日頃の行いというやつが私を罰したのかと思った。身に危険が及んでいるというのに、思考はいつもより落ち着いていた。自分でも引いてしまうくらいに。聞こえてくるのは野盗共の下品な笑い声だった。夜行性の虫さえ寝静まった夜更けにはよく響く。私が起きていることを知ってか知らずか、男共は私のことを「商品」と称して下劣な猥談を応酬させる。実に聞くに絶えない、気持ちの悪い会話だった。目頭が熱くなってうずくまる私の姿は、暗闇に隠されて男共は認知できない。こんな姿を見てもあいつらはきっと嗤笑するだけだ。

「帰りたい」

我慢できずにうっすらとだが目頭が濡れる。指の間から男共の蛮声が転がり込む。拒絶してもそれは全身にまとわりついて逃げられない。背中を壁に傾ければ、年季の入った木の板が悲鳴をあげるように軋んだ。脳裏を占めるのは、過去の自分の行いだった。視線を右往左往させている老婆に声をかけなければ良かった。困っているからって助けなければ、こんな男共に売り飛ばされることもなかったのに。あまりにも惨めで、悔しくて唇を噛む。声を漏らすまいと息を殺せば頬に雨雫が伝った。いくつもの雫は頬の輪郭をなぞって、うずくまる私の太腿に落ちる。するとどこからか小石を踏む音が聞こえてきた。

「何?」

手元を照らす松明などないため、視界は必然的に深い闇に呑まれる。己の指さえまともに見られないこの暗闇において、正体不明の音により身体は瞬く間に凍りついた。過去ばかりを投影していた脳もすっかり真っ白になってしまっている。何、なんなの。息をなるだけ殺しながら首を左右に動かす。もしかして男共が様子を見に来たのだろうか。

「誰か居るの?」

居たら出てきて、この際強盗でもいいから。殺されるのは嫌だけど。心の内で念じながら警戒していれば、突然闇の中に一点の赤を捉えた。それは風になびく布のように宙で舞い、その軽やかさとは対照的に圧倒的な存在感を放つ。それが何かなんて次の瞬間に理解した。火だ。松明の火だ。火の明かりは持ち手の主を徐々に浮かび上がらせる。夜に浮かぶのは死霊のような不気味な白い髪と、刃で抉られたような目元の痛々しい傷。その男は私を見据えて口角を歪める。

「これはこれは。とんだ発掘したもんだ。こんなところに居るとはなぁ、オヒメサマよぉ」

「ば、バクラ」

「盗賊の次は身売りか? 随分な趣味だな」

「そんなわけないじゃん」

「こっちを捨てたくらいなんだ、ちったぁ様変わりしてんのかと思ったが、全くの的外れだったな」

哄笑しながらバクラは距離を詰める。近づくにつれて彼の相好の様が明確に視認でき、且つ箱詰めされた閉鎖的空間以外の景色も見ることが叶った。劣化の酷い、赤錆だらけの鉄格子から見える外の景色は、松明の明かりが及ぶ範囲では一面も砂だった。けれども彼は突然姿を出した。まるで瞬間移動でもしたみたいに。ということは身を隠す岩が近くにあるのかもしれない。すっかり平常を取り戻した脳はそう推測した。

「身売りの趣味がねえならとっとと出ろよ」

「出られたらとっくに出てる」

「だろうな。おおかた足枷でも嵌められてんだろ。念入りに鎖に繋げてな」

「というか何しに来たの、バクラ」

「野盗を見つけたんでいいもん持ってるか品定めに来たんだが、まさかこんなところで裏切りもんに出会えるとは」

言って、バクラは私の首に繋がれた首輪の鎖を力任せに引っ張る。気道への衝撃に口から低い呻き声が滑る。バクラに罪悪感なんて備わっているはずもなく、鉄格子の柱に額をぶつけてしまっても底冷えする笑みに淀みはない。しかし、身体が震えたのは不気味な笑みに対してではない。私を射抜く眼光に対してであった。眼差しだけで身体に風穴が空きそうなくらい鋭く、喉を絞めることなど容易いまでに恐ろしい。視線を僅かばかり外そうものならこの首は枯れ枝のごとく折れるだろう。彼が私に殺意に近い怒りを抱いてもなんら不思議でない。むしろ敵視されて当然だ。バクラの言うとおり私は彼の元に居たが、今はそこを脱して着の身着のままな生活を送っている。

