容姿への言及描写アリ。
私は今日酷い裏切りに遭った。それも、何年も信じてきた恋人の十代に。許せない、そんな言葉じゃ尽くしきれないほどの裏切りに私は叫ぶ。
「十代の嘘吐き!」
快晴の空に突然稲妻が走ったように彼は目を瞬かせ、それによって頬張っていたポテチが、制止して力を失った彼の手から儚げに舞い落ちる。まさに青天の霹靂だと言外に言ってくる彼の白々しさは、爆発の勢いに拍車を掛けるばかりであった。壁の薄い賃貸のアパートに怒号のような説明が響く。隣人の苦情さえ頭にはなかった。それは今日の昼過ぎのことだった。
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十代に似合う似合うと囃し立てられて買ったワンピースを自信げにはためかせ、リップグロスの艶やかささながらの新品のヒールでアスファルトを鳴らしながら私は一点の服に目が止まった。その店は外装からしてロリィタ系を取り扱うことは一目瞭然だった。普段は決して気が惹かれない系統なのだが、いかんせんショーウィンドウの向こうに立つマネキンが着ているその服はあまりにも可愛く、そして見事に私好みだった。今思えばあれを可愛いと思えたのは着ているマネキンがほっそりした体型だからだと思う。一旦冷静になって考えれば、自分が着て馬子にも衣装程度もならない出来に仕上がることは予想つくはずなのに、どんな不幸か恋人が似合うと言ってくれたワンピースにどことなく似ていることを察知した私は、逸る勢いのまま「絶対私に似合う!」と試合前から勝利宣言するといった、見え透いたフラグを立ててしまったのだ。ほんと、振り返るのも痛々しいくらいの暴挙でしかない。店に飛び込んで店員に件の服が欲しいと言えば、途端どこか頬を引き攣らせながら「ご試着致しますか?」と尋ねてくる。多分鏡見て目を覚ませって言いたかったんだろう。地獄確定列車に垂らされた蜘蛛の糸に気づかない私は満面の笑みで「いえ、買います!」と断言してしまう。蜘蛛の糸は切られた。つまりゲームオーバー。ここで自分は後戻りできないトゥルーエンドへ自ら突き進むのであった。会計を済ませお目当ての服が店員の手によって綺麗に畳まれている時。気がこれでもかと高まる私の耳に笑いが聞こえてきた。最初は「客同士の会話なんだろう」と思って流していたのだが、その笑いが少しづつ嘲笑を帯び始めてきたのを感じ取った私は、そこでようやく店の中に視線を巡らせた。可愛らしい小物が並ぶ棚の近くに立つ女子高生らしきふたりの人物と視線がかち合う。警戒心むき出しの猫みたいな素早さで逸らされたが、それは数秒と持たずしてこちらへ注がれる。またかち合って逸らされる。それは二回、三回と繰り返され、最初は気にもかからなかった私だが、さすがの三回目で腹の虫が次々と首をもたげた。女子高生のそのあまりにも失礼な態度に注意してやろうかと思い立った時、私を一瞬にして地獄の底へと叩きつけた一言が飛び出した。「あのブス、自分に合った服買えよ。どう見ても似合って無さすぎ」「それな。今買ったばかりの服にしたってセンスがないよねぇ。鏡見たことあんの?ってカンジ。つーかブスがここ来てんじゃねえよ」踏み出した一歩が硬直する。その電流は全身を巡って脳天揺るがした。弾け飛んだ思考で彼女らの言ったことを懸命に反芻させる。「ブス」「似合わない」「センスがない」それらの言葉はやまびこのように脳裏に響く。そんなわけない。自分は可愛い。誰よりも可愛いんだ。じゃなきゃ彼は、十代は、私を可愛いだなんて言わない。大好きな恋人の姿が目に浮かび、その主は私に何度も「可愛い」と「その服似合ってる」を繰り返すのだ。屈託のない笑みで。ほら。彼が言うんだ、私は可愛いに決まってる。背中から店員の声が投げられ振り向く。振り向いた先にあったのは大きな姿見。全身をあらわに写すその鏡に映っていたのは、簡潔的に言うならば紛うことなき「ブス」であった。こけしの顔のあらゆるパーツをシャープにして釣り上げたような感じ。それなのに鼻だけは丸く飛び出てて、その鼻も苺のつぶつぶで塗れている。毛穴という毛穴が開いて、顔中がてかてか膏光りしている。私は即座に確信した。あの鏡に映る自分は間違いなく「ブス」だと。今までずっと現実に対して盲目だったおのれの目が晴れ渡り、そして耳元に届く笑い声が嘲笑に変わっていくのを感じながら、その中を逃げ去ってきたというわけである。
