社畜をやり始めて幾星霜。実際はそんなにも経ってないけど、生来の虚弱体質とヒッキー精神にはたとえ三時間の外出すらも倍の時間のように感じてしまうのだ。だから、まあ、何が言いたいかというと。

「疲れた死にたい……」

黙々と、誰からの視線にも晒されずにゆっくりと。食べ忘れた果物が腐っていくように静かな死を迎えたい。我ながらなんとブルーことか。自覚はしているけど沸かないポジティブ精神に縋り付くのはそれこそ滑稽極まる。無い物強請りするほど落ちぶれてはいない。そう思いたい。

「獏良くーん」

「なにー?」

「ビール取ってきてー」

床の上に転がりながら声を間延びさせれば、同じ部屋に居る獏良くんが「飲み過ぎて吐いても知らないよー」と窘めながらも、そんな彼の手には好きなメーカーのビール缶が抱えられている。水を得た魚の如く飛び上がり、待ってましたと目を煌めかせてそれを受け取った。喉の乾きをビールで潤す私に、未成年ながらもしっかり者な彼は肩を竦めた。

「生き返るー……」

「昨日吐いたばかりなのに飲んで大丈夫なの?」

「多分大丈夫。大丈夫じゃなくても吐いたら治るから大丈夫」

「大丈夫の意味解ってる?」

私居るところに酒瓶あり。これ常識だよ、獏良くん。冷ややかな視線を送る彼を無視してまた呷れば、言っても聞かんことを理解した彼が「ご飯もう少しでできるよ」と話題を変えてくれた。今日の献立は里芋と鶏肉の煮込みときんぴらごぼう、そして食卓には欠かせない炊きたての白ご飯と味が濃すぎない味噌汁。現物を見ずとも胃袋は猛き咆哮を轟かせた。

「獏良くんのご飯が生き甲斐。まじリスペクト。獏良くんしか勝たん」

「煽てても何も出ないよ」

「料理が出るので文句なしです!」

「あ、できた」

キッチンの方から軽快なリズムのアラーム音が聞こえてきた。それに伴い彼は腰を持ち上げる。空になったビール缶を片手に、私も獏良くんの後を追った。キッチンに近づくほど美味しそうな匂いが漂ってきて、腹に居座る獣の咆哮が大きくなる。

「美味しそうな匂いだ、相変わらず凄いね獏良くん」

「有り合わせの物で作ったものだから、大したことないよ。自分の分は自分で盛ってね」

「もちろん。今日はどんな味かな

鼻歌を刻みながら食器棚からふたり分の皿を取り出す。フライパンの蓋を開ければ、閉じ込められていた里芋と鶏肉の煮物の良い香りが鼻を刺激した。醤油ベースに少し砂糖を入れたんだ。醤油の酸っぱい香りに混じってほんのり甘い匂いもする。そして白ご飯と味噌汁、順に自身の皿に装って、食卓に並べた。獏良くんが席に着いたのを見計らい、両手を合わせる。

「いただきまーす」

「いただきます」

言って、早速白ご飯に箸を着けた。真っ先に食べるのは白ご飯だと自分の中で決まっているのだ。咀嚼する度甘くなり全身の疲れや鬱憤が晴れていく。やっぱ白ご飯が一番美味しい。たっぷり堪能した後、獏良くんお手製の煮物を食べた。

「美味しい!」

「レシピ教えるから今度やりなよ」

「今度獏良くんが来たら、まず最初にキッチンの大掃除するはめになるよ」

料理というのは何を作るかじゃない。誰が作るかでだいぶ感想が変わってくると思う。煮物が好きな私でも自分でやったらそれを嫌いになることくらい、長年の一人暮らし生活が教えてくれる。疲労困憊の身体に鞭打ってまで料理する気は起きないのだ。だからこそつくづく獏良くんには頭が上がらない。

「いつもほんとうにありがとね。助かってるよ」

「玄関先で倒れられたら嫌だしね」

「ああならないよう気を付ける」

「まずは料理しなきゃ」

「うへぇ……」

私より何個も下の獏良くんにどうしてご飯を作ってもらっているか、それは二週間前に遡る。所謂会社の繁忙期というやつで、昼ご飯を味わう余裕すら与えられずに馬車馬のように働いていたある日、帰宅して自分の部屋の扉を開けた途端、スイッチが切れたかのように意識が暗転してしまったのだ。次に目を覚ました場所が自室で、傍には獏良くんが居た。玄関扉を開けたまま地に臥していたところを運んでくれたらしい。訳を聞いて私は怒涛の謝罪とお礼を述べた。気にしてないと言ってくれた時はマジで蜘蛛の糸かと思ったよね。それで色々話していくうちに意気投合して、私が食材費と趣味でやってる人形作りに必要な材料を分けるということで獏良くんが料理をしてくれることに決まった。いやぁ、土下座はしてみるもんだね。

