まただ。また、この夢。いくつにも重なって響き渡る声たちは、鼓膜を通ってもはや頭の中まで占領してくる。最初はこんなんじゃなかったのに、二度三度、いやそれ以上も経験すれば耳を塞ぐことをしなくなり、私はその声たちに膝を折るようになった。そのひとつが言ってくる。「お前は出来損ないの穀潰しだ」と。その時、自我が奥底にうずくまる私の手を強く引いた。

「は……」

目を開ける。暁光に邪魔された不快さはなく、その身の起こし方はさながら敵の気配を察知したそれに似ている。敵などこの部屋に居ないが。服が汗によって肌に張り付き、激しく脈を打つ胸の動悸に沿って浮沈する。額から垂れる一筋の汗が頬の輪郭をなぞり、シーツを力任せに掴む自身の手の甲に滴を落とした。

「ああ……頭痛い。薬飲も……」

ベッド脇に設置した小さな机に手を伸ばす。視線はシーツに落としたままなので手探りとなるが、くまなく這わせてからようやく薬がないことを確信する。昨日のやつが最後だっけ。そんな気もする。ともかく無いのなら仕方ない、リビングにあったはずのことを思い出しておもむろにベッドから脚を出した。ひんやりするフローリングを、分厚いカーテンの隙間から崩れた薄い明かりのみ頼りにドアまで辿り着く。

「ん?」

外から何やら音がする。食器と食器が擦れ合う微かな音。彼が来ているのだと理解した。ドアノブを回して扉を押す。寝ぼけ眼に冷水を浴びせるが如く鋭い光が降ってきた。一瞬「うっ」と呻いたが、その痛みも徐々に引いていきやがて視界が明瞭になる。キッチンで食器を洗っていた男、マリクが振り向く。その仕草に彼の色素の薄い髪がさらりと揺れた。

「おはよう、随分遅い起床だね」

柔い微笑みを向ける彼に、私は朦朧とした意識のままでも返すことにした。

「はよ」

「顔洗っておいで。朝ごはんできたから」

「ん。来てたんだね」

「ついさっきね」

目玉焼きとトーストの香ばしい匂いが、寝ていた胃袋を乱暴に起こした。ぎゅるると鳴るものだから、私は彼との挨拶をそこそこにして朝の支度に取り掛ることにした。顔を洗って歯を磨いた私は服を取り替えてリビングへ向かった。さも当然のようにマリクは、食卓に二人分の朝食を並べている。初めてじゃない光景とは言え、引っかかるところではある。が、それを言ったところで彼は笑って流すだろう。つまりは兎に祭文というわけである。

「いただきます」

「いただきます」

朝ご飯を食べるのはいつ以来だろう。思い返しても最後に食べた味が解らない。それくらい前なのか。いつもは食べないから、なんだか新鮮な気持ちになる。白い卵白の上でぷっくりと膨らんだ卵黄は、今にもはち切れそうな勢いだ。ナイフの刃を当て、少し力むだけで卵黄はたちまち萎んでいき、中から液体が溢れ出した。どくどく、とまるで脈を打っているよう。黄色い液体は白い部分をあっという間に呑み込んでしまっている。一口サイズに切って口へ入れる。トーストと目玉焼きのコンボは何にも勝る美味だ、なんてどこぞの食レポみたいな感想を抱いた。静かに食欲を埋めていく私の耳に、失笑が聞こえた。視線をあげれば、対面するマリクが目を細めて肩を小刻みに震わしている。

「ごめんごめん。名前、目玉焼きとトースト、相変わらず好きなんだなって思ってさ。手の休む暇がないし」

睥睨する私の眼差しに彼は軽く謝る。しかし、彼が言う程口に詰めているだろうか。手に持っていたナイフを、食器に重ねておいた。

「お腹空いてるからかも」

「夜食べてないの?」

「遅くに帰ってきたから」

というより飲み会のせいで食欲がそれほど湧かなかったのだ。それほどきつくないからと、初めて試した酒を浴びるほど飲んだから。翌朝の胃に響いていない辺り、それほど度数もないんだろう。あるいは私の肝臓が強すぎるのか。するとマリクは、耳を疑うことを言ってきた。

「じゃあ今日はちゃんと食べないとね。何食べる? 作るよ」

私は彼を見つめながら「え?」と零した。彼はその反応を不思議がっている。

「だってマリク、まだ旅の途中でしょ」

今こうして食事を共にする時間だって、私が家を出たら終わる束の間だと思ってる。彼と一日過ごしたことも、今までなかったし。寂しくないわけじゃないが、彼のしたいことを束縛する気はないので引き止めるようなことはしないと決めている。そこまで努めている私に、彼は呆気なくもそう言ったのだ。言いたかったことを平然と。やはり思う所あるのか、彼は眉尻を下げた。

「結構な間放置しちゃってるけど、決して名前のこと興味なくなったわけじゃないんだ」

「うん」

「好きだよ、名前」

知ってる。じゃなきゃ鍵返されてるもんね。でもやっぱり面と面向かって言われたら、柄にもなく照れくさくなるのと嬉しく感じてしまうわけで。言葉を返せなくなった沈黙を誤魔化すようにトーストを頬張った。彼の作ってくれるご飯は相変わらず美味しい。

×
「#年下攻め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -