今度は同僚の呼び出し。言動が「予想」を物語ってくれるものだから、胸中に冷たい水が静かに溜まっていく。ほんとは食事なんてしたくないんだけどな。友人ならまだしも、気を置く人との食事なんて息が詰まるだけ。この人の場合それだけじゃないから尚のこと。重たい息が吐き出されそうになるのを堪えるように、運ばれてきたばかりのハンバーグを口へ入れる。

「急だけどさ、俺、ずっと前からあなたのことが好きだったんだ。付き合ってください!」

頬を紅潮させ、語調は緊張のせいで少々固い。その言葉自体は私が求めているものなのに、言う相手がどうして君なんだろう。ずっとずっと待ってるのに。沈みゆく暗い気持ちが、手に持つフォークをテーブルに置かせた。手元に目を落としたまま、なるだけ平静を取り繕って言う。

「ごめんなさい」

その言葉は彼の恋心を打ち砕いた。修復も傷口を塞ぐこともなく。粉々のそれはいつしかなくなって、そこには新しい恋心が芽吹くと思う。羨ましい、そう思ってしまう。私のこれは砕かれることも、実ることもないまま邪魔するのだから。そこにあるというだけで大切にしたい気持ちとむしり取りたい気持ちに駆られて、結局なんの結論に至らない。今の私のように「ごめん」と言ってくれたら、前へ進めるのに。窺見するように相手を見遣る。私に向けられていた視線はとっくに外されていた。ごめんね、私の恋心は君に向けられていないんだ。振った相手への声掛けなんてできる度胸もなく、重苦しい沈黙を保ったままで帰路に着くことになった。西陽の赤に染っていた空は夜に侵食され、徐々に黒ずんでいく。夏を越し、秋の入口に立った。これを何度も何度も迎える。生きてる限りずっと。

「昔は季節のことや時間のことなんて、全く気に掛けなかったのにな」

今じゃ来る季節を指折り数え、自分で自分に傷を作っていく。心にできた傷は数えられないほど。我ながら惨めで馬鹿なことしてる自覚はある。彼が居ないことを意識するなんて自虐行為でしかないこと。それでも顔を背ければ彼の幻影が立ち塞がり、向き直れば過去の彼に手を伸ばさずにはいられない。どこを向いても地獄だ。手のひらを見つめて、空気の重さを確かめるように開閉させてみる。この身体に巣食ってしまったこれを摘み取らない限り、多分一生囚われたままなんだと思う。ほんとに馬鹿だ、私。見る目なんて全くない。別れがくると知っていながらなんで彼に恋してしまったんだろう。

「全てやになるよ、まったく」

我慢しないといけないのに声が震えてしまう。火で炙られるように目頭が熱くなった。迫り上がる涙を許したくなくて、乾かそうと頭を上げて空を見る。めいいっぱいに目を広げて涙が引くのを促す。ここで泣いちゃったら立ち上がれない、そんな気がするから。彼を見送る時だって泣かずにここまで頑張ったんだもの、それを一時の感傷なんかで無駄にしたくない。崩れ落ちたら今までの頑張りが虚しくなるだけ。立ち込める冷たい空気は鼻の奥を冷やし、熱に浮かされた目頭も冷やしてくれた。もう大丈夫。すっかり乾いた目を擦って家に戻る。









昨日と変わらない様子で出社する。強いて言うなら少しだけ集中力が削がれていることくらい。喉に重い岩が詰まっているようで、あまり上手に呼吸できない。暗い気分から立ち直れなくて、今日は友人とのお昼も遠慮することにした。体調が優れないのは彼女も察しているようで、尚更人の気遣いから逃げたくてひとりで公園に来てみた。平日の昼間ともあって公園に人の姿は少ない。居ても園児と引率の保育士ばかり。そりゃそうだ、いつもここを使ってる子は学校がある。顔見知りの子や近所の子が居ないのは予期しない幸いというやつだ。

「弁当作り忘れちゃった」

項垂れるように深い息を落とす。食が細い私でも昼はきっちり食べるように心がけている。以前みたく栄養失調と貧血で病院のお世話になりたくないからだ。あの時ばかりは母親の偉大さに頭が上がらなかった。でも今日は寝坊してしまって作る暇がなかったのだ。どっかの店に入ろうかと考えたが、なんとなく人の居るところに行きたくない。勤務時間の終わりはまだ先だが、今日だけ昼を抜くことにしよう。コンビニ行くのも億劫だし。何をするでもなく群青の空を眺めていれば、胸元の内ポケットに入れた携帯がマナーモードで震えた。取り出すとディスプレイに登録した名前が表示される。

「遊戯だ、どうしたんだろ」

久しく口にしていない旧友からだった。それに彼からの着信なんて珍しい。滅多なことがないとかけてこないから。切れる前に応答ボタンを押して耳に当てる。

「もしもし?」

『あっ、久しぶり。覚えてるかな』

機械から流れる声は低くなって大人びていた。変わったことに驚きつつも、物腰まで低いままなことに笑いが零れる。

「当たり前でしょ、そんな薄情な人間に見える? 私」

『聞いてみただけだよ。名前、今大丈夫?』

「昼休憩だから大丈夫。珍しいね、遊戯から掛けてくるなんて」

『だからだよ、長く話してなかったから話したくて』

「どーしたの? 遊戯らしくないなあ。もしかして行き詰まってる?」

『そんな感じかな』

なんだか煮え切らない返答だなと思いながらも、久しぶりの友人との会話に花を咲かせていると、突然遊戯の声音が神妙なものに変わった。

『今どこに居るの?』

「え? バーガーワールドを進んだとこにある公園だけど」

どうしたのという言葉が、彼の慌ただしい声に掻き消され、挙句理由を聞けぬうちから向こうに切られてしまった。嵐が去ったような静けさが辺りを漂う。

「な、なんだったの……」

事態を咀嚼できないが、私の場所を聞いてきたってことは来るのかな。昼が終わるまで時間はまだあるし、待つのもいいか。できれば今日じゃなくて別の日が良かったんだけど。それを言う前に切られてしまったし、あの様子じゃかけ直しても繋がるとは思えないから、いまいち本調子じゃない顔の筋肉を労って、マシな表情を作れるよう意識する。活気に色づく子供たちの声が聞こえてくる。道路からは車の走行音が。そして空からは絶え間ない日差しが降ってくる。澄み切った青は、今の私には痛すぎる色だった。いつしか自分もあんなふうに綺麗になれるのか。沼のようなどろりとした気持ちで満たされたこの胸に、あの子供たちのような爽やかな風が吹くのだろうか。あの車のように、過去のしがらみから抜け出せるのだろうか。

「どうせそんなこと、起こらないのに」

何年の月日が過ぎたと思ってるんだ。あの時の私は今や社会人になった。それでもこの恋心は胸中に巣食ったまま。水を与えていないのに枯れず、乱雑に掴みかかっても摘み取れず、ならばと他人の愛を受け入れようものなら強かに抗ってくる。まるで彼以外に向けさせまいとするかのように。どうしろと言うんだ、こんなもの。恋心なんてかわいいものじゃない。これは呪いだ。彼にかけられて、気付かぬうちに私が許してしまった呪い。傷口を作り、痕にさえさせてくれない。この呪いを飲み干せるのは彼しか居ないと言うのに、その本人は清々しい顔で植え付けて冥界へと帰っていった。憎たらしい、けれども愛してしまうことを止められない、そんなひと。ねえアテム、いつになったらこの恋心を摘み取ってくれるの?

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