「あん時はまんまと出し抜かれたぜ。腰抜けにはそんな度胸なんざねえと思ってたからな」

「脚は好むところで足踏みをするって言うでしょ」

「んでそこってわけか」

「だから違うってば!」

煽りに乗ってしまった後に素早く口を抑える。つい声を荒らげてしまったが男共に悟られてはいないだろうか。恐る恐る耳を澄ましてみれば、静かだった辺りから笑いが湧いた。どうやら聞こえていないようだ。ばれずに済んだことに安堵して口から手を退ける。その様にバクラはまたしても嗤笑した。

「ここから半日歩けば村に着く。おそらくそこでお前は降ろされる。この意味、お前なら解るだろ?」

つまり買い手がそこで首を長くして待っているわけか。半日歩けば着いてしまうなら一秒でも早く脱出しなければいけない。半日程度なら男共は休まず歩くだろう。そうなれば脱出おろか足枷を外すべく抵抗するのさえ露呈してしまう。遠くで焚き火を囲んでいる今しかない。早くしないといけないのに、動きを押さえつける枷を、胸を掻き毟るほどに鬱陶しく感じた。口を噤む私に彼は言った。

「死ぬまで俺の犬になるなら今回だけ水に流してやる」

「なっ」

「さあさあ、早く決めるんだな。時間はお前のことなんざ待っちゃくれねえぜ」

「やっとの思いで抜け出したんだ、誰が戻るもんか!」

「へえ? んじゃお前はお偉いさんの玩具になることを受け入れるんだな」

「それも嫌!」

「最後に一度だけ聞いてやる。俺の元へ帰ってくるか、何処の馬の骨とも知らねえ男に触らせるか、ふたつにひとつだ。選べよ」

私の人生はどこで狂ってしまったんだろう。強奪の罪悪感に耐えられず、死に物狂いで平穏な日々を手に入れた矢先に、まさか深い谷底に突き落とされるなんて。在りし日の私が眼前の男の手を取った時に神から見放されてしまったのだろうか。何処知らずの男に売られるのも、この男に下るのも、どの道私のお先は真っ暗闇だ。性処理として扱われないだけまだこの男の方がマシだが、その代わり残酷な事をさせられるだろう。水に流すなんて寛容めいてるが、腹の中はきっと私を拷問にかけたいはず。最悪の選択肢が脳裏を駆け巡る。もし、ひとりになれたのなら、声を上げて泣きたい気分だ。そして腹を括る。

「解った、戻る」

「『抜け出してごめんなさい、戻らせてください』だろ?」

掠れた声に、間髪入れずバクラが返す。こ、こいつ。とことん甚振る気だ。殺意の籠った眼差しを送る私に、彼は心底から愉しむように歪む。先程の殺意はどこへ行ったかと思うほどの豹変ぶりだが、これがバクラという人間と考えるなら普通なのかもしれない。

「言えよ、名前」

神経を逆撫でするように催促され、腹の中に押し込めている感情が、きつく噛み締めた唇を震わせる。言いたくない。でも言うしかない。じんわりと熱を帯びる目頭を窘めるように瞬いて、上唇をもたげた。

「抜け出して、ごめん、なさい。戻らせてくださ、い」

今にも爆発しそうな堪忍袋を抑えつつ、ゆっくりと額を床につける。悔しい。自分の身ひとつ守れる力さえあれば彼の手を取ることもなく、野盗共に捕まることもなかったのに。すべては自分の不甲斐なさが招いた災厄だ。するとなんの予告もなく鉄格子が騒音を立てて崩れ始めた。びっくりして飛んで距離を取る。自分が居た場所のすぐ隣に穴が空いていて、人ひとりは余裕に出入りできる大きさだった。ぱらぱらと天井の木版の粉が降ってくる。穴を空けた張本人は中へ乗り込み、私の首輪の鎖に手を付ける。重さにぎしっと軋み、脆い手押し車は彼の方へ傾いた。

「ちょ、ちょっと! あいつらにバレたらどうするの」

「俺があんな雑魚如きにやられるわけねえだろうが。っと、取れたか。さっさと行くぞ」

「痛っ」

鎖を引っ張られて、体勢が前のめりになり、蹈鞴を踏む。彼が持つ大剣によって枷は斬られ、脚が自由を取り戻した。だからって当然ながら逃げられるわけもなく、自由を得たのに私の脚は首輪の鎖を引く男に着いていく。首の枷を外さないのは逃げさせないためか、私を言葉どおり犬として扱っているのか。不快この上ない心地だが、彼の背中を睨めつけるだけで、何を言うでもなかった。見上げた空に太陽はなく、月も浮かんでいない。果てしない闇は、私の人生のようにも見えた。私の人生は端から狂っていたのかもしれない。

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