「私、可愛くなんてないじゃん」
事のあらましを説明し終えた今も彼は黙ったまま。何も言わないのは彼の嘘が露呈して言うことがないからなんだと、頭に血が上った私は考えた。ほんとは内心私をブスだと嘲り笑っていたんだ。あの女子高生たちと同じように。彼の「可愛い」って言葉を鵜呑みにしてはしゃいだ自分が馬鹿みたい。
「面白かった?ブスが一喜一憂する様は」
朝、家を出るまでは彼に投げる言葉のすべてに棘なんてなかった。人ってこれほど変わるのかと頭の隅で若干冷静になったが、ここまで言われても尚十代は黙ったまま。床で胡座をかき、見上げる彼の視線はそのまま。なんで何も言わないの。内心「めんどくせえなこいつ」とか考えてるの?それとも言い訳するのも億劫なくらい私に興味が無くなったわけ?心臓の動悸が聞こえてくる静けさに衣擦れの音が混じった。交わっていた視線は十代が俯いたことで切られる。
「あのさ」
十代の声はいつだって私に優しかった。叱る時もそれを怖いと感じさせるようなものじゃなかった。それに甘やかされすぎたんだろう。十代の、ひどく乾ききった冷たい声が発せられたことに、少しの間頭が回らなかった。だって彼はいつだって私に優しかったから。鼓膜を氷漬けにされたような冷たい声に背筋をなぞられ、怖気が迸る。固まって微動だにしない、そんな私の様子も気にかけることなく、彼は言葉を続けた。
「なんで俺のこと信用してくんねえの?」
「な、なんでって。だってみんなブスって言うし……」
「みんなって誰? 何人?」
「こんな時に屁理屈言わないで」
「解ってねえのは名前の方だろ。だいたい俺は一度でもお前にブスって言ったことあるか?」
「ない、けど……」
「だろ? ならなんで自分のことブスなんて言うんだよ」
「だからそれはっ」
「俺のこと好きじゃねえの?」
「そんなの今関係ないじゃん。私が言ってるのは」
「言えよ」
びくりと肩が震える。なんで私が怒られてるのか全然解らない。おかしい、私が聞いてるのになんで。ていうか怒られるようなこと言ってないじゃん。なんでそんな怒るの、こわいよ。目の前の彼に、底から恐怖が這い上がってくる。鋭い眼光に喉が締め付けられて声が出せない。うんともすんとも言えず、首も振れず、私はただ突っ立つしかできなかった。視界がゆっくりと滲み出して、輪郭がぼやけるのを遠くで眺めながらも、潰されたようにじわぁと広がった色が動くのを捉える。私の身体はがっしりとした硬い何かに抱きすくめられた。鼻に馴染む洗剤の香り。私が幾度となく身を預けた懐。あやす手付きで十代は私の髪を撫でる。
「ごめん。怖がらせたな」
今度はいつもの優しい声だった。それは硬い氷を溶かすお湯のように全身に馴染んでいき、強ばった肩がゆるりと脱力する。頭頂部から伸びる髪を毛先までなぞるように撫でる手付きで、忘れていた呼吸を思い出した。豹変ぶりに着いていけない一面もあるけど、身体の芯まで凍りつく恐ろしさが緩和されたことに、それ以上の安堵感を覚えた。怒りが喉元を過ぎたんだろうか。そうであってほしいと願う。ぎこちないのは承知だが、十代の背中に腕を回す。いつものように額を預けて抱き着いた。
「お前のこと少しも知らねえ奴に耳を貸すな。お前が好きなのは俺だろ?そんで名前を好きなのも俺だけだ」
「うん」
「お前は可愛いよ。だから俺のことだけ信じとけ」
「……ごめん」
「いいって」
十代らしい笑い声が降ってくる。彼はもう解決した事だと片付けたんだろう。撮り溜めした試合を観戦しようぜと誘ってくる。黙っているわけにもいかず返答するが、なんて言ったかは思い出せない。絞めるように掴まれた手首の痛さだけははっきりと感じ、案の定そこは赤く腫れていた。