友人から貰ったプリン。なんでも、超有名なパティシエが世界で数十個しか作らなかったというウルトラレアプリン。そのスイーツを食べるがために早く帰ったのに待っていたのは机に散らばった空の容器。そしてだらけるバクラだった。私を見つけた彼は気だるそうに声を出す。
「帰ったか」
「バクラ、それ」
「ああ。美味かったぜぇ」
震え声の私を見ても彼氏様は何様の態度を一変も崩さない。友人がせっかくくれた、私も心より楽しみにしてたプリン! それを彼は一欠片も残す慈悲なく平らげてしまった。しかも不遜な態度は変わらないときた。雪のように降り注ぐ怒りはやがて堪忍袋を破裂させた。ぷつん、と何かが音を立てて切れる。
「信じらんない! 私のプリンなのに!」
「卵菓子のひとつでキャンキャンうるせえ女だな。お前の物は俺の物、当然だろ」
「うっわ、きたよ。お得意の上から目線。うっざ」
「喧嘩売ってんのかてめえ」
「売られた喧嘩を買っただけじゃん。だいたいバクラがプリン食べるのが悪いんでしょ!」
「名前でも書いとくんだな」
なんて酷い人なんだと怒りが爆発しそうだったけど、これ以上何言ってもどうせ取り合ってもらえないんだと考えたら怒鳴る気力がみるみる絞んでいく。悔しさを噛み締めて乱雑に鞄を奪い取る。肩にかけて扉を開けたところでようやくデッキから目を上げた。
「どこに行くんだ」
「知らない。どっか行く」
「泣いてんじゃねえよガキか」
「泣いてない。話しかけないで」
ノブを押して部屋を出る。バクラの馬鹿、顔も見たくない。自分の物取られるのは初めてじゃないし、その都度許してきたけどもう許せない。許すから懲りないなら許さない。どこへ行ってやろうか。友人の家? 実家? だめだ、時間が遅いからどこにも行けない。野宿になるのかな。枯葉が吹き荒ぶ閑散とした公園を想像して身体がぶるりと震えた。何が悲しくて私が寒い夜空を布団にして寝なきゃいけないんだろう。
「もー、結局こうなるのね」
深々と肩を落とす。家から出たくないから結局私が折れるしかない。でも腹の中で粟立つこの感情が平静になるにはまだ時間がかかりそうなので、鞄をそこらへんに投げ捨ててソファに飛び込んだ。ぼふ、と大きく凹んで私を包む。リビングにはちょっと不釣り合いなこのソファは、私がどうしてもと彼に食い下がって買った物だ。二人分にしては少しだけ手狭だけど、それを狙って買った物。自ずと喧嘩腰に流れる自分が素直になれる場所のひとつでもあるから気に入ってるんだけど、今は広すぎるように感じた。手を伸ばせば端に届く。また肩が落ちる。
「なんか、寂しい」
胸に去来した感情を言葉に漏らせば、目頭に何かが溜まっていくのが解った。その時、扉がゆくりなく開けられる。そこに立っていたのはバクラだった。言った手前だけど喧嘩のことがぶり返して顔をクッションに埋める。
「おい」
「何」
「行くぞ」
「は? どこに」
「いいから着いてこい」
「ちょっと!」
行くとも言ってないのに、腕を引っ張られソファから強引に引き離された。やだやだと抵抗してもお構い無し。むしろ抗えば舌打ちされ更に強い力で引かれる。腕が悲鳴をあげるので諦めて着いていくことにした。準備万全のバクラに「コート羽織るから手離して」と言って、玄関先でようやく止まることが許された。コートハンガーに掛けてあるコートを取って疑問をぶつけてみる。
「どこに行くの?」
「コンビニ」
「ひとりで行けばいいじゃん」
「お前が居ねえと意味ないんだよ」
「なんで」
「好きなもん買ってやる。それでいいだろ」
こちらに背を向けてる彼に、私は目を瞬かせて言葉を失った。もしかしてプリンのお詫びだろうか? 少しは悪いって思ってるってこと? 今まで悪びれる様子を見せなかった彼の初めてのバツの悪そうな声に動作が止まってしまい、いつまで待たせんだと檄を飛ばされた。急いで袖に腕を通す。怒られること必至でも、笑みを堪えられなかった。案の定鋭い眼光で睨まれる。でも怖くなくて、嬉しい気持ちで彼の手をぎゅっと握る。
「私クレープ食べたい!」
「一口寄越せ」
「えー。一口だけね?」
彼に散々意地悪されても完全に嫌うことができない私は、こうやってこの先も許してしまうんだろうな。その未来に呆れるだけなら、この喧嘩もいいと思えるのかもしれない。