「そういえば明日休みじゃん」

何気なしに部屋を見渡すとカレンダーが飛び込んでくる。明日の日付の部分は白紙。久々にのんびりできるかもしれない。

「何か予定あるの?」

「ヒッキーの私にそんなもんあるわけないよ」

「仕事してる人って引きこもりって言うのかな」

「ヒッキーに生まれてヒッキーで死にたい。これは絶対に譲れない」

「でも僕と話してるんだし、孤独死はないよね。越したりしなければだけど」

「それは獏良くんが看取ってくれるってこと? えぇーやだなー」

「なんで?」

「だって静かに死にたいんだもん。こう、みんなが子供の頃は栄えていた公園だけど、時代が進むにつれて誰も寄らなくなって気づけば更地になってた。そんな公園に、私はなりたい」

「びっくりするくらい暗いね」

「なんかねぇ。二十代っていう柵を越えちゃうと、途端になんか冷めてきちゃうんだよね。色々と」

私にも学生時代があったけど、振り返っても心揺さぶられる出来事に遭遇した記憶はない。過ごした記憶はあるけどあくまでそれは脳の記録なだけで、感銘を受けたとか、青春したなとか、後ろを向いて感じるものはないように思える。今でもたまに、すれ違う高校生が楽しそうなのを見ていいなーと思うことがあるけど、そもそも私は無駄な外出時間が酷く嫌いだ。阿るための食事も、友人の付き添いだってめんどくさい。うわ、こんなんだから今ぼっちなんだろうな、私。食べ終えると「ご馳走様」と手を合わせて食器を下げる。食器洗いは私の役割。ふたり分の皿を泡だらけのスポンジで洗っていく。背後から獏良くんが話しかけてきた。

「さっきの話なんだけどさ」

「うん? 静かに死にたいってやつ?」

「そうそう。名前が思う静かってなに? ひとりで居ること? 無音なこと?」

「んー」

深く考えたことないなぁ。昔から人付き合いがド下手くそだったから、静かに、誰かに看取られることなく死んでいくんだろうなという漠然な理解があった。特別それが嫌だと感じたことは無い。まあ、楽しいかと聞かれれば楽しいとは言えない人生になるけど。それでも変わりようなく生き延びて死ぬなら、たとえ最期がひとりであってもそれでもいいんじゃないか。むしろひとりで生きれたことは誇れるんじゃないかと思ったくらい。それを邪魔されたくないから「静かに死にたい」っていうのが願望になるわけだけど、そういえば「静か」の定義はなんだろう。どこからが私の思う「静か」なんだろう。蛇口から勢いよく流れ出ている水に手を突っ込みながら思案に暮れる。

「解んないや」

「どう死にたいかっていう夢はあるのに?」

「うん。人知れず朽ちていくことを『静か』と捉えるなら、そもそも獏良くんとさえ交流してないと思うんだよね。だから解んない」

「そっか」

「逆に獏良くんはどう死にたいの?」

いつまでも水を放流していたら水代が馬鹿にならないので、我に返ったようにテキパキと水回りを簡易清掃しキュッと蛇口を締めた。タオルで手を拭きながら彼を見遣る。問われた獏良くんは、考えるように虚空を見つめていた。

「秘密だよ」

「えー、狡い! 素直に答えたんだから教えてよ」

「いつか教えるよ」

「いつ?」

「いつかは、いつか」

「ケチ」

それはあんまりだと唇を尖らせる。ぶすくれる私に、獏良くんは目を細めて笑う。すると彼は言った。

「じゃあ、いつか僕の望む死に方教えるからさ、その時に名前の思う『静か』も教えてよ」

「そんなに気になること?」

「うん。だめ?」

「ううん、いいよ。越したりしなければね」

隠すようなことでも恥ずかしいことでもないから、獏良くんがそれを知りたいのならそれを明かす気で居る。獏良くんの言う「いつか」。それは五年先かもしれないし、五十年先かもしれない。もしかしたら「いつか」は来ないかもしれない。自分でさえ知りえない物が待ち受けているのが人生ってやつなんだし。でもまあ、仮にぼっちで死んでいくにしても、今は獏良くんが傍に居てくれるんだし、それでいいや。

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