧ろ、音よりも気配に敏感だけど。
と言っても、お兄ちゃんが自称する「木の葉の落下音でも起きる」と言う名言は、本人も認める大きな嘘だ。いくら何でもそれくらいで起きられないよ、と苦笑気味に言っていたのを覚えている。―――ただ、人が近付いてくる音に凄く敏感なだけだ、と。
・・・そうさせたのは私自身だと思うと、とても心苦しい。
それでもやっぱり、私はお兄ちゃんがゆっくり眠れる環境作りに努めたくて。
ケータイを取り出すと、草壁先輩に『委員長の安眠の為、応接室に誰も近付かない様に』との用件をメールで伝えておいた。


「・・・私が今こうしていられるの、お兄ちゃんのお陰だしね」


前は、夜も眠れないほどに、世界と言う存在に恐怖していた。
『あの時』は、本当に本当に、酷い有り様で―――頼れるのは、信じられるのは、唯一、お兄ちゃんだけだった。
世界が“全て”と称せるのなら、私の中では、お兄ちゃんが“全て”だった。


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